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2. Verse
*
はじまりは、インスト曲から。
ハイハットの静かな音が、暗闇を打つ。
歌うようなベースラインに、踊るようなギターのアルペジオが重なり。
レスポールの深い音が真空管を抜けて、鼓膜へと響く。
フィルターを通した照明がスモークに当たって、妖しげにステージを映し出した。
ミステリアスな仮面舞踏会のはじまりに、観客の期待は、おのずと高まっていく。
流れるように二曲目へ。
一曲目の残響音に乗せて、静かに公爵が歌いはじめる。
柔らかに、密やかに、語るように。澄んだ歌声が脳髄に染み渡っていく。
徐々に歌声は大きく強くなっていき、そして、一斉に。
音が弾ける。
公爵の歌声に寄り添うように、ギターが泣き、ベースがうねり、ドラムが叫ぶ。
そこにあるのは確かな熱量。魂の叫び。
気付けば、私の頬は涙に濡れていた。
涙と一緒に、心の中の黒いものが全部流されていく。
masQuerAdesのライブは、あっという間に終わった。
最後に、最推しのデュークと、仮面の奥の目が合ったような気がして――私は幸せに包まれ、帰宅した。
――こんなにすぐそばで、masQuerAdesを観ることができるなんて。
修二との関係もなかったことになったし、推しも近くで観れるし、今のところ幸せしかない。
どうしてタイムリープしたのかは分からないけれど、すり減っていた私の心は、久々に満たされている。それだけは確かだ。
*
masQuerAdesのライブを観に行った次の日。
私の家を、ある人物が訪ねてきた。高校生の時に仲が良かった友人の一人、優樹だ。
タイムリープ前は、優樹とは卒業と共に疎遠になってしまって、まったく会っていなかった。
卒業までは、みんなで自宅にも何度か遊びに来ていたから、優樹が訪ねてくること自体は不思議ではない。
けれど、一人で訪ねてくるのはおそらく初めてだった。
「よお、愛梨。元気?」
記憶にあるのと変わらない優樹の姿に、なんだかホッとしてしまう。
よく見ればイケメンだし、前髪はちょっぴり伸びててチャラく見える。けれど、ラフなパーカーにジーンズという服装だからか、お高い感じはしない。それに、中身は全然チャラくなくて、頑張り屋で友達思いの、いい奴なのだ。
「元気元気。優樹は? 学校どう?」
「あー、まあ、ぼちぼち」
「あはは、ぼちぼちって何よ」
優樹は、音楽系の専門学校に通っている。
詳しいことは知らないが、真面目で人当たりのいい優樹のことだから、そうは言ってもうまいことやっているのだろう。
「で、今日はどうしたの?」
「んー、ちょっと聞きたいことがあって。愛梨さ、最近、朋子と会った?」
「え? あー……どうだったかな」
私は思い出そうとするが、はっきりとは思い出せない。
カレンダー上では卒業してから二ヶ月ほどしか経っていないが、なにぶん、私の中では四年半も経っているのだ。
「なんだそれ、はっきりしないな」
「ごめんごめん。ここんとこ色々あって、ちょっと記憶があやふやっていうか……」
「え、なに? マジでなんかあった?」
優樹は目を丸くして、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
私がヘンテコな言い訳をしたせいで、心配させてしまったようだ。
「ううん、大したことじゃないから大丈夫」
「ほんとか? 何かあったら相談しろよ」
「うん……ありがと」
私は曖昧に微笑んでおいた。優樹は、まだ心配そうにしている。
これでは話が進まない。私は、無理矢理話題を戻した。
「それで、朋子がどうしたの?」
「ああ、いや。朋子ってさ……付き合ってる奴、いるのかなって」
「え? なに? もしかして、優樹って、朋子のこと好きなの?」
「いや、そうじゃないんだけど」
「えーほんとにー?」
優樹は、気まずそうに頬をかいている。耳もちょっと赤い。
「本当だよ。どっちかっていうと俺は朋子みたいに派手なタイプより……いや、なんでもない。とにかく、俺の友達が朋子のことで悩んでてさ」
「ふーん」
まだ疑わしいが、一応そういうことにしておこう。
……でも、朋子はやめた方がいい。
アドバイスを求められたら、ちゃんと止めてあげないと。
「ちなみに、その友達って?」
「琢磨だよ。高校の時、隣のクラスだった」
「ああ、あの真面目そうな男子ね」
さっきは優樹の方便なのかと思ったけれど、彼は本当に友達の名前を出してきた。
琢磨くん。
あまり話したことはないけれど、記憶にあった。確か、吹奏楽部に入っていて、打楽器を担当していた気がする。
私は、ため息をついた。
朋子のことや修二のことを思い出すと、暗い気持ちになってしまう。
「……朋子は、やめたほうがいいよ。修二と付き合ってる」
「え? マジ?」
「うん、マジ。卒業前から付き合ってる」
「えー、俺聞いてないぞー。ハブかよ」
「私も聞いてなかったもん。ハブじゃないよ」
「じゃあ誰から聞いたんだ? その情報」
「え? あーっと、それはね……ぐ、偶然見かけたの! 二人が隠れてキスしてるところ!」
実際はそんな現場は見ていないし、朋子の膨らんだお腹というもっとすごい証拠を目の当たりにしたのだが。
優樹は、ショックを受けたようで、両手で頭を抱えてしまった。
「マジか……俺の知らないところでそんなことしてたのかアイツら」
「ねー。ショックだよね」
「つうか……」
優樹は、一拍置いて尋ねた。
少しだけ、目が泳いでいるのを、私は見逃さなかった。
「お前、修二のこと好きだったろ? 平気なのか?」
「――えっ!?」
「あれ? 違う?」
「違う違う!」
私が全力で否定すると、優樹は心底意外そうな顔をした。
自分の気持ちを拒絶するように、続けて断言する。
「あんな浮気男を好きになったことなんて、一度もない。絶対にない。天地がひっくり返ってもない」
「……浮気男?」
「あっ! な、なんでもない!」
しまった。つい言ってしまった。
「修二は、朋子と付き合ってて、浮気もしてるのか?」
「……今はどうだか、知らないけど」
「ふーん……?」
優樹は、納得がいかないのか、首を傾げている。
「とにかく、修二と朋子は付き合ってるから。きっと将来、結婚するよ。四、五年後には」
「そんなに本気なんだ。分かった、なら、琢磨にそう伝えとくわ」
「うん、そうして」
話は終わったようだ。私はホッと息をつく。
優樹は、ポケットからスマホを取り出した。
「あ、そうだ。愛梨、スマホの番号教えて。俺のスマホ水没しちゃってさあ、データも取り出せなくて連絡先消えちゃったんだよ」
「あー、そうだったんだ。いいよ、ついでにRINEも交換しよ」
「おう。話ぐらい聞いてやるから、時々RINEしろよな」
「ありがと。あ、でも既読スルーしたら既読スルー返しするからね」
「うっ、気をつける」
その後しばらく何気ない話をして、優樹は帰っていった。
久々に気の置けない友人と話ができて、私の心はすっかりほぐれたのだった。
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