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Another World 3 〜 side. 愛梨
side. 愛梨(another world)
――*――
夢を見ていた。
自分の心の深いところで、私は別の人生を歩んでいた。
修二と朋子に出会うことなく、推しを追いかける生活。
代わりに誰かが、私を心から愛してくれて、私もその人を心から愛していた。
その人は公爵の仮面をつけていて、私をmasQuerAdesの新メンバーに誘ってくれた。
――都合の良い夢。
そんな風に、思っていた。
そもそも、推しは恋愛対象とは違う。
なのに、恋人に推しの影を重ねるなんて、私らしくない。
隠された森の奥。
静かな湖畔のベンチで、私は横になって目を閉じている。
緑が萌え、小鳥がさえずる。
鏡のように穏やかな湖面に、小さな波紋が広がっていくのが、感じられる。
私だけの世界に、その人はさざなみのように現れた。
彼は、眠る私の手を取ると、美しい声で歌い始める。
――もし時間が巻き戻るなら――
ああ、大好きな声。公爵の声だ。
――きみのもとへ きみのもとへ――
どうして、震えているの?
仮面の下で、泣いているの?
――未来はこの手で
未来は……僕と……――
最後は、掠れるように、沈んでいってしまった。
ああ、苦しいのね。大丈夫よ。
「……愛梨……また、来るよ。さっさと起きろよ」
こんな言葉遣いの公爵、私は知らない。
ねえ、本当は、誰なの?
「愛梨が起きたら、迎えに来るから。――仮面を外して、それで……新しい曲、聴いてもらうからな」
仮面の下の、あなたの素顔は。
「愛梨。がんばろうな」
手の甲に、やさしいキスが落とされる。
ようやく、私の目が開く。
そこにあったのは、大好きな、あの人の笑顔。
夢の中で、何度も見た、あの笑顔。
「優樹――」
心から私が愛し、私を愛してくれたのは、優樹だったんだ。
私は、とぷん、と音を立てて、夢の世界から足を踏み出した。
昇っていく。光の世界へ。
迷子にならないように、優樹に繋がる、真っ赤な糸をたどって。
――*――
「……り、愛梨!」
「ん……」
「あなた、目が開いたわ! 愛梨、お母さんよ、分かる? 急いで先生を……!」
ぼんやりと見える、真っ白な天井。
ちらちらと頭上を動く影は、私の両親だ。
――帰ってきたんだ。
ずっと、夢を見てた。
私にとって都合の良い不思議な夢だったけれど、なぜか、嘘だとは思えなかった。
私は、どうしても彼の顔が見たくて、お母さんに尋ねた。
「……お母さん……優樹……は?」
「優樹くんはね、一度お見舞いに来てくれたのよ。すぐに優樹くんにも連絡入れるわね。ああ、それにしても本当に良かった……!」
ああ、やっぱり優樹だったんだ。
私を夢の世界から引っ張り上げてくれたのは。
*
それからすぐ。
優樹は、私に会いに来てくれた。
思ったより早く来てくれて、驚いてしまったけれど――五年ぶりに聞くはずの優樹の声も、泣き笑いみたいな変な顔も、不思議と全てが愛おしく思えた。
修二に捨てられたばかりでこんな風に思えるなんて、私はどうかしているのかもしれない。
けれど、この気持ちは、多分本物だ。
修二よりも付き合いが浅い――どころか、ほとんど関わってこなかったはずなのに、何故だろう。
優樹は、ずっと私に寄り添ってくれていたような……そんな気さえするのだ。
眠っている間、ずっと見ていた、『もう一人の私の人生』が影響しているのかもしれない。
「優樹……私ね、眠っている間、ずっと夢を見ていたの。長い、長い夢」
「夢? どんな?」
「あのね、信じられないかもしれないけど――」
私は優樹に、もう一人の私が体験したことを話した。
夢の世界で、私は優樹と恋をしていたこと。
優樹が公爵で、masQuerAdesのメンバー、琢磨くん、竜斗くん、陽菜さんとも仲良くなったこと。
ただ――、私が伯爵だったことと、修二と朋子に関することだけは、言わなかった。
優樹は信じられないようだったが、公にしていないmasQuerAdesのメンバーを全員言い当てたことで、信じてくれたようだった。
「……あー、俺、情けないな」
「何が?」
「夢の中の俺に、嫉妬してる」
そんなことを言って、優樹は甘くやさしく微笑んだ。
「なあ、愛梨。今から、さ――また、始めることはできる? ここにいる、俺と」
「優樹……」
「俺、愛梨のことがずっと好きだった。ずっと忘れられなくて、諦められなくて……観客席にずっと愛梨はいてくれたのに、俺は手を伸ばせなかった。苦しかったんだ」
優樹は、胸をおさえる。
ラフなパーカーにジーンズ。
夢の中の優樹と、五年前の優樹と、何一つ変わらない。
けれど、その瞳は、私を――現実の、この世界の、『愛梨』を見てくれている。
「返事は、すぐじゃなくていい。また、見舞いに来るよ」
「あ……」
優樹は、やさしく笑う。
どこかスッキリしたみたいに。
「優樹、あの、さ。スマホの番号……教えて。私のスマホ、壊れちゃったみたいで。退院して新しいの買ったら、電話するから」
「――! もちろん!」
優樹は急いでスマホの番号とメールアドレスを紙に書いて、ベッド横の引き出しにしまってくれた。
心底嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。
「ありがと、優樹」
「こっちこそ、ありがとな。いつでも、電話待ってるよ」
「ふふ、その前にまずは退院しなくちゃだよね」
「だな。あはは」
私と優樹が笑い合っていると、お母さんが戻ってきた。
楽しそうに談笑する私たちを見て、安心したようだ。
優樹は「また来ます」とお母さんに伝えて、帰っていった。
「愛梨、良かったわね、優樹くん来てくれて。久々にあなたがそんなに楽しそうにしてるところを見たわ」
「うん。……お母さん、心配かけてごめんね」
「……全く、本当にね」
お母さんは泣きながら笑った。
私は、修二なんかのために短絡的な行動を取ってしまったことを、深く深く後悔したのだった。
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