ウグの里帰り。クズの親孝行。

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 私のクズ行為はウグにも炸裂していて、私はウグの「クゥ~ン」という困った鳴き声を聞きたいあまりに、ウグの小さな体では手の届かない、しかし視界には入る高所に骨ガムをわざと置いたりしていた。何度かそれをした結果、ウグは骨ガムが見当たらないだけで鳴くようになり、さすがにマズいと思い直しそういう行為はきっぱりやめることにした。やめたと言っても過去にはしたのだから本当に反省しても許されざることだ。そんなクズ()を許してくれたウグには心から申し訳なく思い、そして感謝もしている。 「私はここ、雲の上(天国?)から八年間、ウグと父ちゃん母ちゃんを見ていたんだよ。これからはウグも一緒だね」  そう声掛けしたところで、ウグは頷くわけでも、理解した素振りをするわけでもない。ただ黙って、私の腕の中にいるだけだ。犬というのはそれでいい。人間のように喋らないからこそ、彼らは私達に寄り添って「いてくれている気がする」という人間の思い込みにより、私達を癒してくれるのだから。  私がおよそ八年前に死んだのは、ひとり暮らしの油断と不摂生が祟ってのことだ。自宅にてひとり酒で泥酔した頭のままで、部屋を歩き回りながら歯磨きをして散らかしたままの雑誌を踏んですっ転び、首を負傷して帰らぬ人に。クズに相応しい末路であったと言うほかないだろう。  というわけで私は長年、雲の上から地上の両親とウグを見ていた。ちょうど私が死んだ直後から、ウグの老齢期が始まった。だんだん頭が鈍くなり、今まではきちんと出来ていたトイレが間に合わなくなり部屋のあちらこちらに糞尿を落としてしまう。食べたものを嘔吐する回数も増えた。かつては五時間でも町を歩けたのに、最後の数年は両親が犬用ベビーカーに乗せての散歩となった。彼の自慢の「黒い蝶々頭」の黒い部分はどんどん白い毛が侵食して、まだらになっていった。  天国にやって来たウグの姿は、若い頃の活力に満ちたそれだった。白い雲の上をぴょんぴょんと跳ねるようにご機嫌に歩く姿は、空のただ中を黒い蝶が羽ばたいているようにも見えた。  人間のそれよりも小さな犬用の骨壺を、両親は私と先祖のための仏壇の隅に置いている。人間と違って、納めるべき墓の見当がついていないからだ。元は黒一色に金色の小さな仏様しかいなかった仏壇は、ウグによく似たぬいぐるみと彼との思い出の小物で溢れてカラフルになった。  それから一年間。両親は仲良く、月命日の度にウグの追悼をしていた。母の得意な活け花で仏壇を飾って思い出話を交わしていたのだが……。  ウグはもちろんのこと、私にとってもあまりにも想定外の危機が、両親だけの夫婦ふたり暮らしに訪れることになった。
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