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その日、オリビアは朝からそわそわしていた。
というのも、半年前から遠征で不在にしていたクラークが帰ってくる日だからだ。
騎士団が王都入りしたという話は、使用人を通して聞いていた。
侍女を呼びつけては、念入りに身支度を整える。
クラークに子供扱いされないように、精一杯大人の女性を演じるつもりであった。金色の髪は結い上げてもらい、うなじを強調させてもらう。
男性にうなじを見せるとよい。それは、信頼のおける年上の子爵夫人から仕入れた情報である。
落ち着いた色合いのモスグリーンのハイウェストドレスは、不要に肌を見せないようなデザインだ。
大人な女性は敢えて隠す。これも、子爵夫人から仕入れた情報によるもの。
オリビアは、友人に恵まれていると、そう思っている。
「奥様、お似合いです。きっと旦那様も喜ばれることでしょう」
侍女の弾んだ声で、オリビアの頬も緩んだ。
オリビアはクラークの帰りを今か今かと待っていた。サロンでお茶を飲んでいても、気持ちは落ち着かない。
半年ぶりに顔を合わせる夫。
オリビアはクラークのことは嫌いではなかった。むしろ好きだ。幼い頃から憧れていた存在でもある。
気づかぬうちに彼と結婚していた事実に驚きはしたものの、自分を託した相手がクラークであったことに、心の中では「グッジョブ、お父さま」と感謝していた。
きっと今頃は、天国で母親とイチャイチャしているに違いない。だから、自分も負けてはいられないと、オリビアは常々思っていた。
日が大きく傾きかけた頃、侍女がオリビアに声をかける。
「奥様、旦那様がお戻りになられましたよ」
今にも走り出したい気持ちになるものの、それを押さえ込んだ。
大人な女性は、エレガントに歩くのだ。一歩一歩、丁寧に。
「お帰りなさいませ、旦那様」
落ち着きを払った声で、オリビアは声をかけた。
「君、か……?」
クラークは眉根を寄せて、彼女を見下ろしている。
(ふふ、驚いているわ……)
作戦成功、とでも言うかのように、オリビアは心の中でほくそ笑んでいた。
「旦那様は、愛おしい妻の顔も忘れてしまったのですか?」
オリビアがくすりと優雅に微笑めば、クラークは戸惑いの表情を見せ始める。
「長く不在にして、悪かった。君は、少し変わったか?」
クラークがそう思うのも無理はない。何しろ、今日のオリビアは大人な女性なのだ。
「そうですね。先日、十八回目の誕生日を迎えましたので」
オリビアがそう口にすれば、クラークの顔には盛大に「しまった」と書かれていた。
この国において、結婚は十六歳からできるが、成人は十八歳である。だから成人する前の結婚には、親の同意が必要なのだ。
「そうか……。君も十八になったのか。何も準備ができなくて、悪かった」
「いえ、お気になさらず。旦那様、上着をお預かりいたします。着替えますか?」
「そうだな」
クラークは上着を脱ぐと、オリビアに手渡した。
「では、お手伝いいたします」
「君が、か?」
「ご不満ですか?」
「いや……」
どことなくクラークの動きがおかしいような気がしたが、オリビアは彼の後ろを一歩半はなれてついていく。
すると、クラークはそんな彼女が気になるのか、ちらちらと五歩進むたびに後ろを振り向いてくるのだ。
部屋に入っても、クラークの動きはぎこちない。
「旦那様、先にお風呂に入りますか?」
遠征から戻ってきたことを考えれば、ゆっくりと湯に浸かりたいだろう。
「そうだな、着替えの前に風呂に入ろう」
「では、すぐに準備をいたしますね」
「君がか?」
「浴室はすぐそこですから」
夫婦の部屋とは便利なもので、浴室へと扉で続いている。もちろん化粧室と御厠も設けられている。
浴室の清掃は、侍女が気合いを入れて念入りに行ってくれた。だから、あとは湯を張るだけだ。
「旦那様、着替えは籠の中に準備しておきましたので」
「ありがとう」
そう礼を口にするクラークは、やはりどことなく不自然だった。
「旦那様、どうかされましたか?」
あまりにもの不自然さに、オリビアもついそのように声をかけてしまった。
「いや、どうもしない」
クラークはパタリと続きの扉をしめた。
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