幼妻の場合(1)

3/6
前へ
/27ページ
次へ
 その日、オリビアは朝からそわそわしていた。  というのも、半年前から遠征で不在にしていたクラークが帰ってくる日だからだ。  騎士団が王都入りしたという話は、使用人を通して聞いていた。  侍女を呼びつけては、念入りに身支度を整える。  クラークに子供扱いされないように、精一杯大人の女性を演じるつもりであった。金色の髪は結い上げてもらい、うなじを強調させてもらう。  男性にうなじを見せるとよい。それは、信頼のおける年上の子爵夫人から仕入れた情報である。  落ち着いた色合いのモスグリーンのハイウェストドレスは、不要に肌を見せないようなデザインだ。  大人な女性は敢えて隠す。これも、子爵夫人から仕入れた情報によるもの。  オリビアは、友人に恵まれていると、そう思っている。 「奥様、お似合いです。きっと旦那様も喜ばれることでしょう」  侍女の弾んだ声で、オリビアの頬も緩んだ。  オリビアはクラークの帰りを今か今かと待っていた。サロンでお茶を飲んでいても、気持ちは落ち着かない。  半年ぶりに顔を合わせる夫。  オリビアはクラークのことは嫌いではなかった。むしろ好きだ。幼い頃から憧れていた存在でもある。  気づかぬうちに彼と結婚していた事実に驚きはしたものの、自分を託した相手がクラークであったことに、心の中では「グッジョブ、お父さま」と感謝していた。  きっと今頃は、天国で母親とイチャイチャしているに違いない。だから、自分も負けてはいられないと、オリビアは常々思っていた。  日が大きく傾きかけた頃、侍女がオリビアに声をかける。 「奥様、旦那様がお戻りになられましたよ」  今にも走り出したい気持ちになるものの、それを押さえ込んだ。  大人な女性は、エレガントに歩くのだ。一歩一歩、丁寧に。 「お帰りなさいませ、旦那様」  落ち着きを払った声で、オリビアは声をかけた。 「君、か……?」  クラークは眉根を寄せて、彼女を見下ろしている。 (ふふ、驚いているわ……)  作戦成功、とでも言うかのように、オリビアは心の中でほくそ笑んでいた。 「旦那様は、愛おしい妻の顔も忘れてしまったのですか?」  オリビアがくすりと優雅に微笑めば、クラークは戸惑いの表情を見せ始める。 「長く不在にして、悪かった。君は、少し変わったか?」  クラークがそう思うのも無理はない。何しろ、今日のオリビアは大人な女性なのだ。 「そうですね。先日、十八回目の誕生日を迎えましたので」  オリビアがそう口にすれば、クラークの顔には盛大に「しまった」と書かれていた。  この国において、結婚は十六歳からできるが、成人は十八歳である。だから成人する前の結婚には、親の同意が必要なのだ。 「そうか……。君も十八になったのか。何も準備ができなくて、悪かった」 「いえ、お気になさらず。旦那様、上着をお預かりいたします。着替えますか?」 「そうだな」  クラークは上着を脱ぐと、オリビアに手渡した。 「では、お手伝いいたします」 「君が、か?」 「ご不満ですか?」 「いや……」  どことなくクラークの動きがおかしいような気がしたが、オリビアは彼の後ろを一歩半はなれてついていく。  すると、クラークはそんな彼女が気になるのか、ちらちらと五歩進むたびに後ろを振り向いてくるのだ。  部屋に入っても、クラークの動きはぎこちない。 「旦那様、先にお風呂に入りますか?」  遠征から戻ってきたことを考えれば、ゆっくりと湯に浸かりたいだろう。 「そうだな、着替えの前に風呂に入ろう」 「では、すぐに準備をいたしますね」 「君がか?」 「浴室はすぐそこですから」  夫婦の部屋とは便利なもので、浴室へと扉で続いている。もちろん化粧室と御厠も設けられている。  浴室の清掃は、侍女が気合いを入れて念入りに行ってくれた。だから、あとは湯を張るだけだ。 「旦那様、着替えは籠の中に準備しておきましたので」 「ありがとう」  そう礼を口にするクラークは、やはりどことなく不自然だった。 「旦那様、どうかされましたか?」  あまりにもの不自然さに、オリビアもついそのように声をかけてしまった。 「いや、どうもしない」  クラークはパタリと続きの扉をしめた。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

335人が本棚に入れています
本棚に追加