幼妻の場合(1)

5/6
前へ
/27ページ
次へ
 浴槽にはカトリーナ推薦の花びらが浮かぶバスフレグランスを使用している。そのため、お湯の色は乳白色になっていて、水面に花びらが浮かんでいた。湯の中に入ってしまえば、お互いの肌は見えない。  さらにオリビアは、カトリーナに教えてもらったシュミーズを着ていた。下の下着はつけていないが、膝上十センチまでの丈があるため、こちらも見られて恥ずかしい部分は隠れているはずである。  クラークが立ち上がり、オリビアに背を向けたまま浴槽に入る。身体の大きな彼もゆったりと足を伸ばせるような、広い浴槽だ。 「おいで」  まるで子猫を呼ぶような優しい声で、クラークがオリビアに手を伸ばす。オリビアはその手をとり、浴槽に足を入れた。  チャプン――。  彼に背中を預けるように抱っこされ、浴槽に入る。お湯の温度かクラークの体温かわからないが、とにかく背中が温かい。 「君は十八歳になったんだな。おめでとう」 「はい、先月……」 「贈り物もせずに、悪かった」 「いいえ、こうやって旦那様が無事に帰ってきてくださったことが、何よりもの贈り物です」 「そうか」  クラークがオリビアの首元に顔を埋めた。 「旦那様? どうかされましたか?」 「いや……。君からそう言ってもらえたことが、自分でも思っていたより、嬉しかったようだ」 「遠征は、大変でしたか?」 「そうだな……」  王国騎士団第三部隊が派遣されたのは、北にある公爵領である。大きな水害が発生し、山は崩れ、街は水に飲まれ、領地の八割が損害を被ったとのこと。クラークは団長という立場から、第三部隊と共に自ら赴いた。 「死者が出なかったことだけ、幸いだった……」  それは、二年前の王都で起こった大火事からの教訓のようだ。  半年も北の領地に行っていたのは、その領地の再建のためだ。そして、彼らの生活に必要な状態が整ったため、騎士団も王都に戻ってくることができたのである。  騎士たちは、部隊単位で交代しながら北の領地に派遣されていたが、クラークは団長という立場があるため、半年もそこにいる必要があった。 「俺が不在の間、家のことをやってくれていたそうだな。助かった」  それから、と彼が言葉を続ける。 「君にずっと言わなくてはならないと思っていたことがある」  クラークがオリビアの首元に顔を埋めたまま喋るので、その吐息が肌に触れる。 「団長のこと。申し訳なかった……。君から家族を奪ってしまった……」  団長であるクラークが団長と呼ぶのは、オリビアの父であるアトロのことだ。  きっと彼は、アトロが亡くなったことを謝罪しているのだ。 「どうして、旦那様が謝るのですか?」 「俺たちがもっと早く動いていれば、助かった命であると思っている」  オリビアはゆっくりと首を横に振る。 「謝らないでください。父が助けた赤ん坊が、今では歩いているんです。男の子だったんです。父の月命日に、顔を見せにきてくれるんです。父が助けた命が、そうやって成長していくこと、嬉しく思います。だから、謝らないでください。父の死を、惨めなものにしないでください」  オリビアはそう思っていた。赤ん坊の母親も、アトロに感謝をしつつもオリビアには謝罪したのだ。そのとき、彼女は同じことを口にした。  それからというもの、あの母親は月命日になると、息子の顔を見せに来てくれる。それが、オリビアのささやかな楽しみでもあった。  父親が救った命が成長していることに喜びを感じていた。  そして今、オリビアはクラークの顔を見ることができなくて良かったと思っている。彼の顔を見たら、間違いなく泣いていただろう。  それがどのような感情に当たるのかはわからない。父親を懐かしんでいるのか、悲しんでいるのか。それとも、自分が惨めなのか。 「私、先にでますね。身体も温まりましたので」  これ以上、クラークとアトロの話をしたら、涙は溢れてくるだろう。自分でもわからぬ感情を、制御できる自信はなかった。 「ああ。そうだ」  浴槽から出ようとしたオリビアは、クラークに呼び止められた。 「ありがとう」 「着替えは、準備してありますので」  彼の礼の言葉を耳にしたオリビアは、振り返ってわざとらしく、元気のいい声をあげた。  一瞬、彼と目が合った。  だが、すぐに視線を逸らされた。
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

335人が本棚に入れています
本棚に追加