幸運を手に入れた男の話

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「あの、すみません」  商品棚に品物を並べていると、小鳥のような可愛らしい声に呼ばれ俺は手を止めた。振り返ると、買い物かごを提げた小柄な女性が俺の後ろに立っていた。 「あの、私……ずっと気になってて……」  眉を下げ、もじもじと言いにくそうに頬を赤らめている。彼女の挙動に俺は思わず鼻を膨らませた。これは、もしかして。 「マキちゃんどうした?」 「あ、タクヤくん」 「中々来ないから何かあったのかと思って。どうした?」 「あ、えっと……」  彼女は一瞬俺に視線を向けた後、彼の元へ駆け寄り耳元で何かを伝えた。それを聞いた彼が、今度は苦笑いを浮かべて俺に言う。 「店員さん、後ろ、ズボン破けてますよ」  咄嗟にお尻に触れて確かめた。不自然な布の触り心地。今の今まで全然気付かなかった。 「人目もあると思うので、早く着替えた方がいいですよ」  そう言って彼と彼女は踵を返した。遠のくその後ろ姿から「今日は泊まっていくだろ?」「晩ごはん作るね」という弾んだ声が俺の耳に届く。淡い期待は見事に打ち砕かれた。 「オイ!この箱の検品した奴誰だ!お前か!」 「へっ!?あ、はい……俺、です……」  バックヤードに戻ると店長の説教が待っていた。検品のちょっとしたミスなのに、何故そこまで罵声をあびせられなければならないのだろうか。もはや俺はイライラの捌け口にされているようにも思えた。  彼女いない歴イコール年齢の俺は今年でもう三十路を迎える。昔からゴリラだと冷やかされるくらい顔がごつくて、年齢のわりに老けて見られることが多かった。丸くてデカい鼻、窪んだ目元、分厚い唇。髪も癖が強く体毛も毛深い。休憩室の机に置いてある雑誌の表紙にはそんな俺とは正反対のアイドルが爽やかな笑顔を見せていた。  この年齢で彼女はおろか、正職にすら就いていない俺は俗に言う負け組なのだろう。職を転々とし、しがないスーパーの店員を務めてそろそろ三ヶ月。毎日毎日、寝て起きて言われた仕事だけやって、何か変化があるとすれば店長の罵声の回数くらいか。そんなつまらないこの人生を俺は惰性で生きている。  今にも降り出しそうなどんよりとした曇り空。そんな暗い空を見上げながら今日も帰路に就く。まるで俺の気持ちを表しているかのようだった。  帰宅した俺は、そこらに置きっぱなしにしているゴミを足でどけながら廃棄処分前だったスーパーの弁当をテーブルに置いた。  弁当を食べながら惰性で見るテレビ。これもつまらない毎日の一部だ。弁当の味も、テレビの面白さも全く感じない。 「俺、何してんだろ……」  思わず溜め息交じりにそう呟いた、その時だった。スマートフォンから短い通知音が聞こえた。見ると、どうやらSNSのダイレクトメールを知らせるものだった。SNSで繋がっているリアルの友人はいない。妻や子供、彼女とのツーショットなど自慢げに載せている奴らの写真など見たくもなく、そいつらとは俺から縁を切っていった。見るとしたらインフルエンサーや人気アーティストグループのアカウントくらいだ。SNSの、しかもダイレクトメールでわざわざ俺宛てに送ってくる奴なんて、いるはずがなかった。  それでも、届いたからには送信相手が気になる。少しの緊張を抱きながら、俺はダイレクトメールを開いた。その最初の一行がこれだった。 『おめでとうございます。当選しました。』  なんだ、ただの詐欺メールじゃないか。何かに応募した記憶などない。応募していないのに当選も何もないだろう。送ってきた奴はこんな嘘っぱちだと見え透いた文言で騙せると思ったのだろうか。送るならもっと巧妙な文章で送れよ。なんて思うが、世の中にはこんな文章で騙される馬鹿も一定数いるのだろう。俺はそんなことを思いながら何となくその先の文章を読み進めた。 『あなたは幸運にも鍵を手に入れました。あなたの使い方次第でこの先の運命は大きく変わるでしょう。ご健闘をお祈りいたします。』  文章はこれだけだった。新手の宗教勧誘だろうか。クリックを促すURLは無いが、見るからに嘘くさくて怪しい。  変な詐欺メールだったな、ぐらいの気持ちで俺はスマートフォンの画面を閉じ、その日はそのまま床に就いた。  翌朝のことだった。  今日もテレビのお天気お姉さんは傘をさしながら全国の天気を知らせていた。テレビを見ながらのろのろとバイトの支度を始めていると、玄関から何かが落ちる音が聞こえた。正確には、玄関の備え付けポストへ落下する音だ。何かネット注文していたものがあっただろうか。記憶を辿るが思い当たる節が無い。玄関ポストのカバーを開けて見ると、中には丁寧に梱包された小さめの白い袋と、白い封筒が一通入っていた。どちらにも宛名と送り主が書かれていない。いたずらだろうかと思い、玄関を開けて周囲を見回してみたが人影はなかった。  部屋を間違えられたのだろうか。そう思いながら手に取った封筒に目をやると封がされていないことに気が付いた。中から手紙を取り出すとこう書かれていた。 『幸運な当選者様へ  鍵をお届けいたします。ご自由にお使いください。』  一瞬何のことかと思ったが、幸運・当選・鍵、それらのワードに昨夜のダイレクトメールを思い出す。これは、もしかして自分宛ての荷物なのだろうか。ごくりと喉を鳴らし、俺は梱包された袋を開けてみた。  中に入っていたのは、手のひらサイズの円柱型をした小さなボトルだった。入れ物は透明で中には無色の液体が入っている。キャップが付いており、取り外すと噴出口がある。スプレーになっているようだ。袋の中にはまだ何か入っていた。丁寧に折り畳まれた用紙、それを取り出し広げると“取扱説明書”と書いてあった。 ①体の一部に鍵を吹きかけましょう。 ②「なりたい」姿形を願いましょう。 ③願った姿形をお楽しみください。 ④元の姿に戻る場合は雨に打たれましょう。 【注意点】 「なりたい」姿形を変更する際は一度元の姿に戻る必要があります。 一度願った姿形には二度となることはできません。  いたずらなんじゃないかとまだ疑ってはいたが、もしここに書かれていることが本当で、願った通りに姿を変えることができるとしたら、このゴリラのような外見からおさらばできるということだ。不意にテレビへ視線が向く。そこに映る有名なイケメン俳優の姿。俺はごくりと喉を鳴らし、半信半疑な気持ちで自分の腕にワンプッシュ吹きかけてみた。画面の中で爽やかな笑みを向けていたイケメン俳優の姿を思い浮かべながら。  一瞬のまばたきの後だった。毛深く太い自分の腕が、程よく筋肉のついた健康的な明るい色をした腕に変わっていた。風呂場に駆け込み鏡を覗くと、そこには先ほど思い浮かべたイケメン俳優の顔が映っていた。驚きと興奮で顔が緩み思わず笑い声が漏れた。 「はは……マジかよ」  取扱説明書をもう一度読んで窓の外を見た。ちょうど雨が降り注いでいる。俺は外へ飛び出し体全身に雨を浴びた。もう一度鏡を覗き込むと、そこにはコンプレックスだらけのゴリラ顔が映っていた。 「すげぇ、本当だ……!」  突然俺の元に送られてきた変身できる謎の液体。それを手にしてから俺の人生はガラッと変わった。  姿を変え、一歩街に出れば若い女の子からの視線を一気に浴び、あちこちから多く声を掛けられた。最初は緊張したが場数を踏めば段々と慣れてくるもので、最近はナンパをしたその日に、女の子と一夜を過ごすこともあるほどだ。  謎の液体――今は幸運の鍵と呼んでいるが、この鍵がある限り俺は女性に困ることがなくなった。使ってみて分かったことだが、この鍵は一日の使用回数に制限は無いらしい。さらに効力の持続時間も決まりはない。自分の体が雨に打たれるまで永遠にその姿のままでいられるようだ。逆に言えば雨に打たれた瞬間唐突に終わってしまう。うっかり濡れてしまえばゴリラに元通りだ。だから俺は日々天気予報を細かくチェックし毎回細心の注意を払って女性に会うようにした。  姿についてもいくつか試してみたことがある。例えば金持ちになりたいと願ってみたが、状況に変化が起きることはなかった。どうやら変えられるのはあくまで外見だけらしい。しかし変身できるのは人間だけにとどまらず、犬や猫といった動物にも変身できるようだった。一度変身した姿には二度となれないが、犬なら柴犬、ポメラニアン、チワワなど種類を変えればセーフだ。同様に人間の場合も塩顔イケメン、ワイルドイケメン、インテリイケメンという風に変えていけば問題はない。  俺は考えた。女遊びを続けられ、且つ楽に金が手に入る方法を。そして閃いたのだ。  俺はバイト先の店長に姿を変え、店の有り金を全部くすねた。あとは外に出て雨に打たれたら俺の姿は元通り。監視カメラに映っているのは店長だ。自分に被害が及ぶことは無く、結果、店長はあっさりクビになって俺は難なく金を得ることができた。  名前と顔さえ分かればそいつになりすまし金を盗む。勿論決行は雨の日だ。この方法で俺は至る場所で金を手に入れた。  この幸運の鍵さえあれば何でも叶う。俺の人生はイージーモードだ。 「今日は楽しかったね」  海岸が広がる展望台で夜景を見ながら隣で彼女がそう言った。「そうだね」と俺は愛想笑いで返す。特定の女性と長く付き合うことはしない。家に来られたり、俺の素性が分かってしまうようなことは絶対に避けなければならないからだ。だから姿を変える度、俺は名前も偽名を使い、本名を名乗ることは絶対にしなかった。この彼女も数回抱けたしそろそろ頃合いだなと思っていた。 「私ね、トモくんと一緒にいると本当に楽しくて、特定の誰かとこんなに自然体の自分でいられたの初めてだったの。だから私、トモくんとの出会いに運命感じちゃったんだ。それであの……体の関係だけじゃなくて、私たち、ちゃんと付き合いたいなって思って――」 「ごめん」 「え……」 「きみとはそういう風に考えられないんだ。ごめんけど、会うのも今日で終わりにしてくれないかな」 「そんな……どうしても、だめなの……?私が風俗の仕事をしているから?私、トモくんの為なら何でもするよ!風俗だって辞めてちゃんとした仕事する!料理だって勉強して、家事もできるように頑張るから!ねぇ、お願いトモくん!」  俺の腕を掴み、乞うようにその瞳を向ける彼女。しかしそんな彼女の願いなど受け入れられるわけがない。しつこく言い寄られ一向に腕を離そうとしない彼女に俺は段々と苛立ちはじめた。 「無理だって言ってるだろ!いい加減離せよ、このっ――」  振り解くように思いっきり押し退けた、その時だった。彼女の体が展望台の手すりに勢いよくぶつかると、彼女はバランスを崩し手すりの向こうへ体が傾いた。 「えっ」  短い声とともに彼女のスカートがひらりと舞う。一瞬の出来事だった。彼女の姿が展望台から消えた。ぶつかるような音が何度かした後、水面に打ち付けられる音を最後に、辺りは不気味なほど静寂に包まれた。  俺が、やってしまったのか?いや、これは事故だ。俺はそんなつもりは一切なかった。大体、あっちがしつこく腕を掴んで言い寄って来なければ俺はこんなことしなかった。俺は悪くない、俺のせいじゃない。悪いのは全部あの女だ。女の自業自得だったんだ。  上擦ってくる呼吸。早まる鼓動。湧き出る冷や汗。一刻も早くここを立ち去り元の姿に戻らなければ。この姿のまま長く居ると危険だ。確か雨が降るのは2時間後の深夜3時。幸い、今この展望台には他に誰もいない。夜中のうちに元に戻りさえすれば仮初めの男の痕跡はそこで消える。今後一切出てくることはない。大丈夫だ、バレることなど無い。  俺はそう自分に言い聞かせながら公園に設営されたドーム状の遊具の中に身を潜め、雨が降るのをひたすら待った。捕まれた腕の感触が一向に消えない。振り解いた時の彼女の顔、大きく見開いて俺を見つめる瞳。何度もあの瞬間が脳裏に繰り返される。手が震え、歯がガチガチと鳴る。雨を待つその時間がとても長く感じて、生きた心地がしなかった。  ぽつりぽつりと地面を打つ小さな音を俺の耳が敏感に拾った。咄嗟に顔を上げ外の様子を伺う。鼻先を弾いたその水滴は次第に量を増して降り注ぐ。  雨だ、雨だ!降ってきた!今日ほどこんなに雨が降って嬉しいと思ったことはない。俺は駆け出して両手を大きく広げ全身に雨を浴びた。口を開け、空に向かって恵みの雨を浴び続ける。気の済むまでそうしていたら体はすっかりびしょびしょになっていた。公園のトイレで鏡を覗き込み自分の姿を確かめる。元のゴリラ顔。まさかこの顔にホッとする瞬間がくるとは思わなかった。  これで俺はあの女との痕跡を絶つことができた。もう大丈夫だ。そう思ったら一気に疲れが全身を覆った。帰って眠ろう。気だるい体を引きずるように俺は帰宅してすぐ眠りに就いた。  目が覚めたのは昼が過ぎた頃だった。降っていた雨はもう止んでいる。カーテンを閉めていてもさんさんと照る太陽の様子がよく分かった。のそのそと起き上がり顔を洗う。鏡に映るのはコンプレックスだらけのゴリラ顔。昨日のことはもう自分とは無関係だ。けれど、どうにも気になってしまう。俺はテレビを点け、チャンネルを切り替えた。しかし、どの番組もそれらしいことは取り上げられていなかった。スマートフォンでネットニュースを検索してみるが該当するような記事も見当たらなかった。  その時だ。突然玄関のチャイムが部屋に響いた。びくりと肩を跳ねらせ玄関へ顔を向けた。二度目のチャイムが鳴り、続けてノックの音が響く。 「すみません、光が丘警察署の者ですが」  息が詰まった。なぜ警察が俺の部屋に来るんだ。姿は変えている。どこかの監視カメラに映っていたとしても背格好も全く違う。バレることはないはずだ。ごくりと唾を飲み込み震える手で玄関を開けた。 「は、はい……」 「光が丘警察署の者ですが、少し話を伺ってよろしいでしょうか」  玄関の隙間から二人の警察官の姿が見えた。 「な、何でしょう……」 「昨日、こちらのアパートで空き巣があり、その件で目撃情報を集めています。何か変わったことや人影を見たなど、思い当たることはありませんか?」 「いえ、俺は何も……」 「そうですか。何かありましたら光が丘警察署まで情報提供をお願いします」 「は、はい。わかりました……」  玄関を閉めその場にへたり込む。てっきり昨日のことで事情聴取されるのかと思った。大丈夫だ、俺は咎められることはない。大丈夫、大丈夫……大丈夫、だよな?  徐々に大きくなる不安。タイミングが良過ぎないだろうか?そもそもこんなボロアパートに空き巣が入るだろうか。もしかしたら、どこかで俺はヘマをしたのかもしれない。あの時本当は誰かに見られていたんじゃないか。それで警察が俺の元に来たんじゃないか。でも姿は全くの別人だ。突き止められるはずがない。けど、もし、もしも何か見落としていたら。  不安に駆られ自問自答を繰り返す。ここに居るのももはや危険なのかもしれない。俺は幸運の鍵をズボンのポケットに押し込み必要最低限の物だけを手に取ると窓を開けた。幸いこの部屋は一階だ。俺は窓から外へ出て境界ブロックの塀を昇り車道へ飛び降りた。だが、そのすぐ側にはパトカーが待機していた。突然塀から飛び降りてきた俺を見て、その場に居た先程の警察官二人の表情が変わる。 「どうされました?」  近付いてくる警察官に動揺を隠せなかった俺は堪らず体を翻し駆け出した。 「あっ、待ちなさい!」  ちくしょう、やっぱりバレていたんだ。何故だ、どこでしくじった。俺は幸運の鍵を手を入れて人生が変わったはずだったのに。上手くやっていたはずだったのに。  とにかく今はこの場を逃げ切るしかない。誰かに変身してやり過ごす。それしかない。俺はズボンのポケットから幸運の鍵を取り出し手のひらに吹きかけた。しかし、逃げ惑いながら動転している頭ではすぐに誰かを思い浮かべることができない。誰か、何か、何でもいい。変身しても不自然じゃない姿へ。  その時だ。雨ざらしに並べられている商品カートが目に入った。考えている暇は無かった。一か八か、俺は願いながら商品カートへ飛び込んだ。 「待ちなさ――あれ……?今、こっちに曲がったはずだが……どこに行った?」 「居たか?」 「いえ、見失いました。あの焦り様、さっきの受け答えも挙動不審で何か知ってる風でしたし、もしかしたら空き巣犯と何らかの関係があるかもしれませんね」 「まだ分からんが、近くにいるはずだ、探すぞ」 「はい」  警察官の声が段々と遠のいていく。ひとまずこの場はやり過ごすことができたらしい。しかし驚いた。今まで人や動物に変身してきたが物にまで姿を変えることができるとは。 「オヤジ、もうこれ下げていいか?」 「んー?まぁ、粘ってみたが、仕方ねぇな」 「在庫処分のポップ作ったところで、今どきカセットテープ買う客なんかいないんだって。時代考えてくれよ、時代を」 「へぇへぇ、分かったからさっさと裏に持ってけ」  乗っているカートが動き出す。  おい待て、止まれ。どこに行く気だ。聞こえないのか、おい。 何てことだ、物には口が無い。声が出せない。体も動かすことができない。 「カセットって、テープは可燃物で本体は不燃物になるのか。めんどくせーなぁ」  そう言うと彼はカセットテープの分解作業を始めた。俺の視界の端に次々と伸びたカセットテープが重ねられていく。  嫌だ、待て、やめてくれ、元に戻してくれ。雨に、雨に晒してくれ、お願いだ。こんな終わり方したくない。助けてくれ、誰でもいいから俺を元の姿に戻してくれ。お願いだ、誰か、誰か俺を助けてくれー! 『次のニュースです。今日未明、光が丘展望台の海岸で女性の遺体が発見されました。警察によりますと女性は港区在住の接客業店員、沖野トモミさん23歳と判明。沖野さんは昨夜、男性と港区街のホテルへ向かったとみられ、監視カメラに映る男性が何らかの事情を知っているとみて、警察はこの男性の行方を追っており――』  最後に聞いたのは、昨日俺が起こした事件のニュースだった。 -fin-
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