【二章】番いのαから逃げた話

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発情期が明けて二週間。 あれから番い欠乏症の症状が軽くなった俺は、同じ町内にある小さな診療所に来ていた。 ここは月曜と木曜の午前中がΩだけの診療時間になるおかげでαに会うこともβにじろじろと見られるストレスもない、番い解消といった重い処置は取り扱ってないからか、たまに待合室で見かけるΩの表情も暗くない。 「顔の血色もいいし、体重も増えましたね」 「はい。頭痛も楽になったんです」 「それは良い事です。今の調子なら抑制剤も以前と同じ薬に戻して大丈夫でしょう」 奇跡的な回復だと、カルテを書き込んでいく先生も患者が元気になるのは嬉しいと微笑んでいる。 物腰は穏やかで顔立ちも爽やかな好青年。狭い町だからたまにスーパーで見ることもあるんだけど何故かやたらとおば様方にモテていると思ったら、とっくに四十歳も過ぎていると本人に笑われて驚いた。 ど田舎に単身赴任したせい(あと隣町と掛け持ちしてる)で番いとは別居中らしいけど、先生みたいに優秀なΩがいると…やっぱり努力は大事だと思えた。 「今後も生活習慣に気をつけてくださいね。Ωは季節の変化にも弱いので周期が乱れやすくなります」 「気をつけます」 「それとコレどうぞ」 「あ、いつもありがとうございます」 田舎の風習なのか診察が終わると家の畑で採れたという野菜を持たされた。 すごく嬉しいんだけど、ここまで患者が少ないと趣味を持ち始めるのか…?医者なんて忙しそうなのに 「季節の野菜は免疫を高める効果があります」 ただの健康オタクだった。 毎日一枚、投函されてくるようになったハガキのおかげだ。 「早く会いたい」 「君の声が聞きたい」 会わなくても繋がりがある。微かに気配を感じることで少しずつ食欲が出てきて、吐き気や頭痛もマシになっていた。 「お、八木君!今日は魚釣ってきたぞ」 「芦屋さん」 クーラーボックス片手にやってきた今日の芦屋さんは大漁だったと興奮気味に釣りの楽しさを語ってくれた。 毎日一緒に夕飯を食べたからだ。あんなに苦手と思ってたのに俺もこの人の騒がしいテンションにも慣れきっていた。 「次の土曜に八木君も一緒にどうだ?」 「へ、いいの?」 「あぁ勿論だ。迎えに行くから時間送るよ」 ピロンと芦屋さんのメッセージを受信して鳴るスマホ。佐伯さんから借りた形になってるスマホには、職場と佐伯さんと芦屋さんの連絡先が登録されている。 「……なんですか?ジロジロみて」 「いやぁ?ほんと元気になったなぁって思ってさ。八木くん拾われてきた子猫みたいだったもんな?」 「はぁ!?ちょ、やめ…頭撫でんな!!」 相変わらず芦屋さんは俺を子供扱いするし、自然と受け入れている自分がいた。 それから今夜は釣り仲間に呼ばれたと芦屋さんは下処理をした魚をくれた。 「寂しいか?」 「ふん、俺はアクアパッツァを覚えた」 「待ってくれ!!明日行くから!!!」 頼むなんて……、ほんと賑やかな人だ。 だけど俺は まだ芦屋さんにハガキのことを言えなかった。 だって散々先生と話し合う気はないとか強がっておいてコレなのだ、「なんだ仲直りしたのか?」てニヤニヤして言うに違いない。 (でも、頼めば先生に返信できる…?) 佐伯さんよりは芦屋さんの方がまだ頼みやすい。が、なんてお願いする? もう俺を気遣わなくていい? 本当は俺も会いたい? (いや、どれもダメだろ…) それに届くハガキには「早くーーー」とあるだけで時期が明確じゃない。 そもそも逃げた俺に会う気があるのかも分からないし、芦屋さんが俺の番い欠乏症のことを先生に相談して……気にして送ってきてるだけの可能性のが高い。 先生の善意なのか義務なのか どの道過度な期待はしない方がいい。 だけど帰るたび、家を出るたびにポストを確認してしまう。 「あ、」 そして今日もハガキが届いていた。 『君には俺だけだよ、愛してる』
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