【二章】番いのαから逃げた話

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芦屋さんは食った食ったと平らげてご満悦そうだった。 それもわざわざ食器を洗って帰るんだから律儀な人だ。 「~~~♪」 「……」 それと大雑把で繊細さのない豪快な人。 あの人と似てるところなんて一つもないのに、台所に立つ後ろ姿だけは―――― 「…せ、」 「あ?どうした?俺に見惚れて」 「そんなんじゃない。こんなに冷食もカップ麺もいらないのに」 「しょうがねぇだろ?俺だって簡単な作り置きくらいはできるけどよ、世話を焼かれ過ぎんの八木君は望まないだろ?」 「…既に滅茶苦茶焼かれてますが」 いらない送迎も買い出しも、俺の発情期の事前準備だ。 俺は番いを持ったΩだ。もしもフェロモンが漏れていたって誰かを誘惑することもない。 なのに芦屋さんは自分のことを、Ωを放っておくことを気にしてしまう質だと言った――βなのに。 「辛いだろうけど頑張れ。けど、もし何かあれば連絡しろよ?」 「俺は一人で大丈夫です」 「はは、強情だなぁ」 俺の頭を撫でようとした手を、そっと降ろして芦屋さんは帰って行った。 そして玄関の扉が閉まると同時にトイレへと逃げ込む足。 「…う゛っ……、おぇ」 芦屋さんのせいじゃない。……間もなく迎える発情期を楽に過ごそうと服用した抑制剤の影響だ。処方した薬がいまいちで体が拒絶してしまう。 (望んでた、βと同じ生活のはずなのに…) 理想と現実はいつまでも俺を苦しめた。 「……ん、あっ…、あっ」 番い欠乏症でもなんでも定期的にやってくる発情期。 はじめて番いがいないときに味わったそれは―――絶望でしかなかった。 (もっと、奥に、欲しいのにっ…指じゃ届かない…っ) 苦しくて苦しくて、どんなに涙を流したって意味はない。 物足りなくて疼き続けるみっともない穴のために取り出したのは、前回の発情期に耐えきれずに明けた後に買いに行ったディルトだ。 まさか初給料で買ったのが玩具だなんて死ぬほど情けないけど、頼るしかなかった。 「はっ、はっ…、あ゛っ、あんっ、」 高く腰を上げてずぷずぷと埋め込んでいく無機質な冷たさに、ひくッと震えたのも一瞬。さっきまで夢中で指でほぐして濡れた後孔は、すんなりとディルトを歓迎した。 (あ、気持ちいい…、ん゛、はっ…、、もっと…) まだ足りないんだ 擦りたい、浅いことろも深いところ、…、ちょっと硬すぎて苦しいけど指よりはずっといい。 「~~~~~~~っ、はっ、あ、あっ、ぅっ、」 自分のイイところは自分が一番分かっている、甘い痺れを求めて夢中で手を動かす。 イッても出しても出しても、どんなに無様でも、しょうがない。 気持ちが良くて、満たされる 「あっ、あっ、せっ…、ゃっ」 ぎゅ~~~っともう片手で必死で掴んでいるシャツは……先生に買ってもらったシャツ。 匂いなんてものはとっくに消えているけど、俺が唯一所持している、あの人に貰ったモノだった。 「やっだ、またっ、いくっ、イッ―――――!!」 ぱたぱたっと滴り落ちる透明の液体。 前も後ろもどろどろに溢れて汚れて… ニンゲンじゃない惨めな生き物に成り下がった気分だった。 それでもまだ勃起は治まらない。 体の熱も、快楽とそれ以上を求めて暴走する頭も…… 「・…うっ、…、な、んで・…っ、う゛、いや、いやっ…、だ、…、っ」 もっと気持ちよくなりたい 抱かれたい、キスしてもらいたい セックスがしたくて、セックスがしたくて……… 【唯、―――、 「――――っっ、!!」 誰よりも縋りたくない声に安心させてもらいたい首を必死で振った。 自分勝手に逃げて、逃げて選んだ道だ。 そしてあの人は幸せになった、佐伯さんという伴侶もいる。 (母さん…、おれは、だれの…、幸せも壊さずに済んだよ…) 誰よりも俺の望んだ、望んだ結果。 こんな悲しいって感情も一時だ。ハッピーエンドになったんだって、後悔もしたくない おめでとうって拍手喝采のファンファーレがあってもいい。 それがつらいだなんて、―――心も体もバラバラだ 「…………っ、うっ、う゛ぅ…っ、やだ、やだっ…、っ」 泣きながら慰め続ける行為。 俺がこの行為に疲れ果てて眠るまで、今日は終わらない。
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