【二章】番いのαから逃げた話

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 * * * 「おかえりなさい、にーに」 日付が変わる手前。ようやく家路についた新野を出迎えたのはソファーの上で、それも上から下まで一切の衣類を身に纏わず悠々とワイングラス片手に微笑を浮かべるΩだった。 「今夜も素敵な顔色ですね」 「帰って早々の嫌味をどうも」 「どうですか、貴方も一杯?」 「悪いけど気分じゃない」 新野は佐伯の誘惑には乗らない。暑いと着ていたジャケットを脱ぎ捨てると冷蔵庫から取り出したペットボトルの水を飲み干す勢いで胃に流す。 「おや。据え膳のつもりだったのですが?」 「…尊。頼むから冗談はよしてくれ、真面目に疲れてるんだ」 「なんだか倦怠感に溢れる夫婦みたいな会話ですねぇ」 興味を示さない新野を見た佐伯は、”せっかく貴方の為にイタリアからワインと生ハムとチーズを取り揃えたのに!嫁に指一本触れない薄情な旦那様だ”、と愉快そうにしている。 そう。佐伯尊という男がこの程度で傷つく性格ではないと新野はよく知っていた。 「そんなことより君は、芦屋に連絡しなくていいのかい?」 「しようにも残念ながら私もアッシーに連絡をブロックされてます」 「アイツの臍を曲げさせた君が悪い」 新野と佐伯と芦屋の三人は学生時代からの付き合いだ。 そして新野と佐伯の婚約が決まったのは二人の第二性が判明したあとの親同士の都合。 佐伯の実家は子会社の中でも業績の上がらない会社だったがΩは希少だ。さらにα婚に拘る新野の両親がするほどに、中学生に上がったばかりの佐伯の中性的で美しい容姿は大人すらを魅了した。 婚約後も三人の関係は変わらず、腐れ縁、仲良し三人組など色んな呼び方をされてきた。 そして、 ドサッ―――― ソファーに崩れる佐伯のきめ細かな白い裸体、床に落ちたグラスから零れるワインにどちらも気を止めない。 「あっ……」 佐伯の前には冷たく暗い瞳に押し倒された四肢と、憎々しいと首にまとわりつく両手があった。 「八木千歳(唯の母親)がストーカーを行為してると、あの男に教えたのは君だな?」 「毒親の末路に興味はありませんが、αは勿体無い。彼に恩を売っておいて損はないと考えました」 「…………」 新野が八木唯を手に入れるため彼の母親に差し出したはずの”元旦那”の居場所。 その母親は唯が逃げた数日後、元旦那の執拗なストーカーとして逮捕されていた。そして所持していたバッグの中に違法薬物と刃物があったことで殺人未遂だけでなく薬に関する容疑もかけられている。 しかし地方では大したニュースにはならず、テレビを見ない唯は知らない事件だ。 「貴方の計画では父親は殺されて、彼女は後追い自殺するか殺人犯として都合よく処理される予定だったのでしょう?」 「君のせいでぶち壊しだ」 ―――――あぁ。焦がれてきた目だ。 今までも憎悪に燃えて歪む瞳を感じても、喉仏に力が込められることはなかった。 「俺の番いを何処に隠した?」 佐伯が口を開こうとした時、ヴーッヴーッと二人の静寂を切り裂くように震える着信音が鳴り響いた。
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