1:カニ

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1:カニ

 昨今のブームに乗かっているのか、僕の地元の道の駅はなかなかの田舎だが、週末に限らず平日でもそれなりに混んでいる。なので、週末の今日は開店から大賑わいだ。午後になると産直の野菜売り場は売り切れが目立ち始めるけど、相変わらずお客さんは多い。けれど、お昼のピークが過ぎたフードコートのお客さんはまばらになった。フードコートと言っても、飲食店が何店舗も入っているわけでは無く、うどんがメインの店が一軒と、店内で売られているお弁当や軽食が食べられる飲食スペースといったところだ。  セルフサービスの返却口は、まだどんぶりが山積みになっていて、アルバイトの僕は持てるだけのどんぶりを何度も洗い場に運びながら、雑談を始める。  「もうすぐ、カニが解禁されるじゃないですか。彼女もカニ、好きらしくて。鈴木さんのお勧めのお店とか、あります?」  バイト中の雑談は一緒に入る人によって内容は変わる。今日一緒に入っている鈴木さんとは、食べ物の話が多くなる。  「カニって、若いのに食べたいと思うんや」  「カニに若さとか関係あります?」  僕が運んだ食器をすごい勢いで食洗器に詰め込んでいる鈴木さんは、仕事の手を止める事無く僕の問いかけに応える。  鈴木さんは僕と同じ年頃の息子を持つ四十代のおばちゃんだけど、髪色やメイクのせいか母親よりは全然若く見えるし、最近流行っている音楽にもカルチャーにも興味や関心を持っているらしく、話しの途中でイチイチ説明しないでいいから、感覚としては地元の先輩と話しているような感覚だ。でも、実際には親子ほどの年齢差があるから、多少失礼な事を言っても受け流してくれるので、先輩と話すよりも気が楽だ。  「関係無いの?二十歳そこそこの若者は、カニより肉でしょ」  「若いから肉って。発想が安直すぎますよ、鈴木さん」  「ほな、お返しに。私がいい歳やからって、カニが美味しいお店を知ってるとはかぎらへんのよ。私、カニは殻が面倒くさくて、食べたいとは思わへんのよね」  「えっ?あの黙々と殻から身を取り出すのも、美味しさの一つじゃないですか」  「ハル君。カニを丸ごと一杯食べた事ある?」  「はい。一杯って言うのは大げさかもしれませんけど、毎年ふるさと納税で届くカニを食べますよ」  「それって、誰かが足と胴体を切り離して、硬い足の殻に包丁入れて半分にしたり、頭を開いてカニ味噌を食べやすくしてくれてのを、カニスプーン一本で食べてるんやんな」  「はぁ、まぁ」  「ハル君のご家庭ではそれが誰の担当かは知らんけど、ウチは、何でか私の担当やったんよ。お義父が食べさせたいと思ってなんやろうけど、毎年カニが解禁されると、何杯もカニを買って来るんよね。そんで、それを食べやすく下処理するのは、いっつも私。カニの身は美味しいけど、カニの殻はちゃんと硬くて、ハサミは軍手しててもしっかり痛くて、美味しさよりもその下処理が嫌すぎて、好きやったけど、キライになったわ」  鈴木さんは声のトーンを一切変えずに淡々と笑顔で話すが、言葉の中に含まれている「怒り」みたいな「苛立ち」みたいな感情は鈍感な僕でも読み取れて。目の前の鈴木さんは笑顔で話しているけど、僕の想像の中の鈴木さんは、軍手をはめた両手でカニに怒りをぶつけながら足をもぎ取っている姿だった。  「カニって、食べるまでが大変なんですね」  「そうなんよ。ちなみに、嫌になった私が一切カニを下処理せんようになったら、お義父さんがカニを買って来ることは無くなったわ。だからハル君。これからはちゃんと感謝して食べるんやで」  「はい。じゃあ鈴木さんはカニは見るのも嫌なんですね」  「ううん。今は、身をほぐしてくれるんなら食べてもいいけど。くらいの好き」  「そうか。じゃ美味しいお店なんて、分からないですね」  僕は鈴木さんの過去のイライラが復活しないように願いながら、会話を終えようとした。  「彼女とデートやったら、ドライブがてら越前の方に行ってみたら?カニの看板が上がってるお店は、どれも外れは無いよ」  「えっ?知ってるじゃないですか」  不意打ちをくらった僕は、思わず驚きの声を上げた。  「知ってるうちに入らんやろ、こんなの。まぁ、私が行ったんはもう何年も前やけどね」  鈴木さんは、何だかんだと言いながら僕に答えをくれる。今回はさすがに無理かと思ったのに。心配したイライラの復活も無いようだ。  鈴木さんが業務用の食洗器に入れて洗いあげたたどんぶりは、熱くて取り出すだけで一苦労だけど、素早く取り出して空のカゴを渡さなければ、作業が滞り、鈴木さんのリズムを狂わせてしまうので、今日の相方としては、どんぶりの熱さよりも作業効率を優先する。  空になったカゴに、また次々とどんぶりを並べて行く鈴木さんに、僕は新たな相談を持ち掛ける。  「ドライブかぁ。免許は持ってるんですけど、普段運転しないから運転は得意じゃないんですよねぇ」  大学生2年の僕は、高校卒業の時期に運転免許を取得したが、普段の生活では車を運転するよりも、乗せてもらう事の方が多く、初心者マークは外れているのだけど、気持ちも技術もまだまだ初心者と同じだ。  「彼女は免許持ってへんの?」  「持ってます。僕と同じ時期に教習所通ったって言ってました」  「じゃぁ、彼女に運転してもらえばいいやん」  「えっ、彼女に?」  洗いあがったばかりのどんぶりを抱えていた僕は、その熱さよりも鈴木さんの提案に驚いて思わずどんぶりを落としそうになった。  シンクに満タンだったどんぶりをすっかり洗い終えた鈴木さんは、焦りながらどんぶりを落とさないよう抱えている僕を見ながら、にこやかに言った。  「まぁ、ウチは結婚してるから、彼氏彼女の関係や無いけど。出かける時の運転は私がする方が多いよ」  「えっ?旦那さん、運転苦手なんですか?」  「ううん。仕事で毎日運転してるから、休日はあんまりは運転したくないんやって」  「鈴木さんは運転得意なんですか?」  「別に。得意でも無いけど、運転できるからする。って感じ」  「へぇ。僕の家は、父親がほぼ運転しますね」  「そうか、まぁでも。今は男女平等、ジェンダーレスな時代やしね。デートで男が車運転せなあかんなんて固定観念、そろそろ考え直した方がええんとちゃう。もしかして彼女、運転好きかもしれんやん。まぁ、これは時代関係なく、見栄張るより頬張れ、なんとちゃうかな」  出た。鈴木さんの本日の諺。  鈴木さんは、いつも急に諺や格言を出してくる。その時はさすがに世代の違いを感じてしまう。  「見栄張るより頬張れ。ってどんな意味なんですか?」  会話の流れで何となくは分かるけど、曖昧に解釈をするより、初めて入れる知識として正確な情報を入れた方がいい事は、最近身を持って知ったところだ。  「世間体を気にするよりも、実質をとれ。てこと。まぁ、私の経験から行くと、見栄張るより恥かけ。の方がしっくりくるけどね。恥って、自分で思ってるより、相手にとってはどうでもいい事やったりするから」  なるほど、確かに。  彼女は首が短い事を気にしているけど、僕にとってはそんな事気にならないし、むしろ可愛い彼女にもコンプレックスがあることで、親近感を覚えたりもする。って事かな?違うかな?  まぁ、要は、苦手なことは隠さずボロが出る前に白状するのが最適解だってことかな。  「…彼女に運転は得意か聞いてみます。それで得意なら、カニを食べるドライブデート。提案します」  「うん。一人で決めないで、相談するのが一番いいと思う。美味しいカニ食べて、楽しいドライブしてきてね。お土産は、カニじゃなくて羽二重餅がいいわぁ」  「ホンマ、鈴木さんって、甘いモノ好きですね」  「うん。甘いモノ食べると、幸せ感じるやん」  「確かに。甘いモノって、食べると幸せ感じます」  鈴木さんの言葉全部が僕の思考を広げて、気づかないうちに背負っていた自分勝手な男のプライドを下ろしてくれた。  そう言えば彼女。ワイルドスピードの最新作を友達と見たって言ってたな。        
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