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「その、俺と会うと勉強時間減って……もし村瀬が第一志望落ちたりしたら、とか…」
今まで抑えてきた感情が一気に爆発して、言いたことの文章化すら上手くできない。
しかしそれでも村瀬は黙って優しく聞いてくれた。
そして俺が言い終わると、俺を安心させるかのように小さく笑って言った。
「先生、あんまり俺を見くびらないでくださいよ。今まで何年『優秀』やってきたと思ってるんですか?第一志望くらい絶対に合格してみせますよ。だから……先生のせいで俺の人生ダメにするなんて言わないでください。……むしろ先生のおかげで俺の人生ハッピーなんですから」
また涙が溢れそうだった。
やっぱり村瀬はすごい、たった少しの言葉で俺のつっかえを一瞬で消してしまうのだから。
「あ、でも先生の立場もあると思うから残り半年は塾以外で会ったり連絡取ったりすることは俺も我慢します。『生徒』の俺とは二度と接触しないんでしょ?」
村瀬がいたずらっ子のように笑った。
俺もつられて笑った。
「じゃあそろそろ帰ります。九月の模試でまずはしっかり結果出さないとなので」
「ああ、そうだな」
「…ひとまずの外でのお別れなので、ハグしてください」
「お、おう」
いきなりお願いに少し照れながらも、村瀬の背中に手を回しギュッとハグをした。
村瀬も俺を思いきり抱きしめる。
抱きしめながら、耳元でそっと囁いた。
「…もひとつお願いいいですか?」
「な、なに?」
「…名前、呼んでください」
「え?あー、と……じ、仁?」
「もう一回」
「……仁」
「よくできました、裕樹さん」
満足した村瀬はそのまま軽く手を上げてニコニコとした様子で俺の家を後にした。
俺は片手で口を抑えたまま、村瀬が出ていった扉をしばらく見つめていた。
夏休み最終日。
多分、今の俺の顔は外を照りつける太陽よりも真っ赤になっているだろう。
甘く呼ばれた自分の名前を何度も脳内でリフレインさせながら。
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