7人が本棚に入れています
本棚に追加
Ⅰ.月夜にお散歩
――今夜の月は眩しかった。
田舎の夜は、そうでなくても月明かりが頼もしい限りだが、満月の今宵は特にその存在感が際立っている。
「夜に外に出ると、夜行性の獣に狙われてしまう」と教えられてはいるものの、とある一匹の若い鹿にとって、初めて経験する「明るい夜」はじっと寝ていられるような代物ではなかった。
「……こんな夜に大人しく眠れるほど、俺はおぼこくないぜ」
そう呟きながら、鹿は喜々とした足取りで巣穴から飛び出して行った。
日中は泥のように煤けて見えたキノコが、月の光を受けて黄色に紫色に輝いていたり、いつ咲くんだと訝しんでいたあの蕾が、満月に呼応するように大きく花弁を広げていたり。
日中の光景しか知らない鹿にとって、ワクワクが止まらない禁断の夜のお散歩だった。
「新天の地に胸躍れども、安住の地に永らへる」とは、古くから鹿族に言い伝わる言葉である。当然この鹿も知るところであるが、思考は前半の句で止まってしまっているらしい。その胸は躍るばかりで、只々夢中になって山中を駆け巡っていた。
最初のコメントを投稿しよう!