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第1話
今日は珍しく、午前中にベッドから出ることが出来た。荒縄で締め上げられるような鈍い頭痛と一緒に、大志は階段を下りた。
午前中に目覚めたとはいえ、時刻はすでに一〇時を回っていた。共働きの両親も、就職した姉も、もうこの時間には家にいない。
いつものように静まり返った家の中、締め切られた窓の向こうから、自動車の行きかう音、そしてたまに、誰かの笑う声。
リビングルームに入ると、きつすぎないように配慮されたルームフレグランスの香りと一緒に、食べ物の匂いが鼻腔に滑り込んできた。
見れば、テーブルの上にビニールラップがかけられた皿が一枚あった。
皿には目玉焼きとほうれん草、半分にカットされたウィンナーが、お互いの領域を侵さぬように整然と配置されている。
皿の隣には、走り書きのメモが残されていた。
“今日は昼休みに帰れません ご飯は冷凍庫にある冷凍食品とかを使ってください ”
母親の字だった。職場が近いので、このところ昼休みにはいつも家に帰ってきて、昼食を一緒に摂るようにしている。
大志はメモ書きを引っ掴んで、一旦は丸めて握り潰したものの、それをそのままゴミ箱に捨てることはせず、寝間着のポケットに突っ込むようにしまった。
それから皿に掛けられたラップを外し、カトラリーの籠からフォークを一本、適当なのを取り出して皿の上の食事を食べ始めた。
ほうれん草を舌の上にのせて、しばらく噛まずにいる。
そうしていると、昔だったらほうれん草に絡んだバターと塩の味が、じんわりと口の中に広がっていた。
なのに今は、その味がわからなくなっていることに気付いた。
目玉焼きだって、以前だったら何もつけずに口の中に放りこんでも、白身の豊かな膨らみを持った風味、その中で引き立つ黄身の濃い香りを敏感に感じ取ることが出来ていたはずだ。
なのに、それも今はよくわからない。
とはいえ、ドレッシングなり何なり、何か別のものをかけようという気にもならなかった。 かけたところで、愉快な気持ちにも、特別な気分にもなるわけではないのだ。
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