月蝕の憂い

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月蝕の憂い

我らと人類は 『天の御遣(みつか)い』を根絶せんと 『侵蝕(しんしょく)の門』へと踏み込んだ。 そこは 我らの()まう大地を(かたど)っていた。 原野や河川 森林や山地や谷底 街並み まるで人類が生活を営むような 様相ではあったが 構成要素すべてが白黒の濃淡でしかなく 大地からの(あふ)れる精気は微塵(みじん)も感じられず 生命力を著しく欠いた 灰色だけが支配する 色彩を失った死の世界だった。 『侵蝕の門』入口付近には ぬめりのあるなにかが ()()り回った(あと)が残されていた。 濃緑色に染まりし(うごめ)叢雲(むらくも)の如き 『天の御遣い』どもが門を潜り抜けた 跡なのだろう。 死世界の山を越えた さらにその先には 切り立つ崖に断絶されし 一際目立つ台地があった。 台地の上方は灰色の濃密な(もや)がかかり なにが存在しているのか目視できない。 人類の創り出した機械の力を()ってしても なにが()るのかは確認できずにいた。 我らはその台地を目指し (たか)る『天の御遣い』どもを()ぎ払い 死の世界を突き進む。 突き進む。 台地と地表とを分断する 絶壁ともいえる断崖をよじ登り ついに 我らは台地の上へと辿り着いた。 台地の中央には 不可思議な構造体が浮かんでいた。 視る方向が変わるごとに 様々な色彩へと変化する 何色とも形容し難き 多面体と思しき構造体。 (のぞ)き穴も 筒もないが さながら万華鏡に映し出される 目眩(めくるめ)くような極彩色は まるで地表のあらゆる色彩 精髄や生命力を吸い尽くしたか。 面には呪術めいた 気が触れよとばかりの 異様な幾何学文様が彫り込まれ その混沌の裡に整然と浮かぶ多面体は あまりにも不自然で 不気味な悍ましさを放つ一方で 耽美的な妖艶さすら含んでいた。 多面体の上部には 何処(いずこ)から湧いて出たのか 人間の骸 我らの同胞の亡骸 よくわからぬ生物の死骸 それらが次々と現れては 多面体へと吸い込まれて行く。 多面体の縁から溢れ出た緑色の液体が 幾何学文様の溝を伝い 多面体の下方へと流れ落ちて行く。 下向く多面体の角から 大きな(しずく)(したた)()つと 濃緑色の(あぶく)と化し 弾け散ると同時にそこから 新たな『天の御遣い』がまたひとつ 現れた。 我らには目もくれず 『天の御遣い』は黒き翼をはためかせ ふらりふらりと 何処(いずこ)かへ飛び去って行った。 多面体は あらゆる(かばね)(にえ)として (しぼ)(つぶ)し吸い集め (いやし)()(はら)ませ 産み出す仕掛けであった。 しかして我らは期せずして かつての同胞 かつての仲間 かつての親族 かつての友の亡骸を糧に産まれし 落胤(らくいん)どもと 戦っていたのだ。 ただただ 大地から精気と 生命と その痕跡を消し去るために存在する 織り機や糸車のような(からくり)。 多面体の奥底から轟と響く声。 だのに赤子の産声にも 病魔に()(かす)(ささや)老爺(ろうや)の咳にも 清廉(せいれん)な賛美の合唱にも 荘厳(そうごん)な僧侶の読経にも 聞こえた。 「なにゆえ われらに あらがう?  なぜゆえ われらに はむかう?  きえゆく ほしの うんめいを  なぜに なんじらは うけいれぬ?  いたみなく くなく おそれなく  あんらくと あんそくの しへと  なんじらを みちびかんと  さだめに したがいし  われらの こを なぜ あやめる?  あらがうことを やめ  われらが いざなう しを  なすがまま うけいれよ  われらの いざなう しこそ  なんじらが しこうの しゅくふく  いざ ゆけ しでの たびじへ」 脳へ直接送り込まれるようにして 繰り返し放たれるその声は あまりにも(けが)らわしく 不浄で 醜悪で 忌むべき 憂いに満ちた天からの 福音。
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