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別れの日
話が通じない、桂は心底疲れた様にため息を吐いた。
「不妊に悩む友人に、精子を騙されて提供した?
それが通じると思ってるの?」
「ちょっと検査を受けて、亮一の精子と比べたいって言われたから採取して提出したら、使われたみたいなんだ」
項垂れて言う亮介に桂は、悲しみとも怒りともつかない表情で見つめ、リビングにあるソファへと疲れた思考回路を投げ出すように体を沈めた。
「あのさ、不妊治療に他の人の精子を使うって、普通に医師が関わってるのに、同意書も無く受精卵作る為に使用するわけないでしょ。
それとも、出す場所間違えたとでも?」
侮蔑を含んだ笑いを浮かべて、亮介を見た。
しかも友人て、兄貴の嫁じゃん。
「でも、本当に子供を望んでたから!」
「で、四人もいる子供が自分の子かもしれないって事ね。
って言うか、四人も作らせてやったんだ、笑える。
俺が子供産めるわけないもんな。
亮介がバイで子供が欲しいって気持ちは分かるけど、最初に言って欲しかったよ。
せめて、長男が生まれた時に言って欲しかった……」
土下座をする様に頭を下げる亮介に、桂は眉を寄せて、だからか、と呟いた。
内装のデザインを仕事にしてる桂が整えたやわらかい雰囲気の部屋で、亮介の存在は一点のシミの様に見えた。
「亮一が離婚する前も、離婚した後癌で死んでも、義姉の香子を最優先してたもんな。
夜中だろうが、呼び出されたら車出して送迎して、バカみたいに店の前で何時間も待機してさ。
この数年は離婚したから足が無いって言って、夜勤明けだろうが熱が出てようが送迎してたもんな。
俺の誕生日ですら、そうしたよな。
単に兄嫁を心配する弟ってわけじゃなかったんだ。
兄貴の女とって、沼しかねぇじゃん」
目頭を押さえて、桂はあふれ出そうな涙を誤魔化していた。
「別れたくない、桂が好きなんだ!
香子たちの事は亮一から死ぬ間際に頼まれたから、だから!」
「で、下半身の方までお世話をしたって事な」
「香子とは何もないって! 本当だから!」
「さっきから言ってるけど、もし本当に騙されて勝手に精子使われたって言うなら、詐欺だし訴え起こせよ」
「それは、子供が可哀相だろ?」
「あーそっか、用意周到だよな。
兄弟ならDNA検査でもわかんねぇもんな。
兄貴の子だと言われればそうなるし、お前の子でも兄貴の子だって通せるもんな」
実際は数百万も出せば確定できるのだが、桂はそれを分かった上で一般人に出せる程度の鑑定料の結果では、どのみち亮介兄弟が親だと指し示すと理解していた。
「で、別れないってお前が言っても、俺の中でお前はもう他人のもんなんよ。
その竿を共有する趣味はないから、出て行ってくんない?」
「桂! 本当に好きなのは桂なんだよ! 分かってくれよ!」
もう一度大きく息を吸って、盛大なため息を吐いてから、再度亮介に通告した。
「俺は、控え選手じゃねぇんだ。
女に種まいたならどうなるか理解してるだろ? 中学の保健体育で習った事だぞ?
仮に、精子を提供しただけだとしても、だ。
お前の中で自分の子として認識してる以上、俺はこの関係を続ける事は出来ない。
お前が言ったように、子供が可哀相だ。
なら答えは簡単だ」
こんな事になる数十分前に、香子が桂に電話で告げた事は、亮介を父親として返して欲しいと言う事だった。
話の展開も、事情も咄嗟の事で何を言われたか理解が追いつかなかった所で、直後に帰宅した亮介からの懺悔を聞くはめになった。
休日の夜の、本当なら二人でいろいろ相談して、これからのことを考える時間のはずだった。
「桂、そんな事言うなよ。
俺が桂を最優先する! 一番は桂だから!」
「もうこれ何回言った?
前からお前はそう言って謝るけど、誕生日もクリスマスも、俺の親への挨拶の時だって中座したまま帰って来なかったよな?
理由覚えてるか?
誕生日の日は香子が階段から落ちて動けないから病院へ連れて行ってくれ、クリスマスは子供たちが友達の家のパーティーで悲しい思いをしたから迎えに行く、そして親への挨拶の時は精神的に不安定な香子が自殺騒ぎを起こして子供達からママを助けて、だっけ?
これだけの事があっても俺はお前を送り出してきたが、理由が自分の子かもしれないから放っておけないなら、送り出す前に追い出してたけどな」
「これからは違うから! 香子とはどうにもならない! 父親だから子供たちの事は面倒見るけど、違うから!」
「なぁ、それ、本気で言ってる?
俺は二番手、いや三番手か、そこに甘んじて我慢しろってお前は言ってるんだよな?
都合の良い別宅とでも思ってんのか?
俺、いつまで我慢すんの?
三日? 一週間? 一ヶ月?
じゃぁ、さ、俺も他に拠り所を作るから、そっちとの付き合いとの合間になら、お友達をやってやるよ。
あくまでお友達な、それ以上でもそれ以下でも、ましてや絶対お前とは関係を持たない!
それならいいだろ?」
桂はもし本当に他の誰かと始まったら、とてもじゃないけどそんな裏切り行為は出来ないと思っていた。
「でも、それも俺次第で友達も辞めるから」
亮介はこの提案を全否定した。
「ダメだ! そんなの浮気じゃないか!! 桂は俺のだろ!」
「どの口が言ってんだ、あぁ?」
間違いなく桂が言ってる事が正しく常識なはずだが、亮介はそれを理解しようとしなかった。
ただ一点、もし亮介が言ってることが本当なら、本人にとっては浮気ではないだろう。
だが桂にとって香子から来た電話でも、それを信じるには難しい心境だった。
「お、ま、え、が、う、わ、き、だろうか!」
「浮気なんかしてない、気持ちは桂にしか無いから!」
「あのな、世の中の基準と他人の基準は分んねぇけど、まずな、恋人や夫婦関係の相手以外にちんこ突っ込んでる時点で浮気なんだよ。
ましてやお前、笑っちゃうけど四人も子供作っといて、そりゃないだろ、な? もういい加減分かれよ?
俺の中で、お前への気持ちは一ミリも残って無いから、これ以上くだらない事言うなよ。
大体、香子に父親を返してくれなんて言われて、俺が黙ってなきゃいけないのかよ?
女だから? 弱いから? それなら俺だって弱いよ! お前が好きだから束縛しちゃいけないって言いきかせて! 大人ぶって男の恋愛はこんなもんだって諦めたさ!
でもな、好きなやつと一緒にいたい、大好きだって言葉を交わして確認して守ってもらいたいって気持ちはおんなじなんだよ!!」
もう疲れた、無理と呟いて再びソファで目を閉じた桂が、鍵は置いて行けと付け加えた。
目を閉じてる間に亮介が動いた気配がし、しばらくして鍵の束が落ちる音と共にドアが閉まる音が響いた。
それなりに長い恋人関係が終わった瞬間だった。
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