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「そうか、それならばはっきりと教えてやる。今までのは全て演技だ。初めて会った日の事を忘れたか? 俺は平気で嘘がつけるんだよ。どんな男でも演じられる」 「……それは、今までの事が、全て、演技だったって、事なんですか?」 「だからそう言ってるだろ? 頭悪ぃ女だな」 「…………そんな……」 「最後に一つ教えておいてやる。俺は殺し屋だ。お前とは住む世界が違う」 「殺し、屋?」 「この事は他言無用だ。言えば、お前も家族も近しい人間全ての命は無いと思え」 「…………」 「分かったら、もう二度とここへは来るな。俺の事も全て忘れろ。いいな?」 「…………そんな……本当……に?」 「二度は言わない。もう、話は終いだ。さっさと出て行けよ。さよなら、雪城 円香サン」 「…………っ」  伊織の言葉に深くショックを受けた円香は震える身体で何とか車を降りると、そのままふらふらと歩き出して行った。  そんな円香を、車内から見送る伊織。  彼は、全身が震え上がるような怒りを必死で押さえ込んでいた。  よくもあんな酷い事が言えたものだと自分自身の事が腹だたしくて仕方が無かった。 「……悪ぃな、円香。あんな言い方しか出来なくて……幸せになれよ」  もう二度と関わる事は無いであろう彼女の幸せを願いながら、その場を動く事が出来なかった伊織はこの夜、一人車内で過ごす事にした。  一方円香はというと、駅前からタクシーに乗って何とか自宅まで戻って来たものの誰とも口を利くことなく自室に閉じこもってしまう。  ベッドの上に倒れ込むと、伊織の言葉を思い出しては一人涙を流して悲しみに暮れていた。 (伊織さん……本当に、全て演技だったの?)  円香には、何が本当なのか分からなかった。  出逢いからこれまでの日々は全て演技だと彼は言っていたけれど、そんなはずはなかったと思いたかった。 「……っ、伊織……さん……どうして……」  その時、ふと彼が自身を『殺し屋』であると言っていた事を思い出す。 (殺し屋……もしかして、伊織さんはその事があるから、私を遠ざけようとしたの、かな?)  勝手な解釈かもしれないけれど、円香はそう信じたかった。  短かったけれど伊織と過ごした幸せな日々が作られたものでは無かったという事を、願わずにはいられなかった。
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