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日常
「おはよう」
「んー……」
フィーネが一通り身支度を整えて一階に下りると、男はすでに起きて朝食を作っていた。
肉の焼ける匂いや、彼の慣れた手つきで野菜を切る音に、彼女は少しづつ覚醒していく。
「もうちょっとでできるから待ってて」
「うん」
フィーネはダイニングチェアに座ると、手際よく作業を進める男を見つめた。
「そんなに早く食べたいの?」
視線に気付いた男は、作業の手を止めることなく笑いながら訊いた。
「別にそういうことじゃないけど」
フィーネは見つめていたことを見抜かれ、恥ずかしそうにそっぽを向く。
その後、今度は男が彼女を見た。ほんのりと赤く染まった頬を見つけ、男は優しく笑いながらまた作業に戻る。
「そっか、今日は朝からお肉だもんね」
からかいの意を込め、男は言った。
今焼いているのは、調味料に漬け込んだ肉。フィーネの大好物だ。男の味付けは完璧で、どの料理でもペロリと食べられる。今回のものは、朝から食べることを想定しており、あらかじめさっぱりとした味付けになっている。
痩せた彼女を肥えさせる、という男の目的はその手腕から徐々に達成されつつあった。しかし、ある時を境に一向に増えなくなり、男は不思議に思いつつ作る料理の種類を増やしたのだった。彼女の努力を、男は知らない。
「だから違うってば」
フィーネが拗ね気味に言うと、「ごめんごめん」と大して反省していないような謝罪が聞こえた。
「はい、どうぞ」
フィーネのご機嫌を取るかのように、男はタイミングよく何かをキッチンカウンターに置いた。カウンターに乗せられたのは、紅茶の入ったティーカップだ。いつの間に淹れていたのか、彼女にも把握できていなかったが、ありがたく受け取ることにする。
座ったままカウンターのティーカップへ手を伸ばし、「ありがと」と感謝を述べた。
一口飲めば、いつもの通り美味しかった。
男が庭で育て上げた自慢の茶葉とハーブが使用されているのだ。甘く、爽やかなのが特徴で、フィーネの口によく合った。
「メインも焼き上がったよ。食べようか」
「うん」
フィーネは立ち上がり、カウンターに乗せられていく皿をテーブルに並べる。
皿を全て机に移し終えると、男は席に着く。
「「いただきます」」
二人で手を合わせ、挨拶をした。
フィーネはサラダを取り分け始めた。様々な種類の野菜を、小皿にバランスよく均等に分ける。それを二人分。
サラダの野菜は自家製で、どれも朝に男が収穫したものだ。新鮮で栄養価も高い。
「ありがとう」
フィーネから小皿を受け取った男は礼を言った。
一方、男はパンを手にしていた。まずパンの真ん中を割く。そこにバターを塗り、レタスと肉を挟む。最後に、新たに作った、肉を漬け込んだ液をソースにしたものをかけ、完成だ。これはフィーネの好物である。
出来上がったものをフィーネに手渡し、次に自分のを作り始める。
「ありがと」
フィーネも礼を言うと、渡されたものを頬張った。直後、顔を綻ばせる。『美味しい』とその顔が物語っていた。
男もそれを見て、嬉しそうに微笑む。
「美味しい?」
フィーネの表情から分かってはいるものの、直接彼女の口から聞きたくて、そう尋ねた。
「当たり前よ」
彼女は恥ずかしげもなく、自信満々に言う。
「良かった」
しばらく雑談をしながら食事をして、食後の紅茶とフルーツをつまむ時間となった。
「今日はどうする? 散歩でもする?」
男は、くし切りにした桃をフォークで刺して食べた。
「依頼があるかもしれないじゃない」
フィーネも同じように口へ運ぶ。
「うーん……、それもそうか」
男は紅茶を飲んだ後、無意識にカップの持ち手をいじる。
「でも、依頼を気にしてたらさ、ずっと家にいることになるよ?」
「それはそうだけど……」
フィーネの心が揺れたところで、男は畳み掛けた。
「そうだ。今日は湖まで歩こう。紅茶とお菓子を持って……、あ、花見でもどう?」
フィーネはその情景を想像した。
「……うん、楽しそう」
「じゃあ簡単にだけど、お菓子を焼こうかな」
男は菓子作りも上手かった。
「私も作るわ」
「うん、一緒に作ろう」
それから二人は、それぞれの食べたいものを作り合った。
湖まで歩き、色づき落ちた葉を退かしつつ、芝生の上に座った。
二人は持ってきた紅茶とお菓子を食べながら、他愛もない話をする。そんな、ゆったりとした時間を過ごしていた。
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