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「今平気?」
ローブのフードを目深に被ったまま、作業に没頭する男にそう訊いた。
ディアンがランプロス邸で奮闘する中、フィーネは彼の実家であるフォルシュリット邸に再度来ていた。
断りも入れず、フィーネは部屋の中央にあるテーブルの両側に置かれた椅子のうち、窓側に座る。これはゲラーデが来客と仕事の話をするときに使用するものだった。
「いや、忙しい」
ゲラーデの言葉は嘘ではない。机には書類が山のように積まれており、それを捌くので忙しそうだ。
「君はいつもどこから侵入しているんだ?」
しばらく黙っていると、目は書類に向けたままゲラーデが訊いた。
フィーネはこの男に素顔を見せたことがない。彼は声と背格好から、この怪しい人物がフィーネであることを判断している。
「窓からよ」
フィーネは窓に顔を向ける。ゲラーデもそれにつられて窓を見た。しかし、すぐに何か疑問を見つけたらしく、視線を戻しフィーネを凝視した。
「ここは二階だぞ? それに鍵も閉められているが?」
窓は全て閉まっており、さらに鍵もかかっている。
彼女なら入ってからすぐ話しかけるはずなのに、窓を閉めて鍵もかける余裕があったのか。閉めたとすれば音で気付くはずなのに、と疑問に思ったようだ。
「二階なんて、魔法で入れるでしょう。鍵は私が閉めてるの。入った後にね。あなたが気付くのが遅いだけよ」
「先ほどはディアンも突然現れたようだが」
「ディアンも窓から入ったのよ。彼は風魔法が得意でしょ?」
フィーネは平然と嘘をついた。
「いつもは君一人だよな。……君も風魔法使いなのか?」
「さあね」
ゲラーデはこれに関して深く追及することはやめ、次の疑問を投げ掛ける。
「それに、君は馬車で出掛けたのではなかったか?」
「ディアンに行ってもらったの」
「なぜその息子は休暇なのにも関わらず、ここに帰ってこなかった?」
「あら、それはうちの方が好きだからでしょうね」
納得できなかったものの、これ以上追及しても意味はない、とゲラーデは口を閉ざす。少し拗ねたような表情だ。
「ディアンのこと、あなたがしっかり愛していたのは分かってるから」
彼は手に持っていた書類を机に置くと、手を組みそこへ顎を乗せた。
「で? 用件は」
ゲラーデは諦めたように言った。フィーネは用が済まなければ帰らないことを知っているのだ。
「ランプロス家について教えてくれない?」
「……ランプロスも何かあるのか?」
ゲラーデは顔をしかめた。
「今回は珍しくウィンカルの件を確認しに来たのかと思っていたが」
タイラーの依頼の時のように貴族の犯罪が明るみに出た場合、後処理をするのはゲラーデである。毎回フィーネに頼まれているのだ。
証拠が揃った状態で彼女から話があるため、ゲラーデは断るに断れない。なんだかんだ言って、押しに弱い。
処理と言っても、証拠をもって本人を脅すか、王の側近に直接密告するか、処理せず後に取っておくか、そのどれかである。
証拠は毎回揃いすぎているため、脅せば大抵はゲラーデの言いなりとなる。ただそうなれば、謀反を企てているのでは、などとあらぬ誤解を生む可能性が否定できない。
よって、王の側近に何度か処理を任せているのだが、当の側近は『そんなもの黙認しておけば良いものを』と、ゲラーデを仕事を増やす、面倒事を増やす厄介なやつ、と認識している節がある。彼がもってくるのが国家を危機に陥れる事案ではないからだ。
ゲラーデは危機感を覚え始めていた。そのため、最近はほとんどを処理せず残しているようだ。
「違うわよ。後処理とかそういうの興味ないのよね。あと、ランプロスは何もないから。今のところ」
証拠を渡した後はゲラーデに任せきりで、その後どうなったかを彼女が訊きに来たことは一度もない。悪人が裁かれたかどうかは、風の便りで聞くことができるため、わざわざここに赴く必要がないのだろう。
彼女はゲラーデに手柄を渡すことで、これからも迷惑をかけても大丈夫と思っているのだ。彼にとっては無論、迷惑でしかないが。
「じゃあ何を聞きたいんだ?」
「……家族構成とか?」
「自分で調べればいいだろう」
「自分で調べてるから訊きに来たんでしょ?」
ゲラーデはすでに、フィーネとの言い合いは時間の無駄だと学習している。
「ありがとー」
ゲラーデが立ち上がり移動するのを見て、フィーネは了承の意で受け取った。
彼はフィーネの向かいに座った。
「茶は出せないが」
「大丈夫よ」
その答えを聞き、ゲラーデは話し始める。
「ランプロス家は、男爵の伯をもらっている。現当主はデリック。妻と娘が一人ずついる。コリーヌとジェインだ」
これで先程の女の子は、デリックの娘であると判明した。
「先代は?」
「先代? 先代はカリッド卿だ。妻と息子が一人。その息子が現当主だ」
「カリッドさんはまだ生きてるのよね?」
「ああ。ただ、いつからかめっきり顔を見せなくなってな。何か重大な病気でも患ったのではと言われている」
それを聞いてフィーネはほっとする。ディアンの知識はあまり信用できるものでなかったからだ。
彼は、貴族の義務、ついて回る問題に無関心であり、いざこざに巻き込まれるのを嫌う。ある意味で無責任なのだ。
「奥さんの名前は何て言うの?」
「カリッド卿のか? 亡くなっているぞ?」
「ええ、構わないわ」
覚えていないのか、ゲラーデは少し考える。
「確か……、ああ、そうだ。ジーナだ」
「じ、ジーナ?」
似ているが、『シチナ』とは確実に違う。
「ああ。早くに亡くなったと聞く」
「……なんで?」
なぜ名前が違うのか、という疑問で発した『なんで?』だった。知らぬ間に口からこぼれた言葉だ。
またしても一筋縄ではいかないようで、フィーネは肩を落とす。
「原因までは知らない」
その『なんで?』を、ゲラーデは死因を尋ねたのだと勘違いした。
「……屋敷はいくつ持ってるのか分かる?」
「詳しくは分からないが、一般的には領地の屋敷と、王都の屋敷……この二つじゃないか?」
「あなたは別荘いくつも持ってるのに?」
「……爵位が違う」
爵位によって与えられる領地には差がある。さらに、財産にも関わっていると聞く。
貴族の中で爵位というものは、権力や財力に関わる重要なものなのだ。
「そう……」
フィーネは今後の予定を立てていく。顎に手を当て、考え込む。
「質問は終わりか? それなら早く帰ってくれ。仕事がまだ残っているんだ」
黙るフィーネを見て、ゲラーデは立ち上がってから言った。
「うーん、もう一つお願いがあるのよ」
彼女は一旦思考を止め、若干の猫なで声で話す。
「……聞きたくないな」
嫌な予感がして拒否をするも、フィーネには通じない。
「お腹空いた」
「……は?」
予想外すぎて、ゲラーデの口からは変な音が出ていた。
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