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2 「よぉ〜…スーツなんか着ちゃって…」 男は吊り革に掴まったまま、上半身をゆっくり座席に座る俺に被せ、影を作った。 長い足に高いウエスト位置、均等のとれた筋肉は服の上からでもよく分かる。 目の下に二つ並んだ泣きぼくろが、胡散臭い少女漫画に出てくるようなイケメン具合を底上げしていた。 ニヤニヤ笑いながらその漫画から出てきたような男は指先で俺の安っぽいネクタイを摘んだ。 男は暫くネクタイを繁々と眺めて、フハッとあの頃のように悪戯に笑った。 そして、グンと近づいたかと思ったら、耳元で囁かれた。 「おまえさぁ、こんなのより首輪の方が似合ってるってぇ」 ビクッと身体が反応して、膝の上で抱いていたリュックを握り引き寄せた。 反論しない俺を眺めて、男は面白くなさそうに姿勢を戻した。 高く頭上から、声が降ってくる。 「久しぶりだし、今から飲みに行こうぜ」 俺は慌てて顔を上げた。目が合うと、男は満足したようにニヤリと笑い、付け足したのだ。 「逃げんじゃねぇぞ………駄犬」 俺はこの電車に小走りで間に合わせた事を後悔した。 毎週楽しみにしていた9時からの連ドラに間に合いたかったのだ。 たったそんなクソつまらない理由で、俺は人生の平穏てやつを挫かれる事となる。 ガヤガヤと騒がしい安酒が飛び交うチェーン店の居酒屋。 角っこにある二人掛けの木の机に嫌々向かい合わせに座る。 「おまえさぁ、顔に帰りたいって書いてありすぎ」 「そ、そんなこと…」 「…相変わらずさえない顔してんなぁ」 俺は何も言えず俯いていた。 「なぁ…」 男は俺の顔にズイと近づき、目を細めた。 「彼女とかいんの?」 俺はチラッと彼を見てまた俯いてしまう。 「チッ」 舌打ちが聞こえて、またビクッと身体が反応してしまう。モジモジと膝を擦り合わせるように小さくなる身体を止められない。 「山田陽海(ヤマダハルミ)くんは俺の事、忘れたの?」 おずおずと視線だけを彼に向ける。 「わ、忘れてないよ…仁坂…仁坂累(ニサカルイ)くん…」 ダンッと拳が机を鳴らし、長い足を組み替えた彼はフンと鼻を鳴らす。 カチンとジッポを鳴らし、タバコに火をつけてその煙を俺の顔に吐き出した。 「ゲホッ…ゴホッ…」 「ちゃんと覚えてんのな…逃げたくせに」 仁坂累。彼は高校の同級生で、俺達は特別な関係だった。いや、今思えば、異常な関係だったと言える。 二年に上がった春。 俺は今と変わらず日陰の存在で、クラスでも友達と呼べる人は殆ど居なかった。 趣味のドラマを携帯で眺めて過ごす休み時間。陽キャで明らかな勝ち組一軍といったメンツが教室でサッカーを始めた。 そのボールが、見事に俺の携帯にヒット。 手から飛んでいった携帯は数メートル先で画面が破損する音を立てた。 修理と称して、仁坂くんは俺の肩を抱いて放課後、学校を出た。 それが初めて二人で話した記憶。 仁坂くんは髪色がコロコロ変わる人で、確かその時は赤色をしていた。 生徒指導の先生に毎回叱られていたのを覚えている。それでなくとも、少女漫画から飛び出した王子様を具現化したような彼だ。目立たないはずはなかった。 並んで歩く仁坂くんは、良い香りがして、ピアスなんかもキラキラして、目の色が薄く、琥珀色をしていた。そのキラキラした瞳の下には二つ並んだ泣きぼくろがあって、凄く色気があっったんだ。唇は薄く、鼻筋が通った小鼻の小さな鼻で、歯なんか真っ白だった。 彼は完璧だった。あの瞬間までは。 「に、逃げたんじゃない」 「あ?…何言い訳してんだよ」 ガヤガヤとした喧騒の中、仁坂くんはイライラした口調で俺の胸元を長い指でトンと突いた。 眉間に皺を寄せても怖いくらいに整った顔は、迫力がある。 「ほ、本当だよ。大学からこっちで引越しの手続きとか、学校への書類とかが手違いで…とにかく、早くこっちに上京したのは確かだけど…」 俺と仁坂くんは地方出身だ。大学からの上京。それは、簡単に俺と仁坂くんの当時の関係を終わらせた。 「へぇ…じゃあ、俺から逃げたんじゃないんだ」 俺はまた答えずに俯いた。
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