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Ⅱ
小学生のとき、知らない男の人に連れ去られかけたことがある。
ピアノ教室からの帰り道。毎週通い慣れた道を歩いていたら、知らない男の人が挨拶してきた。
近所の人かな。それとも、誰かのお父さん?
不思議に思いながら会釈だけすると、その人がにこにこしながら近付いてくる。
「ここで会えてよかった。僕は君のお父さんの友達だよ。実はさっき、お父さんが会社で倒れて病院に運ばれたんだ。お母さんは病院までお父さんに付き添わないといけないから、僕が君を迎えにきた。病院まで連れて行ってあげるから、一緒においで」
「え、でも……」
「心配しなくても大丈夫だよ。お父さんは今、病院で治療を受けていて少し休めばよくなるから」
男の人の黒の瞳が、細められた上下の瞼の隙間から私をじっと凝視してくる。
気味が悪いと思った。男の人の言葉も、態度も。だって、私の家に父はいない。私が幼稚園に上がる前に両親は離婚していて、私と母は母方の祖父母の家で一緒に住んでいるのだ。
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