【第1話 - 背信者】

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 また、花には独特の香りがある。自然で優しい香りは高ぶった神経を和らげる役割も兼ねそろえている。  なるほど。こんな風に社長室へ長く立ち入って座らせてもらうことがなかったから、いい勉強になる。商談に訪れる方に良い印象を与えるだけでなく、さりげない優しさも香りと共に運んであげたいと思った。来月はどんなアレンジにしようか、早くも次の構想が頭を占領した。しかしそれもつかの間のことで、ふとした瞬間に瑛士と里枝のふたりの乱れた姿が浮かんでくる。  それだけでじんわり目頭が熱くなって涙が滲んだ。  あ、だめ、今は勤務中!  瑛士のことを考えるからいけないのだ。仕事に没頭しよう。しかし先ほど聞いた二人の声は非常に艶めかしく、里枝の乱れた息遣いまで脳内で再現してしまう始末。  再び首を左右に激しく振って、脳内から二人のやり取りを追い出した。パソコンのデータのように完全消去できたらいいのに。脳内に刻まれてしまったあの出来事を、オールデリートして全部忘れてしまいたい。  せっかく八神社長がゆっくりする時間を作ってくださったのに、二人のことを考えるからいけないのだ。  だったら社長のためになることを考えよう。他にY2サイバーエージェンシーでやり残したことがないかを思い返してみる。  今日の現場をおさらいした。オフィスのフロア部分はすでに作業が完了しているし、社長室の応接にある花も交換した。
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