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『一流』のメイド
『スパイさんの晩ごはん。』
第四章:戦争と晩餐。
第七話:『一流』のメイド
あらすじ:老メイドは見た。
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やはり、老メイドの料理の腕は一流だった。
生ハムと枝豆のパスタと宣言されていたが、前菜に枝豆の塩ゆでとチーズの生ハム巻きを出してくれたからか趣向を変えて、枝豆を潰してクリームにしたものにボイルしたエビを入れたパスタを用意してくれた。
当然ながら感動を覚えるくらい美味いのだが、夢中になりかけた最初の数口を食べてからは私のフォークは遅々として進まなくなっていた。
「どうしましたか?食事が進んでいないようですが。」
「いや、そんなに見られていると食べにくい。」
そうなのだ。食事をしているのは私だけで、老メイドも若いメイドも立ったままこちらを見ているだけなのだ。メイドという仕事柄、食事をする主人から命令があるまで待機しているだけなのだろうが、視界の隅にならんだ2人のエプロンドレスがちらちらと目に入って居心地が悪い。
折しも、先ほどの若いメイドとのやりとりを老メイドに見られていたばかりである。中途半端になっているので若いメイドの顔もまともに見られないのはもちろんだが、老メイドもまだニヤニヤと笑っているのではないのかと不安になる。
「仕事ですので、お構いなく。」
「いっしょに食べないのか?」
貴族なら傅かれることに慣れているかもしれないが、あいにく私は一般的な感性しか持ち合わせていない人間だ。ウエイトレスに給仕されることでさえ緊張するのに、ずっと見降ろされて食事をすることに耐えられるほど心臓は強くない。
「旦那様と同じことを仰るのですね。」
「老将軍も同じことを?」
「ええ、いつもいっしょに食事をするようにいつもせがまれますの。」
こうやって同じように食事をしたので老将軍の気持ちは身に染みて良く解かっていた。
どれだけ美味い料理を提供されても、どれだけ腹が減っていても、ひとりだけの食事をするのは味気ないものだ。それも、隣に食卓を囲めるものがいるのにだ。これなら独りで食事をとる方がマシだろう。
だから、老将軍は『ツーク・ツワンク』を作ったのかも知れない。
あの店では誰も彼もが楽しそうに食事をしていた。貴族も平民も関係なく同じテーブルでゲームを楽しみながら美味い料理を食べている。少し行儀が悪いが、私はメイドが侍る堅苦しい食事よりも『ツーク・ツワンク』の老人たちとの適当な食事の方が楽しめる。
もしかすると、老将軍が戦場へ向かったというのは私の思い過ごしで、彼はただ単にこの独りの食事が味気ないから逃げ出したのかもしれない。
「せめて座ってくれないか?」
客とはいえ貴族でも無い私が、メイドが座っていたとしても咎めることはできない。それどころか食卓をいっしょに囲んでくれていた方が気が休まる。
「私達は旦那様に雇われた身ですから。」
頑なに要求を断るニ人に見下ろされながら、私は味のしなくなったパスタを飲み込んだ。どうせ、これから話し合いをするのだから、せめて同じ高さに顔を置き、同じ視線の高さになってくれれば落ち付くのに。
「それで、私の質問に答えてくれるのだろうな?」
「ええ、私の答えられる限りではありますけど。」
クリームで汚れた口を布巾で拭う私の前に、老メイドは神妙な面持ちで正面に立った。座ってくれれば彼女の表情も読み取りやすいのだが、彼女たちは一向に座ってくれない。私は居心地の悪さを咳払いでごまかした。
「こほん。老将軍はどちらに向かわれたのだ?」
「さあ、私達は存じませぬ。」
最初は館の主への守秘義務を持つ彼女たちだから、老将軍を庇っているとも考えたのだが、本当に彼女たちは知らされていないらしい。
私が王宮で尋問を受けたように、彼女たちのもとにもまた王宮からの使いの者が何度も訪れていた。関りを考えれば当然だが、老将軍が彼女たちに行き先を漏らしていたら秘密裏に出奔する意味がなくなる。
「心当たりもないのか?」
「旦那様はいつもふらりと出ていかれるので。」
「屋敷を見張られているのにか?」
「そのための秘密の抜け穴でしてよ。」
英雄として名高い老将軍の顔は、たぶん誰でも知っている。もしかすると、この国の王の顔よりも有名かもしれない。なので、秘密の抜け穴を使っているとしても、自由に動き回れると思えないのだが。
「いったい私に何をさせたいのだ?」
「存じませんが、旦那様は楽しそうにしていたので悪い話では無いと思いますよ。」
「私に伽を勧めるも老将軍の指示なのか?」
門番のラデッキオは私に正体を明かし、老メイドは不法に侵入した私を歓待する。さすがに伽は冗談だと思うが、咎められないどころか料理を振舞われると裏があると思わずにいられない。
「久しぶりのお客様なので、私がおもてなしをしたいだけですわ。」
「他に訪問客はいないのか?」
「旦那様がご招待すれば面倒が増えますもの。」
見張られている老将軍が客を呼べば、色々と勘繰られる。今回は運悪く老将軍が出奔するときに訪れたから拘束されたが、そうでなくても私の周りをうるさい羽虫がうろつきまわっていただろうことは想像に難くない。私でさえそうなのだから、立場のある貴族ならもっと面倒になるだろう。
「それでは、私を門から帰したのは老将軍の指示か?」
「ええ。理由は聞いていませんが。」
一流のメイドなら理由など聞かなくても主の望みに応えるのだろう。もちろん、一流のメイドだから仕える主を間違えないだろうが。つまり、老将軍が秘密にしたいと考えていることを聞き出すことはできないだろう。
だが、私を門から帰したことが老将軍の指示であるなら、ひとつだけ推測できる。老将軍は私を平和的に拘束しておきたかったのではないだろうか。行方を眩ました後、私が邪魔になると考えて。その理由が戦場の地図を見たからなのか、それとも他の理由なのかは判らないが。
「では、誰が私を王宮から解放したんだ?」
私は上司をしているアーティチョーク閣下やいくつかの伝手を通じて解放されるように試みていたが、閣下でも芳しい返事はもらえなかった。そこへきてターキィが私を勧誘するようになったのである。
老将軍が居なくなる前に指示をしていたとしても、不測の事態に拘束は長引いていたはずなのだ。
それに、見張りに発見させて拘束するという回りくどい手を使わなくとも、私を屋敷に呼び出した時に閉じ込めてしまえば済むことだ。訪問客がいない屋敷なのだから、発見されることもない。
「誰が指示をしたのかは予想がつきます。」
「誰だ?」
老メイドが答えを知っていると思っていなかった私は、思わず前のめりに尋ねた。
「老人は大事にしておくものですよ。」
老メイドが優しくウィンクをしてくれたヒントで誰が私を解放してくれたのかはすぐに解った。いや、絞り込めたと言った方が正しいだろうか。この街で私と知り合って個人的に干渉してきそうな老人の心当たりはほとんど無い。そう、『ツーク・ツワング』のジジイ達以外には無いのだ。
あの店には貴族もやってきている。
頭では解っているのだが、ゲームを楽しんでいる彼らには上下の差はまったく無く、いつの間にか彼らの中にいる貴族の存在など考えることも止めていた。だが、肝心の誰かということは老メイドは予想だからと答えてくれない。
「そうか、では感謝を伝えておいてくれ。」
「一度くらい花を持たせれば喜ぶでしょうに。」
「気が向いたらな。」
結局、何も知らぬ存ぜぬで行き先に関してはまったく進展は無かった。言葉の端から判ったのは、彼女たちは真摯に仕事に勤める一流のメイドだということと、一流のメイドは侵入者に優しくないことだ。
「用は済んだ。」
「泊っていかれないので?」
席を立った私をからかうように老メイドは愉しそうに笑った。きっと、私と若いメイドの続きが展開されるのを期待しているのだろうが、私に彼女に付き合う義理は無い。
「何日もアパートを空けているので、解約されていないか心配だ。」
「あらあら、久しぶりに私の妙技が披露できると思っていましたのに。」
私は老メイドと視線を合わせないようにして逃げ出した。今度は間違えずに秘密の抜け穴を通って。
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次回:老人たちの『涙』
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