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『逃げ道』を探しに
『スパイさんの晩ごはん。』
第一章:敵の国でも腹は減る。
第七話:『逃げ道』を探しに
あらすじ:味付けが物足りない。
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重い足取りで階段を降りると、色とりどりの屋根の合間に青い空が広がっていた。すでに高くなった日差しがオレンジの瓦に反射して眩しい。旅の間もこれだけ天気が続いていればダークウィット川も濁らなかっただろうに。
「おはよう!よく眠れた?」
挨拶をくれたターニップは雑貨屋の店先で花のひとつひとつの根元に如雨露で水をやっていた。水の魔法を使えば重たい思いをしなくても済むのに、わざわざ水を汲んで先の細い如雨露使っているのは、水の魔法に含まれないダークウィット川の恵みの恩恵を受けるためだろう。
「ああ、ぐっすりと寝てしまったよ。」
旅の間は宿に泊まれればマシな方で、野獣に怯えながらマントに包まって野宿した事もある。それに、宿のマクラは浄化の魔法で清潔を保ってはいるが、誰が使ったかも解らないし汚すのも気が引ける。
それに比べ、自分の寝具は気兼ねしないし、肌触りの良い生地が安く買えた。旅の途中にも寄ったが綿の産地が近いからだろう。さすがは農業で豊かな国だけはある。
ターニップの強い勧めで買った明るい色のシーツは少し落ち着かなかったが。まぁ、暗い闇の中では許容の範囲だし、しばらくの間は泥のように寝てしまう自信がある。
「今日もお出かけ?」
「仕事が始まる前に、もう少し街の様子を知っておきたくてね。」
王宮で雇われることになれば、慣れるまで振り回されることになるだろう。仕事を覚えるだけでも大変だが、大抵は細かい慣習も変わってしまう。故郷での配置移動でさえ違いに辟易したものだ。国境を越えた今回は、更に勝手が変わるだろう。
それに、私には裏の仕事もある。
「残念ね。今日も私が案内してあげたいけど、父さんが仕入れに行っているの。」
昨日も半日以上案内してくれたのに、まだ案内を続けてくれる気だったらしい。引っ越した経験は少ないが無いがここまで世話を焼かれた覚えはないし、聞いたことも無い。バスケット王国では大家の娘がつきっきりで世話をしてくれるのが普通なのだろうか。
「目的も無くブラブラするだけだ。気持ちだけ受け取っておく。」
「いってらっしゃい。スリに気を付けてね!」
小さく手を振って見送るターニップに私は苦笑いをして軽く手を挙げると、そぞろに歩く演技を始めた。彼女には目的が無いと伝えたけれど、実のところいくつかの目的がある。
ひとつは彼女にも言ったように、街を知る事。
街に溶け込むためには覚えることがたくさんある。この街の人間が何に興味を示して、何を嫌がるのか。言葉だってしっかりと耳に焼き付けておきたい。バスケット王国についてはフォージ王国に来ていた冒険者から教わったが、自分の目で確かめて身につけておきたい。
幸いにして、昔から交流のあるフォージ王国とバスケット王国の人相は似ている。人相の特徴を捉えられやすいという欠点でもあるが。
ふたつ目は、いくらか欲しいものを探す事。
金に余裕があるわけでは無いので、多くを買い足す事はできないが。物足りない味付けに塩ばかり足しても味気ないので馴染みのある調味料が欲しいし、タオルの数枚と雨具、他にいくつかの小物と、できれば服にも余裕を持ちたい。
タオルは顔や体を拭くのに使うし、枕に被せてカバー代わりにするので何枚あっても困らない。雨具も旅用の丈夫なマントがあるのだが、重たいので軽いものが欲しい。
そして、旅の空では気にならなかったが、今の小さなトランクには3着しか入っていない。
今着ている街を歩いでも目立たないどこにでもある服に、旅の間に何度も変えたのに擦れた丈夫な服。それに、王宮で貴族に会う際の礼装は綿の産地に寄った時に安かったので買っていた。今はシワを伸ばして買ったばかりのハンガーにかけてある。
市井では浄化の魔法を使って服を変えないどころか何か月も脱がない者さえいる。
しかし、仕事を始めれば毎日のように王宮に行く。見た目を気にする貴族は毎日のように服を変えるのが一般的なので、下働きでも真似をする輩がいる。私の同僚にも着道楽が少なからずいたものだ。毎日着替える必要はないだろうが、同じ服ばかりでは目立つかもしれない。
みっつ目にチキン先輩に会う事。
昨日、ラディッシュについた嘘の出会いについて口裏を合わせておきたい。配達屋を営んでいるという先輩を探すのは難しいだろうが、『千鳥足の牡牛亭』に行けば伝言くらいはできるだろう。
ついでに配達以外の日雇いの仕事があれば、紹介してもらえると助かる。重い荷物を運ぶチキン先輩の手伝いは文官あがりの私には少々辛かったし、街に不案内な私では目的の場所を探すのに時間がかかる。
できれば力仕事以外で、王宮の仕事の後にできて、給金が良い物を紹介してもらいたいのだが難しいだろうか。
それと最後にもうひとつ。
逃げ道を確保しておきたいと思う。
退路の確保は基本だし、道を知っていて困る事はない。
フォージ王国ではどこにいても鉱山が見えるので迷うことがなかったのだが、平野の続くバスケット王国では大きな目印になるものがない。おおよその地図は頭に入れてあるのだが、精度が低く道の長さもあやふやで、辻や路地の数が違うなど当たり前にある。
『千鳥足の牡牛亭』へ行く時に迷ってしまった事は記憶に新しい。
地図を描いた者も苦労しただろうが、この街は古くから継ぎ足されて見通しが悪い。追手を撒くには適しているように見えるが、無案内な者には迷いやすく、逆に幼い時からこの街で育ち熟知している者にとっては先回りがしやすいとも言える。
道を知らなければ逃げることも儘ならない。
それと、逃げ道の確保に当たりもうひとつの問題が、街をぐるりと囲む城壁だ。凶悪な魔獣が跋扈していた頃の名残で頑丈なので、警備の不備や抜け道があるなら、知り合いが増える前に探しておきたい。
今ならただの観光だと言い逃れができる。
城壁を辿りながら散策し、豊富な水の噴き出る噴水と言うものや、有名だという高い鐘楼に残った魔獣の爪痕を見学した。だが、いくつかの袋小路を引き返して、少し離れた小さな商店街に辿り着いた頃にはへとへとになっていた。まだ毛の先ほども見て回れていないのに。
小さな賑わいに安堵しながらいくつかの店を回るが、タオルの数枚を買うと財布の紐は硬くなった。目的の調味料は見つからないし、荷物を持って帰るだけの気力が沸かない。何より、財布の重さが心許ない。
買えない物を見て回るのは楽しくもない。
買うかもしれないと商品を漁って掘り出し物を探そうという気概はこれっポッチも起きないのだ。金を払うという明確な目的があるからこそ、並べられている商品と真剣に向き合うのかもしれない。買える目途も立たないのでは、冷やかしが目的でも真剣味が違う。
だんだんと適当に店先で品揃えと値段だけを確認すると、ラディッシュの雑貨屋とアパートの近くの店で全て事足りそうだという結論に至った。まあ、洒落た物や気取った物は高いし、わざわざ持ち帰るほどの物が見当たらない。
棒になった足を休ませるために、昼には少し早いが私は一軒の食堂に入った。
壁の剥がれ落ちた、いかにも安さを売りにしていますという風体の萎びた食堂だ。ターニップの家庭料理は味が薄かったが、こういう安い食堂では解りやすくインパクトのある濃い味付けの料理を提供する事が多い。
私の好みに合うかもしれない。
店の中は眼つきの悪い常連客らしき人物が数人いるだけで、昼には時間も早いので直ぐに座れた。作り笑顔を貼り付けた店主に注文すると、作り置きがあったかのようですぐに料理が運ばれる。
雑に並べられた焼いた野菜が数種類と、ソーセージの入った野菜たっぷりのポトフ。硬く焼しめたパンはスープを浸して食べでも崩れる事はないだろう。
常連のひとりが店主に文句をつけている。どうやら、彼の注文より先に私の料理を配膳したらしい。雰囲気が悪い中だが、ポトフを口に入れると豊かな野菜の甘みが広がる。見た目の雑さの割に野菜の味がふくよかなのは屑野菜で出汁を取っているからだろうか。贅沢な事だ。
二口啜って顔をしかめる。
不味くは無いのだが、野菜の味しかしない。
どうやらこの国では、萎びた食堂でも薄い味付けが好まれるらしい。
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次回:遠い『故郷の味』
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