トコダトコさん第二部 作家・トコダトコと『プレゼントタイム』

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トコダトコさん第二部 作家・トコダトコと『プレゼントタイム』

🚢ここまでを踏まえ、今回は私、潜水艦の独り語りでお送りしたいと思います。 トコダトコさんはこのインタビューの中で、自身の作家性について『そんなに期待されていないと思う』と語っておられました。 無論そこには謙遜もあろうかと思いますが、トコさんさん自身『自分として手応えを感じた』という短編『水泡にキス』でも、周りの反応は絶賛というには少し遠かったかかも知れません。 では、作家・トコダトコはそこまでの筆力がないのか。描写やリーダビリティ、展開が稚拙なのか。 いえいえ、そんなことは決してないと思います。※何しろ準大賞作家ですし。 ポップなアオハル展開は池田春哉氏のそれを彷彿とさせますし、高い描写力や思想性、メッセージ性の強さは作り込みはエブリスタの中でも高いレベルにあると言っていいと私は思います。 では何故、トコダトコは『作家』としてそこまで認知されていないのか。 この対談企画を続けていくうちに、色々と見えてくるものがあったと思います。今回はそんな私の独り語りであります。 実は彼女の作品を読み解くためには彼女の中で『当然』というか『前提』になっている、いくつかの条件を理解する必要があると思うのです。それが理解できないと、とても『取っ付きにくい』。 1つ目は『道徳に対する認識の違い』 彼女の作品にはぶっ飛んだキャラが多く、そのためにときとして道徳性が軽視されているように感じることがあります。 『水泡にキス』はまさにその極みで、いわゆる世間一般において『あまりに不道徳』とされるとある行為について淡々と語られていくのです。 そのため読み手としては己の道徳観との齟齬によって「あれ? これはどうしたらいいの?」と、感情移入に迷いが生じてしまう。「いやいや、いくら何でもそれはアカンやろ」と心が離れてしまう。 ですが、彼女の創作にそういう『枷』はないんです。現実世界ではなく創作された世界線の話を使って、現実世界を揶揄しているというか。彼女が一貫したテーマとする『ギリギリの共存』を表現するためには上っ面な道徳や恋愛ドラマではなく、もっと人間の心の闇に切り込むストーリーが必要なのだと私はそう思います。なので、少し視点を高いところへ移して俯瞰的に味わうというテクニックが必要になるかも知れません。 2つ目は『視線が何処を捉えているのか』という点です。 日本的美学というか道徳というか、私達は無意識のうちに遠い未来に視線があると思うんです。『先のことを考えて』という。 例えば『老後を考えた貯蓄』であったり『将来の出世に繋がる、いい大学に入るための猛勉強』とか。はたまたあえてゴールを明確にしないことで己を極限まで高める『求道』の精神とか。何れにしろ足元に視線がない。 対してトコダトコの作品に共通するのは『今、その瞬間』なんだと思います。 彼女が自信作と語る『プレゼントタイム』。そのタイトルになっている英語の慣用句である『Present time』には、『今、その瞬間』という意味と『今、生きていることがプレゼントなんだ』というニュアンスがあるそうです。つまり、トコダ作品の視点は振り返る過去でもなく遠く眺める未来でもない『刹那の今』なんです。 過去のしがらみがどうとか、未来に気まずいとか何も考えない、縛られない。今この瞬間、プレゼントされた時間をどう生きるのか。その葛藤に生きるのがトコダ作品の特徴なのかと。 これが理解できないと、『いや、だって昔こうだったじゃん』とか『後で大変なことになるぞ』という『無意識の固定概念が邪魔をする』。そんな感じを受けるんです。 これらの『固定概念』をした上で、彼女の作品、とくに『プレゼントタイム』を読んで欲しいと思います。 そのセリフひとつひとつの、何と重たいことか。余分なシーンのひとつとしてない隙のない構成、圧巻の伏線、キャラの奥深さからにじみ出る言動。 そして彼女が語る『今』とは何か。 是非とも、ご堪能戴ければまた新しい世界が見えるのではと思います。
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