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1 謂れのない罪
ここは、名門貴族・ヒルゼンマイヤー家のお屋敷。
私は、そこに仕える使用人だ。
舞踏会や食事会に使われる広いホールに、今、ヒルゼンマイヤー家の人々と、私を含む全ての使用人が集められていた。
屋敷中の人間が円になって集まる中、中央に立つ当主――レビウス様が、「皆、揃ったな」と低い声で言う。今年で五十歳になられる頭髪には白が混じり、眉間には皺が刻まれている。
その眉間の皺をより深くしながら、レビウス様は続ける。
「皆に集まってもらったのは他でもない。非常に残念なことだが……罪を犯し、処断しなければならない人間が、この中にいる」
広間の空気が、俄かに騒めく。
皆、身に覚えがない様子できょろきょろと周りを見回し始める。
しかし、その中で――私だけは、とてつもなく嫌な予感に喉を鳴らしていた。
その予感の通り、レビウス様は私に向けて人差し指を真っ直ぐに突き付け、
「メルフィーナ・フィオーレ! 我が娘・ドリゼラの婚約者を煽惑した罪により、このヒルゼンマイヤー家から永久に追放する! 荷物をまとめ出て行くがいい!」
高らかに、そう言った。
メルフィーナ・フィオーレ。
それは、間違いなく私の名前だ。
他の使用人たちが驚愕の目で私を見る中、中央に立つ人物――派手なドレスに身を包んだ黒髪の女性が、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、私を見つめている。
レビウス様のご長女・ドリゼラ嬢である。
私は、ぷるぷると全身を震わせ、
(や……やっぱりーーっ!!)
絶望しながら、こうなるに至った経緯を思い出した――
* * * *
イルナティア帝国の中で四番目に大きな領を治めるラッグルズ伯爵。
その副官を務める子爵の一族が、このヒルゼンマイヤー家だ。
私がヒルゼンマイヤー家の使用人として働き始めたのは三年前、十五歳の時。
唯一の肉親であった母を十一歳で亡くし、以来孤児院で育った私は、縁あってこのお屋敷に住み込みで働くことになった。
貧乏育ちだった私にとって、煌びやかな貴族邸での仕事は夢のようだった。
ここで働けることに誇りを持ちながら、私はひたすら真面目に日々の業務に当たった。
その姿勢が認められ、周囲から徐々に信頼を得、使用人の先輩たちにも可愛がられた。
そうして、十八歳に至る今日まで、忙しいながらも充実した毎日を送ってきた。
ただ一つ……このヒルゼンマイヤー家には、気になることがあった。それは――
「あうっ……」
中庭の訓練場に転がる、華奢な身体。
その細い腕から剣がカランと溢れ、砂埃が舞う。
「立て! 入学まで時間がないというのに、何だその体たらくは!!」
転がった人物に、レビウス様が怒号を飛ばす。
それに応えるように、砂まみれになりながら身体を起こす人物――肩で切り揃えた黒髪に、茶色い瞳の少女。十六歳という年齢の割に小柄で、あどけなさの残る顔立ちをしている。
ヒルゼンマイヤー家の次女・ファティカ様だ。
彼女は、病弱な長女・ドリゼラ様に代わり、王立学校であるウエルリリス魔法学院に近く入学することになっていた。
当主のレビウス様は、子爵という身分からの陞爵を強く望まれていた。
国に貢献する軍人や魔導師になるためには、魔法学院の卒業が必須条件だ。ファティカ様は、この家の爵位を上げるべく、その期待と責任を一身に背負わされていた。
そうした背景があるにせよ、レビウス様の姉妹に対する態度は、本当に同じ娘なのかと疑う程に差があった。
長女のドリゼラ様には欲しいものをなんでも買い与え、我儘放題を許している。
それに引き換え、次女のファティカ様は毎日のように魔法や剣術の厳しい訓練を強いられ、お洒落やおでかけを楽しむことさえ許されない状況だった。
姉妹の母である奥様も、祖母にあたる大奥様も、レビウス様の教育方針に賛同しているご様子で、体罰のような厳しい訓練にも一切口を出されない。
「チッ……もう会議の時間か。今日はここまで。今言った動きができるようになるまで、ここに残って自己鍛錬に励め」
砂まみれの娘に冷たく言い残し、レビウス様は訓練場を去った。
一人立ち尽くすファティカ様の元へ、私は駆け寄る。
「ファティカ様、どこか痛むところはありますか?」
「メルフィーナさん……足首と、肘を少し負傷しました。いつも申し訳ありません」
弱々しくも可憐な笑みを浮かべるファティカ様に、私は首を振る。
そして、手のひらを掲げ――彼女の負った傷を、精霊魔法で癒し始めた。
――精霊。
それは、十三歳の誕生日に現れる、神聖な存在。
精霊により、人は自分だけの魔法の能力を一つ授かる。
私が十三歳の時に与えられたのは、他人の傷を癒す"治癒魔法"だった。
通常、魔法の力を実用化させるには相応の訓練が必要だ。
いくら才能があろうと、鍛錬を積まなければ力を使いこなすことはできない。運動然り、勉学然りである。
だから、魔法を実戦に生かすことを望む者は、魔法学院で学ぶ必要があった。
しかし私は、どういうわけかこの治癒魔法を始めから上手く使いこなすことができた。
この能力を使い、傷付いたファティカ様をこっそり癒すことが、私の密かな日課になっていた。
「メルフィーナさんは本当にすごいです。学院に通うことなく、魔法を使いこなせるなんて」
みるみる塞がっていく肘の擦り傷を見下ろし、ファティカ様が言う。
私は慌てて空いている手を振り、否定する。
「何をおっしゃるのですか。私の能力なんて、他に取り柄がなく可哀想に思った神様がちょっとオマケしてくれただけのものです。ファティカ様が本格的に魔法を学ばれたら、きっと偉大な魔導師になれますよ。ファティカ様の氷の魔法は、稀有で強力な力なのですから」
「いつも励ましてくれてありがとうございます、メルフィーナさん。まだまだ自信はありませんが、そうなれるように頑張ります」
私の言葉に、はにかんで笑うファティカ様。
私は、彼女の無垢で愛らしい笑顔が好きだった。もう少しで魔法学院の寮に入られるため離れてしまうけれど、彼女には元気に過ごしてほしいと心から願っていた。
だから、せめてこのお屋敷にいる間は、私が傷を癒してさしあげたい。
そう思い、私はレビウス様の目を盗みながら、ファティカ様に惜しみなく魔法を使った。
しかし――そのような日々を過ごす中で、それは起こった。
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