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2 追放された"魔女"
その日は、長女・ドリゼラ様の婚約者であるガヴィーノ様がヒルゼンマイヤー家にいらしていた。
ガヴィーノ様は、このラッグルズ領の隣に位置するデヴァリア領の伯爵家の三男だ。
良く言えば柔らかな、悪く言えば間の抜けた雰囲気のお方で、真っ白な肌とブロンズの巻き髪が特徴的な青年だった。
私が庭の掃き掃除をしていると、そのガヴィーノ様がふらりと現れ、声をかけてきた。
「やぁ。君がメルフィーナかい?」
「えっ? は、はい。そうですが……」
直接お話するのは初めてで、私は何故声をかけられたのか、何故私の名を知っているのかと、戸惑いながら答える。
ガヴィーノ様は、まん丸な童顔にゆるい笑みを浮かべ、こんなことを口にした。
「君には、傷や痛みを癒す能力があるんだよね?」
それを聞き、私は絶句する。
私が持つ治癒の力のことは、ファティカ様以外には秘密にしていた。それを何故、ガヴィーノ様が知っているのだろう?
ファティカ様が言いふらすことは考えられない。ならば……私がファティカ様を癒すところを、誰かに見られた?
胸騒ぎがするのを感じながら、私は笑顔に努め、答える。
「はい……と言っても、訓練も受けていない素人ですから、大した力は発揮できませんが……どうしてそのようなお話を?」
「実はね、今朝から右の瞼が痛いんだ。ほら、少し腫れているだろう? ばい菌が入ったのかなぁ?」
そう言いながら右目を指すが、元々腫れぼったいお顔をしているため、腫れているのかよくわからない。
「私は医者ではないので、痛むようでしたら専門知識のある者に……」
「お医者様の薬じゃ治るのに時間がかかるだろう? ね、君の魔法で治してよ。じゃないと、気になって仕方がないんだ」
「ちょ、ちょっと……!」
ぐいっと手を掴まれ、いよいよ困り果てる。悪気はないのだろうが、些か強引すぎだ。
「わかりました。試しに魔法をかけてみますから、一度患部を見せてください」
「ありがとう。この辺なんだけど……」
手を離し、再び瞼を指差すガヴィーノ様。やれやれと思いながら、背伸びをし、彼の顔を覗き込んだ――その時、
「あなたたち……一体、何をしているのです?!」
そんな声が、ガヴィーノ様の背後から聞こえた。
ビクッと肩を震わせ、恐る恐るそちらを見ると……ドリゼラ様が、顔を引き攣らせながらこちらを見ていた。
まずい、と瞬間的に思う。
彼女の方からは……私とガヴィーノ様が、キスをしているように見えたはずだから。
「ど、ドリゼラ様! えぇと、これは、ガヴィーノ様の目を……!!」
「酷い……わたくしと言うものがありながら、そのような下女に手を出すなんて……っ」
完全に聞く耳なし。ドリゼラ様はハラハラと涙を流しながら、走り去って行った。
さ、最悪だ……当主のご長女相手に、とんでもない勘違いを招いてしまった。
「早く追いかけて、誤解を解かないと……!」
「待って」
駆け出そうとする私を、ガヴィーノ様が止める。
「ドリゼラへの説明は僕に任せて。話せばわかってくれるよ。だって僕は、彼女の婚約者だから」
そう言って、にこりと笑うガヴィーノ様。
その姿に、私は感動する。見た目も中身もふわふわした温室育ちなお坊ちゃまだと思っていたが、これほど頼もしい一面を持ち合わせていたとは。
「あ……ありがとうございます! 必ず……必ず誤解を解いてさしあげてください!!」
期待と信頼を込め、私は彼を見つめる。
ガヴィーノ様はキリッとした表情で頷くと、堂々とした足取りで、ドリゼラ様の後を追った――
* * * *
……というのが、つい昨日の出来事なのだが。
(ガヴィーノ様……全然誤解が解けていないのですが?!)
突き付けられた『追放』の二文字に、私は昨日の得意げなガヴィーノ様の顔を思い出し、震える。
騒めく使用人たち。
軽蔑の眼差しを向けるヒルゼンマイヤー家の面々。
刺すように睨んでくるドリゼラ様。
その中で、心配そうに私を見つめるファティカ様。
いたたまれない空気に耐えかね、私は胸に手を当て弁明する。
「ご、誤解です! 昨日のアレは、ガヴィーノ様が右目を痛がられていて……!!」
「『魔法で痛みを癒す』と言って、誘惑した。そうだな?」
遮るように言うレビウス様の声に、私は言葉を失う。
「貴様……治癒魔法を使ってファティカの傷を癒していたそうだな? 道理で傷の治りが早いわけだ……勝手な真似を!」
怒鳴り声に、ファティカ様がビクッと肩を揺らす。
レビウス様は、まるで穢れたものを見るような目で私を睨むと、
「使用人の分際で治癒魔法を操るとは……この魔女め! 二度とヒルゼンマイヤー家に近寄るな!!」
吐き捨てるように、そう言った。
それを聞いた瞬間、私は……「終わった」と思った。
レビウス様がお怒りになっているのは、ガヴィーノ様に纏わる誤解だけではない。
私がレビウス様の目を盗み、ファティカ様へ勝手に治癒を施していたことに激昂されているのだ。
どうして治癒の力のことが露見したのかはわからないが……こうなってしまえば、私の信頼は地に落ちたも同然。ガヴィーノ様との一件も、いくら釈明しようと聞き入れてはくれないだろう。
絶望的な状況にも関わらず――いや、だからこそ、だろうか。自分でも怖くなるくらいに、頭の中は冷静だった。
レビウス様の怒りが私に向いてくれてよかった。
でなければきっと、厳しいお叱りを受けていたのはファティカ様だったはずだから。
全ては『魔女』である私が招いたこと。
ファティカ様を唆し、勝手に癒したのも私。
その力を使ってガヴィーノ様に近付いたのも私。
それでいい。それが、全てを丸く収める最善の筋書きだ。
私は、三年間お世話になったヒルゼンマイヤー家の方々と、同僚である使用人たちに向け、深々と頭を下げ、
「……このような騒ぎを起こしてしまい、申し訳ありませんでした。お言葉通り、本日をもってこのお屋敷から去ります。今まで本当に……ありがとうございました」
広いホールに響く程の声で、はっきりと告げた。
顔を上げた視線の先で、泣きそうに瞳を歪ませるファティカ様と目が合った。
私は彼女を安心させるため、精一杯の笑顔を向ける。
あなたは悪くない。何も気に病むことはない。
私は使用人で、あなたは子爵の娘なのだから。
どうか……これからもお元気で。
そんな思いで見つめるが、伝わったかはわからない。
ただ、このような状況で微笑む私を、ヒルゼンマイヤー家の人々は「やはり魔女だわ……」と気味悪そうに話していた。
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