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4 "聖女"と呼ばれて
――乗り合い馬車に乗り、私は王都に隣接するカルミア領までやってきた。
石畳の大通りには馬車がひっきりなしに行き交い、その両端に連なるマルシェには多くの人が集まっている。
ヒルゼンマイヤー家のあるあの街より、ずっと賑やかで華やかな街だ。
そんな都の雰囲気に圧倒されつつ馬車を降り、私は今日泊まる宿を探しに歩き出した。
花屋のご主人に道を尋ね、最も賑わう大通りから路地へと入る。しばらく進むと、聞いた通りの宿屋街が見えてきた。
その内の適当な一軒に入り、空き部屋の有無と料金を確認する……が。
「…………え゛」
告げられた一泊の宿泊費に、私は顔を引き攣らせた。
……高い。想定の三倍はする金額だ。
「…………ちょっと検討します」
にこやかに立ち去り、そのまま隣の宿屋へ飛び込む。
しかし、そこでも同じような金額を提示される。
その向かいも、その隣も同じ。
最後の一軒を出て、私は「はぁ」と肩を落とした。
まさかこんなに宿泊費が高いなんて……見積もりが甘すぎた。さすが、王都に程近い都。
こんな高級宿に連泊しては、職が決まる前に破産してしまう。
どうしよう……今からでも別の街に移ろうか?
でも、馬車代もあまりかけられないし……
なんて、冷や汗を流しながらぐるぐる考えていると――
――ポツ。
と、私の脳天を、水滴が叩いた。
「……ん?」
見上げると、いつの間にか空には文字通り暗雲が立ち込めていて……
その一滴を皮切りに、ザーッと、バケツをひっくり返したような大雨が降ってきた。
「きゃーっ! もう最悪っ!!」
悪態を吐きながら、トランクを持ち駆け出す。
石畳にはあっという間に水が溜まり、お気に入りのブーツとワンピースの裾を無情に濡らしていく。ただでさえ癖のあるロングヘアも、湿気を含みうねうねとはねる。
嗚呼、なんて惨め。
神様。一体、私が何をしたというのですか?
虚しいやら悔しいやらで、泣くのを堪えながら走っていると……視界の端に、キラリと光るものを見つけた。
時雨に濡れるオレンジ色の屋根の群れ――その中に、一際高く伸びる塔。
とんがり帽子のような屋根の先に、金色に輝く十二芒星の像。
あれは……教会だ。
そうだ。教会なら、無償で寝床を提供してくれるはず。
この雨がいつ止むかもわからない。今日のところは、ひとまず教会にお世話になろう。
そう意を決し、私は輝く十二芒星を目指して駆け出した。
* * * *
一向に弱まらない雨足にずぶ濡れになりながら、なんとか教会に辿り着いた。
軒下に入り、ようやく雨を凌ぐ。重くなったワンピースの裾を絞ると、大量の水がびちゃびちゃと滴った。
ほっと息を吐いてから、私はあらためてその教会を見上げる。
近くで見ると、随分と年季の入った建物だった。木製の扉は塗装が禿げ、白い石壁にはあちこちひびが入り、蔦が我が物顔で蔓延っている。
味のある古めかしさ、と言うより、単に寂れていると言った方が良いような佇まいだ。
大通りから離れているとはいえ、こんな賑やかな街にある教会とは思えない雰囲気に、少しの不安が過るが……何にせよ、今の私には救いに他ならない。
私はできる限り水気を払うと、木製の扉を叩き、中へと足を踏み入れた。
「すみませーん……こんにちはー……」
誰もいない礼拝堂に、私の遠慮がちな声が響く。
整列する横長のベンチ。
その中央に伸びる緑の絨毯。
そして、正面に輝く精霊王・聖エレミア様を表した十二芒星の像。
造りは一般的な教会に違いないが、どうにも薄暗い。そして、埃っぽい。天井と梁の間には、蜘蛛の巣がいくつも張っていた。
「あのー……どなたかいらっしゃいますかー……?」
まるでお化け屋敷の中を進むような気持ちで、恐る恐る問いかける――と。
「うぅ……あたた……」
どこからか、呻き声のようなものが聞こえた。
私は思わずビクッと身体を震わせる。
「た、助け……こしが……腰が……」
怯えながら耳を澄ますと、そんな言葉が聞こえてくる。
私は「腰?」と首を傾げつつ、連なるベンチの最奥をそっと覗き込む。すると、そこに横たわる人がいた。
老婆だ。しわしわの顔に、ギョロッとした大きな目。小柄な身体にシスターの修道服を纏っている。
「あなたは……この教会のシスターですか?」
「いかにも。精霊の導き子よ、よくぞおいでなすった。と、言いたいところじゃが……ご覧の通り、腰を痛めておりましてな。まともな祭事が執り行えない状況なのです」
よほど腰が痛むのか、弱々しい声で答えるシスター。
と言うことは、彼女一人でこの教会を管理しているのだろうか? だとすれば、整備の行き届いていない現状にも納得がいく。
私は胸に手を当て、横たわるシスターに言う。
「その痛み、私の魔法で癒せるかもしれません。腰をこちらへ向けられますか?」
私の言葉に、シスターは「え?」と戸惑いつつ、身体を捩り、うつ伏せになる。
私は右手を掲げ、意識を集中させる。
身体を巡る熱が、気が、私の意識に応えるように右手に集まり……淡い光となって放たれる。
その光をシスターの腰に当てると、痛みの原因となる要素がみるみる内に修復されていくのがわかる。
私の治癒魔法は、万能ではない。
身体の深いところにある病気を治すことはできないし、死者を生き返らせることもできない。癒せるのは表面的な裂傷や内出血、筋肉や神経の損傷くらいだ。
このシスターの痛みは、腰の神経の炎症に原因があったため、私の魔法でも対処ができた。
「……はい。これで良くなったはずです」
手を下ろし、私が言う。
シスターは痛みに怯えながらゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。そして、何度か腰を捻り、目を見開いて、
「なんと……本当に治っておる! 痛くない! むしろ若返ったようじゃ!!」
ぴょんぴょんとその場で跳ねてみせる。
それから、私の手をパッと握り、
「ありがとうございます、お嬢さん。素晴らしい治癒の力じゃ。魔法学院の生徒さんかの?」
「い、いえ。違います」
「なに?! では、既に卒業されたプロの魔導師様……?!」
「いいえ。ただの十八歳無職です」
「なんと……この高い治癒能力を元々持ち合わせているということか?!」
「そうなりますね」
また、魔女と罵られるのだろうか?
なんて、少しトラウマになりかけている呼び名を思い出し、身構えていると……
シスターは、ただでさえ大きな目をさらに大きく見開き、こう呟いた。
「……聖女じゃ」
「へっ?」
「人々を癒す聖なる力を与えられたあなたは、まさしく聖女! これぞ神のお導き!!」
「えぇっ!?」
「どうじゃ?! その御力を活かし――この教会で、シスターとして働かんか?!」
思いがけない勧誘に、私は口をぽかんと開け……しばらく、何も答えることができなかった。
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