康弘のマンション

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康弘のマンション

「どうぞ」 「お邪魔します……」  康弘のマンションに着き、玄関のドアを開けてくれる彼に軽く頭を下げながら、おそるおそる足を踏み入れる。 (わぁ、広い……!)  好きなように見ていいと言った彼の言葉に甘えて、きょろきょろと室内を見てまわる。リビングに入ると、景色がよく見える大きな窓があった。 「綺麗な景色……。それにゆったりとしていて寛げそうなリビングですね」 「気に入りましたか?」 「はい」  頷くと康弘が嬉しそうに笑う。  つられて笑い、「次はどこを見ようかな」と独り言ちながら、リビングから見えるドアに近づいた。 「ここは?」 「そこは書斎です」  ドアを開けると、天井まで届く本棚が設置されており、経営学や薬学などの幅広い専門書がぎっちり詰まっていた。化粧品の成分辞典や美容関連の本などもあって、彼がとても勉強していることが窺える。 「すごいですね」 「読書は好きなんですよ。業務内容をチェックしたり経営戦略を立てたりしている時以外は、本ばかり読んでいます」 (仕事ばっかりじゃないの……)  本棚に並べられている本はすべて仕事に関係するものばかりだ。自分も仕事好きではあるが、それ以上の仕事好きに瑞希は顔を引き攣らせた。 「康弘さんは……家でくつろぐことはないんですか?」 「ありますよ」 (本当かしら?)  ニコリと微笑んで瑞希の荷物を持ってスタスタとリビングに戻っていく彼の背中を訝しげに見ながら追いかけた。  ――康弘の家は都心の一等地に立つ超高級マンションだった。ワンフロアに一邸のせいか部屋数も多い。会社にも近くセキュリティ面は万全かもしれないが、如何せん一人で住むには広すぎるように思う。 (康弘さんはここに一人で寂しくないのかな……)  だから仕事をしていないと落ち着かないのかもしれないと、瑞希は少し心が痛くなった。 「……広いですね」 「ええ。ここは祖父に譲ってもらったのですが一人暮らしには広すぎるので、ぜひ瑞希さんが来てくれると嬉しいです。部屋も余っていますしね」 「そうですね……」  自分が引っ越してきたら彼は寂しくなくなるのだろうかと、対面キッチンに入っていく彼をジッと見つめる。 (一年……お互い努力するって決めたんだし、この一年でこのお家を賑やかにしてあげようかな)  ちょっと前までは同棲なんて……と思ってたのに、今は前向きに考えられている自分がいる。瑞希はそんな自分に気づいて苦笑しながらソファーに腰掛けた。 「瑞希さん、何か飲みたいものはありますか?」 「あ、じゃあ、ビタミンが摂れるようなものはありますか?」  キッチンから声をかけてくれる康弘に要望を伝えると、彼が申し訳なさそうに自社製品のビタミンドリンクを持って戻ってくる。 「こんなものしかないのですが……」 「充分です。ありがとうございます。ビタミンはアルコールの分解を手伝ってくれるから飲んでおこうかなと思って……」  お礼を言いゴグゴクと飲む。彼は安堵の表情を浮かべながらテーブルの上にルイボスティーとお菓子を用意してくれた。そのお菓子を見て、はたと動きを止める。 「え……そのお菓子……」 「お嫌いでしたか?」 「あ、いえ。好きです。大好きなお菓子だったので、少し驚いただけです」  目の前に並べられた焼き菓子カントゥッチに目を瞬かせる。見た目はサクサクしてそうだが、実際食べると固くてガリッと音がするトスカーナの伝統菓子だ。 (この固さがたまらないのよね……)  瑞希は一つ手に取って思わず笑顔になった。  最初は固すぎて驚いたがだんだんとクセになっていき、今では普通のビスケットでは満足できないほど大好きなお菓子だ。 (これがここで食べられるなんて……嬉しい) 「ああ、良かった。瑞希さんのお母様から、貴方の好きなものを色々と教えていただいたので取り寄せてみたんです」 「へぇ……」  聞き逃せない一言に顔を引き攣らせる。眉をひそめながら、お菓子を見た。 (パパの次はママ?) 「もしかして、うちの親と結構連絡取ってたりするんですか?」 「結構というほどではないんですが、たまに……」 「……」  瑞希は、自分の知らないところで父どころか母までもが康弘と仲良くしていた事実に頭をかかえた。 「もう嫌。頭痛い……」  苛立ちをぶつけるようにガリガリとカントゥッチを齧ると、康弘が少し困ったように眉根を寄せた。 「大丈夫ですか? 今日はお風呂に入って、ゆっくり休んでください」 「……。その前に一つだけいいですか?」 「はい、なんでしょうか?」 「一年間は貴方と向き合うと約束しましたし、今後は逃げないでちゃんとします。だから、これからは気になることがあるなら両親じゃなくて私に聞いてください」 「承知しました」  笑顔で即答する彼に、瑞希は小さく息をついた。 (康弘さん、言えば話も聞いてくれるし優しいけど……。社長だからなのか、一緒にいるとまだまだ緊張するのよね)  至急慣れなければいけないなと考えながら俯くと、体がふわりと浮いた。膝に座らせられたのだと気づいた時にはすでに遅く、逃げられないようにしっかりと抱き締められていた。 「え? あ、あの……康弘さん……?」 「体調はどうですか?」 「も、もう大丈夫です。酔いは覚めました」 「なら良かった」  そう言った途端、康弘の唇が触れた。突然キスされて体が強張るが、彼はそんな瑞希を見て楽しそうに笑いながら下唇を食む。そして唇の合わせ目を舌でなぞり隙間から舌をねじ込んでくる。 「んっ……」  反射的に目を瞑り、彼の服を掴む。  逃げたいが後頭部に手を添えられているのでできない。 「ま、待っ……ふ、ぅっ」 「瑞希」  唇を少し離して囁かれると、吐息が唇を掠める。小さく震える体を抱き締めて、舌を絡めて強く吸われると、体がカッカしてきて熱くてたまらない。彼がくれる熱とキスの甘さが、じんわりと思考を濁らせる。 「ん……っ、んぅ」  ようやく唇が解放された時には息が乱れていて、瑞希は彼のシャツをぎゅっと掴んで呼吸を整えようとした。 「や、康弘さん……」 「瑞希さん。お風呂の用意をしてくるので、少し待っていてください」 「は、はい……」  どうしていいか分からず縋るように彼を見ると、そう言って頭を撫でてくれる。瑞希が小さな声で返事をすると、膝からおろしてくれた。 (ど、どうしよう……心臓が破裂しそう)  緊張と恥ずかしさでどうにかなってしまいそうなのに、なぜかバスルームのほうに消えていく彼から目が離せなかった。
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