お見合い

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お見合い

 大安吉日の日曜日。地上三十九階のレストランで原田(はらだ)瑞希(みずき)は、お見合い相手の名刺をもらったままの姿勢で固まっていた。  目の前にはオーダーメイドのスーツをスマートに着こなし、髪をビシッとセットしているイケメンが脚を組んで座っている。切れ長の目がクールに見えて、瑞希好みだ。が、見合い相手がかっこいいからといって喜んでいる場合ではない。 「露口(つゆぐち)康弘(やすひろ)さん。露口製薬の社長……」  相手の名前を口に出すだけで、冷や汗が噴き出してくる。瑞希は引き攣るように笑った。 (嘘でしょう! うちの会社の社長じゃないの!?)  事の起こりは一週間半前――  仕事漬けの娘の身を案じた両親が見合い話を持ってきた。冗談じゃないと一蹴するも、大学以降恋人がいない瑞希が心配なんだと必死の説得攻撃にあい、うっかり頷いてしまったのだ。 (だって……このまま仕事一筋に生きていたら孤独死一直線だとか大袈裟すぎること言って泣くんだもの)  正直なところ極端すぎて何と切り返したらよいか分からず、負けたというのが大きい。だからと言って、簡単に頷いてはいけなかった。何より最初から断るつもりでいたので、相手の情報を一切聞いていない。 (ど、どうしよう。社長は私の勤務先が自分の会社だって知ってて、お見合いに来たのかな?)  知っているのと知らないのとでは、これからの対応に大きく差が出てくる。  社長が平社員の顔を知っている確率はほぼゼロに近いだろうが、父から聞いているなら話は変わってくる。 「ちょっと失礼します……。お手洗いに……」  瑞希は誤魔化すように笑いながら立ち上がり化粧室へ逃げた。  中に駆け込むなり父に抗議の電話をかける。すると、数コールしたのちに父が電話に出た。 『パパ! 一体何を考えてるのよ!』 『何がだ? それよりもう終わったのか? 早すぎないか?』 『まだ終わってないわよ。どうしてお見合いの相手がうちの社長なのよ! あり得ないでしょう!』 『なんだそんなことか。あり得ないことはない。瑞希は薬の研究がすごく好きじゃないか。彼も仕事好きだと有名だから合うはずだ……。それに同じ会社なら話すこともたくさんあって盛り上がるんじゃないか?』  気がきくだろうと笑う父に、今日一げんなりする。  同じ会社といっても同僚とはわけが違う。雇い主と何を話せと言うのか……。見合いではなく面談の間違いじゃないのかと、瑞希は心で泣いた。 『……社長にどこまで話したの? 私の仕事のこと言ってないよね?』 『瑞希が創薬研究者として働いていることは言ったが、勤務先のことは言っていない。話のタネになると思って黙っていたんだ。きっと驚いて話も盛り上がるに違いない』 『そんなわけないじゃない! 頭に花でも咲いてるの?』  大きな溜息をついて電話を切る。泣きたい。瑞希はきゅっと唇を引き結んで鏡に映る自分の姿を見つめた。  今日はいつもとは違い、お見合い仕様だ。セミロングの髪を美容院でアップスタイルにしてもらい、メイクも華やかにしてもらった。万が一、会社で普段の瑞希と会っても彼が気づくことはないはずだ。 「念のためにメイクをもっと濃くしとこうかしら」  勤務先がバレていないなら、このままやり過ごせばいい。 (きっぱり断れば大丈夫よね……。私、政略結婚じゃなくて恋愛結婚したいんですとか言って……)  そこまで考えて歯噛みした。  恋愛なんて絶対にしたくない。もう二度としないと決めたのだ。嘘でもそんなことを言わなければならないと思うとしんどいが、背に腹はかえられない。  瑞希は両頬を叩き気合を入れ直してからメイク直しをし、露口のもとへ戻った。 「待たせてごめんなさい」 「いえ……」  お茶を飲んでいるだけなのに、大人の落ち着きを感じる。大会社の社長とあって、所作ひとつにしても美しく、育ちの良さが垣間見える。 (確か、社長って三十歳だっけ……)  自分は二十八歳なので、釣り合いが取れる年齢ではある。我が家は食品をメインに、一般用医薬品の製造や販売もしているので、この結婚で生まれる会社間のメリットもなんとなくだが理解はできる。 (心配だ心配だと言いながら、がっつり政略結婚じゃないのよ。パパの馬鹿)  両親の涙を信じて、つい了承してしまったチョロい自分がほとほと嫌になった。 「あの……露口さん……」 「何ですか?」 「お忙しいでしょうし、単刀直入に言いますね。このお話はなかったことにしていただけませんか?」 「なぜ?」 「なぜって当たり前でしょう。政略結婚だなんて絶対に嫌なんです。わ、私は運命の人と運命的な出会いをして恋がしたいの」  机の下でスカートをぎゅっと握りしめ、挑むように言い尽くすと、彼が鼻で笑った。 「やけに運命にこだわるんですね。ではある種、これも運命的な出会いでは?」 (どこがよ……)  彼の返答にムッとして分かりやすく大きな溜息をつく。 「……分かり合えないようなので、もう帰ります。私、お見合いなんて時間の無駄なこと大嫌いなんです」  話し合うことを諦めて瑞希が立ち上がると、彼に手首を掴まれる。振り払うと、また笑われた。 「奇遇ですね。俺も無駄は嫌いです」 「な、なら……」  同じ意見だということが分かり露口の言葉に前のめりになると、彼が「では結婚を前提にお付き合いしましょう」と言った。 「は……い?」  目が点になる。今の話のどこをどう受け止めたら、そういう言葉が出てくるのか……。理解ができない。  瑞希が頭をかかえると、露口が「まあ話を聞きなさい」と言って、瑞希に再度座るように促す。渋々座り直すと、彼が満足そうに笑った。 「断ることばかりに捉われていないで、もう少し物事を柔軟に考えてみませんか?」 (柔軟に……?)  どういうことか分からず首を傾げると、彼がニヤリと笑う。その笑みになぜかゾワッとした。 「両親からの度重なる見合い攻撃を終わらせるためには結婚するしかありません。俺は忙しい。貴方も言ったように見合いなど時間の無駄だ。だからこそ、もう今回で見合いは終わらせると決めたんです。瑞希さん、結婚しましょう」 「……」  呆れてものが言えない。  確かに結婚すれば、見合いをしろとは言われないだろう。だが、それはあまりにも暴論だ。むちゃくちゃだ。  瑞希は話にならないと肩を竦めた。 「だったら、その考え方に賛同してくれる人をお見合いで探せばどうですか? 私は無理なので」 「何度も言わせないでください。見合いはもうしない」 「……はぁっ、それは貴方の都合でしょ。私に押しつけないでください。大体、こんな一回で何が分かるというのよ……。もし私が甘やかされて育った驕慢なお嬢様だったらどうするんですか? そんな女でも結婚したいんですか?」 「薬学部を六年。大学院を四年。そして就職して創薬研究者として日々頑張っていると聞いています。そんな人がただ甘やかされたお嬢様だとは俺は思いません。それに製薬会社の社長として研究者を見る目くらいはある。君は俺が求める妻に相応しい」 「研究者を見る目はあっても、結婚相手を見る目はなさそうですね」  見定めるような目で見てくる居心地の悪さに瑞希は再度立ち上がり、絶対零度の眼差しで睨みつける。 「私は絶対に無理です。結婚なんてしませんから、ほかを当たってください!」  瑞希は露口にそう言い捨て、一目散にレストランから逃亡した。
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