はかりごと

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「へぇ、消炎作用があるアラントインを配合してるのね。しっとりとしていてリッチな感触が好きかも」 「こっちは超微細ナノカプセル化技術を採用してるから潤い保持成分がたっぷりと取れそうよ」  昼休み、成分表を見ながら知紗たちと基礎化粧品を試す。わいわいと化粧水や乳液を手に取っていると天崎がずいっと身を乗り出してきた。 「そうなんですよ。角層の深部までじっくり入っていくから外部刺激も受けにくくなるので、原田さんにはおすすめですよ。確か肌が弱いんですよね?」 「へ? 別に弱くないけど……」 「……え? おかしいですね。確かにそう聞いたんですが……」 (私、そんなこと言ったかしら?)  首を傾げると天崎も首を傾げる。すると、知紗が天崎の手を引っ張った。 「ねぇ、私にもおすすめ教えてよ。鼻やおでこはベタついてるのに頬とか口元はかさつくの。混合肌っぽいんだけど、今回の中だとどれが一番いいかな?」 「えっと、それなら……」  知紗のカウンセリングを始めた天崎を見ながら、おすすめされた化粧水をジッと見る。 (確かにこれすごくいいのよね。これが合うってことはやっぱり天崎さんの言うとおりなのかな)  自分的には肌が弱くなかったつもりだが、化粧品の研究員(プロ)がそう言うのならそうかもしれないと勝手に納得した。 「それにしても化粧品部門がある会社で働いてるとお得よね。たまにこうやってモニターさせてもらえるし、サンプルももらえるし。私、この会社で働くようになってから自分で化粧品を買う頻度がかなり減ったわ」 「うふふ、喜んでもらえて研究員冥利に尽きます。私たちも生の声が聞けて、とても助かっているのでサンプルくらいならいつでもどうぞ」 (発売前に試させてもらえるのは嬉しいわよね。社割も使えてお得に買えるし)  学生の時は勉強や研究に明け暮れていて、あまりメイクに興味がなかったが就職して化粧品部門の人たちと関わるようになってから考えが変わった。  医薬品に使われているものは化粧品にも使われている。自分が探索、創出した新規化学物質が手の離れたところで医薬品とは違う形になっているのを見れば感慨一入(ひとしお)で、興味を持たないわけがない。 (それは逆も然りよね。研究内容は違えど相互関連性があって、助け合えてる。とても楽しいわ)  念入りにスキンケアをしながらうんうんと頷いていると、天崎がメイクアップ商品を選びながら瑞希の頬をつついた。 「そういえば原田さんは今日すっぴんなんですね。びっくりしちゃいました。わざわざ落としてから来てくれたんですか?」 「違う違う。今日だけじゃなくて最近ずっとメイクしてないのよ、この子」 「え~、どうしてですか?」  彼女の純粋な疑問にあははと笑う。なぜと言われても困る。 「もしかして、肌荒れをしていてメイクできないんですか?」 「え……そ、そういうわけじゃ……」  すぐに否定したのに、天崎が同情めいた視線を送ってくる。本当にどうして彼女の中で瑞希の肌が弱いことになっているのだろうか。 (私の肌、そんなに駄目? 少しメイクしないうちに荒れちゃったのかな?)  急に心配になって鏡と睨めっこする。もう少し保湿クリームを塗り込もうとしたところで、天崎に止められた。 「何事にも適量というものがあるので、たくさん塗り込めばいいってものじゃないです。ちょっと見せてください」 「ねぇ、かおり。久しぶりにメイクしてあげてよ。いいメイクアップ商品が揃ってるんでしょ」 「ええ、いいですよ。今のところ、肌も大丈夫そうだし問題もないと思います。しばらく肌を休ませているうちに治ったんでしょうね」 「そっか……良かった……。荒れてないのね」 「今回の商品は本当にお肌に優しいから、ばっちりメイクをして久しぶりにおしゃれしましょう!」  天崎が任せてと胸をドンと叩く。親身になってくれる彼女に、試したらすぐ落としたいとは言えずに、半ばやけくそに笑う。 (い、いつもは新商品を使った状態で日中を過ごして、夜メイクオフした時の落ちやすさとか肌の状態まで報告してるものね……困ったな)  瑞希は終業時間まで、どうやって露口に会わずしてやり過ごすかをシミュレーションした。 「わぁ、すごい! とても似合ってるわよ」 「ちょっと……。これはやりすぎよ。仕事中にしてはメイクが濃いわ」  見合いの時と同じようなメイクをされて、瑞希は鏡を見ながら震えた。すると、知紗が自分の睫毛にマスカラを塗りながら大丈夫大丈夫と笑う。 「瑞希ったら心配しすぎ。要は遭遇しなきゃいいんでしょ。社長は滅多に研究棟(こっち)のほうに来ないから平気だってば。それよりそのメイクをすぐに落としちゃうほうがもったいないわ。あ! せっかくだから、終業後に飲みに行こうよ」  泣きそうになると知紗が声をひそめて励ましてくれる。確かに彼女の言うとおり、こっちで露口に会ったことはないからきっと大丈夫だと不安な心に無理矢理言い聞かせた。 (でも本当に大丈夫かな。今日に限って用事があって来たりしない?)  訝しげに鏡に映る自分の顔を睨みつけていると、天崎がなぜかヘアメイクまで始めた。 「このあと飲みに行くなら髪巻いてあげますね。ついでにヘアスタイリング剤のモニターもしてくれると嬉しいです」 「ありがとう……。でも、私はいいから知紗の髪をしてあげてよ」  ヘアスタイリング剤を選びながら、カールアイロンの準備を始めた天崎に知紗を押しつける。 「私は自分でするから大丈夫よ。せっかくだからヘアセットしてもらいなよ」 「いやいや、さすがに髪までセットしたら言い逃れができないでしょ!」 「え? なんの話ですか? 言い逃れ……?」  天崎がカールアイロンの温度を確認しながら首を傾げた。 (やっぱり駄目! これ以上は危険すぎる!)  本能が今すぐメイクを落とせと言っている気がする。  瑞希は慌てて立ち上がり、机の上に置かれたクレンジングオイルを掴んだ。その瞬間、背後から伸びてきた手にそれを取り上げられる。 (え?)  突如伸びてきた明らかに女性の手ではない骨ばった男性的な手に瑞希は目を見張った。ぶわっと変な汗が出てきて、体が強張る。 (いつ入ってきたの? 三人で騒いでたから全然気づかなかった……!)  瑞希が震えていると、知紗の「しゃ、社長!」という悲鳴じみた声が聞こえてきて、さらに泣きたくなる。 (ど、どうしよう……ああもう。メイクなんてしちゃいけなかったのよ)  瑞希が自分の行動を悔やんでいると、天崎の口から耳を疑うような言葉が飛び出した。 「露口社長、お疲れさまです。今日は原田さんの肌の調子が良かったので、ご指定どおりのメイクを施しております」 「ありがとうございます。そうですか、調子がいいのなら良かった……。やはり敏感肌なんですか?」 「見たところ、そうは感じませんでしたが……原田さん自身に自覚があるなら今後も気をつけたほうがいいかもしれませんね」 (……!!)  二人の会話に目を大きく見開く。横目で様子を窺うと、最初はどうしようという顔をしていたはずの知紗が、ポンッと肩を叩いてきた。その目は『もう観念したら?』と物語っているようで、この中に味方がいないことを悟る。 「少し原田さんと話があるので、申し訳ありませんが席を外していただけますか? お礼に昼食の用意をさせているので、外にいる市岡に案内してもらってください」 「ありがとうございます!」  天崎と知紗の嬉しそうな声にぎりぎりと歯噛みする。 (この裏切り者たち……)  あとで覚えていなさいよと横目で睨んでいるが、彼女たちは気にせずに足取り軽く部屋を出て行った。ドアの閉まる音が無情に響く。 「さて、原田さん。こっちを向いてください」 「い、いやです!」 「なぜですか? プレゼントしたら使った貴方を見せてくれると言ったじゃないですか」 「私は見せるとは言ってません!」  机にしがみついて、無理矢理振り向かせようとしてくる露口に抵抗する。すると、彼のほうが観念したのか、瑞希の髪を梳かしはじめた。 (ん?)  何を……と思っているうちにカールアイロンのスイッチを入れ直し、瑞希の髪を勝手に巻きはじめた。 (ちょっ、え? 何?) 「社長? 何して……」 「振り向きたくないなら、原田さんが振り向きたくなるまでこうして待っているので気にしないでください。せっかくですし、俺がヘアセットをしてあげます」  激しく動揺している瑞希をよそに露口は嬉々として瑞希の髪をカールアイロンで挟み、毛先から中間部分にかけて巻き上げていった。 「でも早く振り向いてくれないと強く巻きすぎてしまうかもしれません。縦ロールになってもいいなら別に構いませんが……」 「え……やめてください」  脅し方が独特すぎて、なんと返したらいいか分からない。混乱しすぎて気が遠くなりそうだ。
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