中島の手には、力がある。

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 中島遥二(ようじ)。27歳。イラストレーター。  数時間前、遥二は、人気イラストレーター「錫色(すずいろ) (ゆり)」の「中の人」として、自分自身の個展の列に並んでいた。  初イラスト集出版記念の初個展。会場の外にまで飾られた祝い花にくすぐったい気持ちになる。会場が狭い分待機列は長くて、遥二はようやくあと数組の位置にたどり着いた。  列にはカップルが多く、少し冷える春のそよ風に手を温め合っている。  おれの個展を見にきてくれるカップル、全員幸せになってほしい。カップルじゃない人たちも全員それぞれに幸せになってくれ!  遥二は独り身の自分を棚上げして祈る。それくらい、初個展はしみじみと嬉しかった。  自分の作品を見るために、肌寒い中こんなにたくさんの人が並んでくれるなんて思ってもみなかった。  5年前、ブラック企業を辞めて、気落ちしながら地元に帰った。疲弊した心で、それでもイラストで食べていくしかないと思った。不安でいっぱいのスタートだった。それが今では、個展を開催するまでにたどり着いた。両親もそれはそれは喜んでくれた。  おれが錫色 (ゆり)ってバレてないかな。  ふと不安が湧いてきて、そわそわと手をポケットに突っ込んではすぐに出してみたり、チラチラと周囲に目をやったりと、挙動不審になってしまう。  本人目撃情報が投稿されていたらどうしよう。SNSのタイムラインを何度も更新する。そして、身バレの不安を忘れて個展の感想にニヤついてしまう。さらに挙動不審に見られる悪循環。マスクをしてくればよかったと後悔した。  錫色 揺が男だと知る人は多くない。  遥二は、儚げな美少女を淡く繊細な色彩で描くのを得意としている。  そのせいか、クライアントと顔を合わせると「女性だと思ってました」「結構イメージと違いますね」と言われる。  まあそうだろうな、と遥二はショーウィンドウに映った自分を眺めた。  髪型はパーマをかけたツーブロック。  吊り上がった目尻に、ぱきっと印象的な漆黒の虹彩。  ピアスは左右の耳たぶに合わせて3つ。  服装は悩みに悩んだが、万が一本人バレしたときにも好印象を狙って、黒シャツに黒ジャケットを羽織っている。  印象は最悪ではないはずだ、と安心して遥二はまたスマホに目を落とした。 「うっ」  エゴサにかかった投稿に、遥二は思わずうめいた。 『錫色揺の個展、なんか統一感なかった……』 『わかる〜、絵柄は固定でなんでも描きますって感じ』  露出が増えるほど、こうやって言われるようになる。  ねたみだと分かっている。イラストレーター仲間で集まって、「気にしたら負けだよな」と励まし合う。それでも、完全に的外れではない気がして焦ってしまう。  「なんでも描きます」は悪いことだろうか。声をかけられればためらわず、色々な案件を受けてきた。もっと上を目指して、大きな仕事があれば飛びついて、そのときの全力の一枚を描いた。  確かに業種もテイストもバラバラになってしまっているけれど……。文句を言われるほどのことだろうか?  もう一度チラリとガラスに映った自分を見る。  どう見ても「人気イラストレーター・錫色 揺」の中の人は「儚げ」でも「繊細」でもない。それがバレたら、もっと叩かれるかもしれない。  やっぱり身バレは避けないと。遥二が決意を固めたその瞬間。 「あの……中島? 中島遥二?」 「アッ」  思考が追いつかず、遥二はスマホを握りしめて固まった。 「あ、人違いでした、すみません」  あわあわと顔の前で手を振る男性の声には聞き覚えがあった。 「待って! 篠原?」 「え! そうそう! 篠原(あずさ)!」 「えー! めっちゃ久しぶり! 何年ぶり?」  遥二に声をかけたのは、5年前に卒業した大学の友人だった。 「何年ぶり……だっけ」  篠原はあいまいな笑顔を浮かべた。 「卒業式で会った?」 「いや、どうかな」  篠原は首をかしげたが、それは考える「フリ」のように見えた。  そういえば篠原とは、大学の途中から疎遠だった気がする。何か理由があったんだっけ……?  遥二が学生時代に思いを馳せるより早く、篠原はテンションの高い声で遥二に話しかけた。 「中島も錫色先生のファン!? 僕もなんだけど!」  数年ぶりに会った友人の顔は、錫色先生=中島遥二への憧れでキラッキラに輝いていた。  こんなぴかぴかの笑顔を向けられて、「おれが錫色 揺です」なんて言い出せるわけないだろ!! 恥ずかしいわ!! どこか深い穴に向かってそう叫びたい。  篠原は遥二が絵を描くことを知っている。でもまさか、自分が知らないうちに同級生のファンになっているなんて思ってもみないだろう。バレたらなんか気まずくないか!?  遥二は恥ずかしさと気まずさを押し殺して、ぎこちなく笑顔を作った。
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