中島の手には、力がある。

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 二人は個展の列の最後尾に並び直した。作家本人が割り込みを許すわけにはいかないし、並び直せば話をする時間ができる。遥二は篠原と話をしたかったのだ。  篠原は、遥二が並び直したことにやたらと恐縮している。でも遥二としては、これだけ人が並んでいるのを見てそのまま帰ってもいいくらいなのだ。  「実はおれが錫色 揺なので、展示の様子だけ見られればいい」とはとても言えないけれど。  遥二と篠原は大学1年のとき、書道サークルで出会った。二人で出かけるくらいに仲がよかったのに、気づいたら連絡も取らなくなってしまった。  この偶然の再会をきっかけに、もう一度篠原と仲よくなりたい。篠原は楽しげに遥二と話す。何年もの疎遠な期間はなかったみたいに。  篠原から、また遊びに行こうよとか、今夜飲もうよとか、誘ってくれるんじゃないかな。遥二は密かにそう期待している。  それにしても篠原は変わった。 「ぱっと見で篠原だと気づかなかった。メガネの印象が強くて」  個展の話は恥ずかしいので、遥二は篠原のファッションの話題を振る。 「でしょ? 業界人(ギョーカイジン)っぽい?」 「ぽいわー」  ふふん、と笑って篠原はメガネを持ち上げる。ダークグリーンの丸メガネだ。  篠原は前髪を斜めに流している。  男性では珍しい長めの髪型も、コミカルな丸メガネとよく似合う。  服装はシャツにジャケット。  「おぼっちゃんがそのまま成人した」みたいなクラシカルな雰囲気に統一しているようだ。  取引先のデザイナーにもこういうファッションの人がいる。篠原の言う「ギョーカイ」は広告業界だろう。  仕事の質問をしようとした遥二の目に、危険信号が飛び込んできた。 「あぶない!」  遥二は咄嗟に篠原の腕を掴んで引き寄せる。ロードバイクが待機列すれすれを走り去っていった。 「あぶな……ああいう自転車、最悪」 「ほんとにね。ありがと」  微妙な沈黙のあと、遥二は篠原の腕を掴んだままだと気づく。 「あ」  ぱっと手を離す。 「いやいや。ありがとう」  篠原はやわらかく笑って遥二を見る。でもその表情には、少しの照れがにじんでいた。  ——篠原をハグしてみたい。  突然の妄想にぎょっとして、遥二はごまかすように目を逸らした。  ——おれ、篠原と疎遠になったとき、すごくさみしかった気がする。  だから、「ハグしたい」は友情のハグだ。5年越しに再会できた喜びのハグだ。全然、「そういうこと」じゃなくて……。  遥二の耳は赤く染まっている。頬が熱くなって、遥二は赤くなっているのがバレていないかドギマギした。二人は急に黙ってしまって、列が進むのに従った。
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