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実は、KIRIKOは生きている。今は人気アイチューバーの飴玉シーナとして、顔のない世界で名を轟かせている。それから、僕の妻としても努めてくれている。
「今日も編集してたの?」
「うん、次の動画も面白いのできたよ」
煮込まれたシチューは、こってりと舌に絡んで心地よかった。
彼女は、味を褒めたら素直に喜んでくれる。そういうところが、やっぱり可愛い。
「さすが、人気アイチューバーは違うね」
「鮫島さんの企画のおかげだよー」
シイナは変わらず、僕を鮫島さんと呼んだ。自分だって“鮫島さん”なのに、そこだけは変えられなかったらしい。もちろん、外では下の名で呼んでもらっているが。
シイナは外で、美人な奥さんとして好評だ。毛色の違うメイクが出来るシイナは、KIRIKOの面影を完全に消して生活している。
「いんや、シイナの実力あってこそだって」
「ふふっ」
あの時、KIRIKOは言った。私、やっぱりもうテレビには出られません、と。
そうして僕に、こうも告げてきた。けれど逃げながら生きたくはない――と。
今にも死にそうな、蝋燭の火のような声だった。あの時は、一生で一番深い焦りを覚えたものだ。すぐにでも死んでしまうかと思った。
だが、直後の声には、見逃しそうなほど細いものの芯があった。
『だから鮫島さん、協力して下さいませんか?』
KIRIKOの計画を、最初はあまりに無謀だと考えた。死んだ振りをする――なんて計画は。けれど、生きてさえくれるなら、なんだって成就させてやろうと思った。
存在ごと隠すには、会社の同意がなければ厳しい。ゆえに、全財産を貢ぐつもりで社長に相談した。
きっと社長も、KIRIKOが可愛かったのだろう。意外にあっさりオーケーしてくれた。
その後、双方の同意のもと入籍した。ほとぼりが覚めたころチャンネルを開設し、人気配信者にまでのしあがった。
声も顔も違う人間になると、他者は同一人物だと疑わないらしい。
とは言え、きっと生存が発覚してもKIRIKOは上手く切り抜ける。上手い言葉で、演技で、全てをエンターテイメントにしてしまう。
この子はそういう子だ。アイドルになるべくして生まれ、皮を被って器用に人の目を惹き付ける女の子。こんなにも純白が似合いそうなのに、輝くためになら何にだって――死人にだって化けてみせる怪物なのだから。
だからいつか、ステージに舞い戻って世界を虜にしてしまう。僕は、そんな気がしてならない。
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