31人が本棚に入れています
本棚に追加
羽馬千香子編 10話 かっこよすぎるよ
誠司くんも先輩たちもいなくなって、周囲のざわめきがふくらんで耳に飛び込んでくる。
あまりにも突然の出来事が立て続けに起きて、体も頭も重たくてその場から身動きできずにいた。
「羽馬さん!」
視界に飛び込んできたのは、息をきらした円堂先輩だった。
「大丈夫? なにがあった?」
いつもゆったりのどかに構えている先輩にしては、落ち着かなく瞳や体を揺らして、あちこちに視線を投げてきた。
「田口さんから聞いて! 三年生に絡まれてるって!」
田口先輩は、美術部の二年生だ。多分、私の前に捕まって三年生たちに取り調べを受けたのかもしれない。
じゃあ、今、円堂先輩がここへ来たのは、それがキッカケであって、誠司くんが言ってたことは違うというわけだ。あれは、彼の、ハッタリだったのだ。
「先輩! ちょっと、部活遅れて入ります! 行ってきます!」
「え? 羽馬さん?」
ついさっき消えてしまった誠司くんのあとを追って、駆け出した。さっきまでの重かった体が嘘のように、つま先がもっと遠くに、もっと早くと伸びていく。
昇降口へ繋がる廊下で、さっきの野球部員に追いついた。
ならきっと、誠司くんも部活へ向かうため、下駄箱へ向かったはずだ。
途中、先生に「廊下を走るな!」と呼び止められそうになったけど、それもすり抜けた。壁の角を掴んで、曲がり角をスピードもゆるめず走り抜けた。
シューズロッカー前で屈んで靴を履き替えている彼の背中があった。
「誠司くん!」
ギョッとしたように、驚いて振り返る彼の前まで滑り込み、息も整えず口を開く。
「誠司くん! ありがとう! 大好き!」
「わっ!」
飛びつくように口元を手のひらで覆われてしまった。
「あ、アホか! お前はほんとに!」
ダッシュしてきた私よりも、真っ赤に汗だくになっている。グリングリンと周囲を見渡して、動きを止めた周りの視線から逃げ出すように、腕を引っ張られて、校内に戻った。
誠司くんは運動靴のままだけど、たぶん気付いていない。
ズンズンと校舎奥まで引っ張られた。どこかしこにも生徒はいるので、とりあえず誰もいない場所は諦めたようだ。
「大声出すなって、あんなことをっ」
声をひそめようとしたのか、誠司くんの声は変に掠れてしまっている。
「つい、顔見たら。ありがとうって言うつもりだったんだけど」
これは本当である。誠司くんが、ダイナミックな告白を嫌うなのはもう十分わかっているので、次からの告白はもっとちゃんとしようと思っていたのだ。
「ああくっそ、あっつー!」
真っ赤な顔に噴き出している汗を、オレンジのシャツで雑に拭いながら、誠司くんは苦々しそうに睨んできた。
「お前は、なんでもかんでも口に出しすぎ! そんなだから絡まれるんだぞ!」
「口に出す前に絡まれたもん」
「火に油、注ぎまくってただろが、さっき、どう見ても」
「あ、やっぱり。だから誠司くん、さっき助けてくれたんだね」
「っ! 助けてねーし! 手元が狂っただけだしっ!」
腕で口元を拭って視線をそらしているけど、顔が真っ赤なの丸見えである。
堂々と「俺が助けてやったんだ、へへん、感謝しまくれ」とか威張って言ってもいいと思うんだけど、やっぱ変なところで"誠司くん"なのである。
「偶然あの場で、たまたま手元が狂ったってこと?」
「ああ! お前、ついてるな!」
「あはは」
笑ったら怒られるのわかってても、こみ上げてくるものに耐えきれず漏れてしまった。
「もういい! 部活間に合わねーし!」
誠司くんは、ズンズンと足を大きく振り上げながら昇降口へ向かって歩き出した。
たぶん、あれで怒りを全面にあらわしているんだと思うと、怒らせたはずなのになぜだか少し、嬉しかった。
最初のコメントを投稿しよう!