龍と妖怪、三シャの願い

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 男は立ち上がり、服に付いた土を払う。  青みを帯びた白い服が同色の月明かりを反射していて、実際よりも男の背を大きく見せている。  帯は深紅。男が前王であったことを示す唯一の物だ。赤は王だけが身に付けるのを許されている色。 「言っておこう。口喧嘩ならば軍杯は私に上がる。口から生まれたような人に育てられたのだ。私が口で叶わないのは今は亡き……兄、父親だけ。ただ一人だけだ」  男の言葉は矛盾している。  ただ一人と言いながらその前に兄、父親だけと二人の人物を指しているのだ。この真実を知るのは、今はもう男のみ。  男を育てたのは親子のように歳の離れた兄。と教えられてきた人物。その兄が兄ではないこと。男の実の父親であることを、男は故郷の小さな島を出る前から知っていた。 「……その行列の先頭にいるのは誰だ?」  木の精は興味があった。この男に恨みを持つ者は数多くいる。恨みには強い弱いがあるが、その中でも男は誰に一番恨まれていると思っているのか。  すぐに男を越来城に追い返すつもりだったが、少々予定変更。木の精を苦しめ続けるこの男を、少しでも知ってみたい。もし何か満足できるようなことを知れたならば、伝えてあげたい。 「間違いなく死者だ。生きている者は大小はあれど幸せな時間が増えていく。一方、永遠に時を止められている死者の恨みは募るだけ。妄想も入り込み、本当のことのように思い始める。そして、その妄想から抜け出せなくなっている。以上のことから絞ると、候補は二人。どちらも女だ」  もし、その二人の中に木の精の知っている名前があるのならば。考えるだけで今以上の怒りが湧き上がってくる。  木の精は小さな両手を男から見えないように背中に回し、ぎゅっと力強く握りしめる。  祈るように、知っている名前が男の口から出てこないように、願わずにはいられない。 「私の目の前で毒を飲んで死んだ妻、それか利用されるだけされて捨てられた真乙(まうとぅ)。この二人」  許せない。木の精の中は男の自死をやめさせるために叫んだ時よりも強い怒りが、激昂が体中を駆け巡る。  顔を真っ赤に染め、目は大きく見開かれ、口を歪め、握られた両手は爪がくい込んでいるのだろう。血が滴り落ちている。  感情を表している様々な赤は真っ白な髪の毛とのコントラストを生み出している。木の精のその姿を男に、キジムナーに、木々に見せつけるかのように、雲に隠されていた月がタイミングよく現れ照らす。 「ふざけるな……お前は、お前は娘の何を見ていた!?」  木の精の叫び声に感情に反響し、キジムナーが隠れているガジュマルの枝がしなり始める。  ぐわん、大きな音をたて。ばしゅ、鞭のような勢いで地面をえぐる。  恐ろしいガジュマルの姿に気を取られていた男は、背後から近づいていた枝に気付かず、気付いていたとしてもどうしようもないが、体中にガジュマルの木が絡みつき自由を奪われる。  絞め殺しの木の名に相応しい光景だ。枝は少しづつゆっくりと、だが確実に男を絞めあげている。時間はかかるが、当初の男の望み通り、このまま無抵抗でいれば死ぬことができるだろう。 「娘が、真乙が、本当にそう思っていると!? お前は本当に真乙がお前を呪っていると、お前の死を願っていると思っているのか!? 僅かな時とはいえ近くにいたのだろう? 何度もまぐわったのだろう? なのに、お前は真乙の何を見ていたのだ!」  キジムナーは初めて見る友の感情の爆発を興味深く見つめている。  ガジュマルの木がどれだけ動き回ろうとも、小さな体を器用に動かして身を隠し続けている。 「真乙が人魚(ザン)になってまでこの国を見守っているのは……本人は国の破滅を願っていると強がっているが、本心は、真乙の本当の願いは」  木の精の声は次第に小さくなり、そして続きを言わずに口を噤んだ。  目の前の男に何をしても変わらない。何を伝えたところで、どうにもならない。  時は戻らず、過去は変えられない。  木の精が感情を昂らせるほど大事にしている人間に起こった数々の不幸な出来事は何一つ消えてはくれない。
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