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真夜中の来訪者
月明かりに照らされた白い頬を、一筋の涙が伝った。雫を追うように瞼が落ちていく。夜空には、明るい月がひとつ。きらり。瞬くはずのない月が一瞬の光を放ったのを、頬の上の涙だけが映していた。頬の上に音もなく白い花びらが舞い落ちる。
開かれた目
突然現れた得体の知れないモノに触るのを躊躇ったミユウだったが、既に自分の体に触れているのに異常がないのだからと思い直してひょい、とつまみ取った。白くて薄いそれは、しっとりと水分を含んでいてどこからどう見ても花びらだった。自分の空想が作り出した物ではない。小さい頃ならまだしも、今のミユウは魔力を完全にコントロールできるようになっていた。手のひらに乗せると、月の光を受けてキラキラと輝くそれは、この世のものとは思えない美しさだった。
「きれい」
思わず声に出してしまうほどの魅力を放っている。しばし見とれていたミユウであったがハッと息をのんで窓を見上げる。でも、どうして?窓は閉まっているはず。ミユウは表情を固くした。誰かが、魔法を使ってここまで届けたというのは明らかだ。
「ちゃんと防護呪文かけたよね?」
魔力を辿っていくと、たしかに正常にかかっているようだ。そうでなくてもこの場所はご先祖の代から蓄積されてきた魔力で守られていて、滅多なものは通さないようになっているはずだ。
「ウン。ちゃんとかかってたよ」
「きゃっ」
突然、窓の外から声が聞こえ慌てて花びらを落としてしまう。
「だっ、誰なの?」
さっと枕の下から杖を引き出し、窓に向ける。
「ごめん。驚かせちゃったね」
ひょっこりと窓に顔を出したのは、金髪の少年だった。姿を現したのが同年代の少年だったことで恐怖感は少し遠のいたが、油断はできない。相手は紛れもなく自分と同じレベル、いや、それ以上の実力を持っていると考えられるからだ。強固にかけた防護呪文を、形跡もなく破るなんて…
「ねーそんな厳しい顔やめて。杖も下ろしてよ」
少年はミユウの様子とは対照的でのんびりとした様子だ。こちらが杖を向けているというのに警戒するそぶりをひとつも見せない。
「あなた、何者?」
「そんな、警戒しないで!って言っても無理かもしれないけど。僕は君に会いに来たんだ」
不満そうな顔をしてそう言う少年に対し、ミユウの表情は眉間にしわが寄るほど険しくなる。
「会いに来るなら、なんでこんな時間なの?どう考えたって怪しいじゃない」
そう言いながら、なるべく穏便に追い払う方法を頭の中で計算する。
「だって、夜、さみしいでしょ」
彼のその一言で、頭が真っ白になった。
「ほら、図星だった」
今度は今までよりもはっきりと声がする。
隙をつかれた。少年はミユウの一瞬の隙をついて部屋に侵入してきたのだ。ミユウの腕が力なく下ろされる。
「わかったわ。降参。もう、好きにして」
眉間のしわはなくなったけれど、ミユウの瞳からは光が消えた。少年はそっと屈んで、床に落ちた白い花びらを拾いあげた。手にとったそれを窓から差し込む月明かりに照らす。たくさん勉強して、腕を磨いてきたのに。なぜ。
「ねえ」
そう呼びかける少年の姿はミユウの目に写っていない。
「君は、この花の名前を知っている?」
「…」
少年は花びらから視線を離すと、はっとした表情になる。
「ごめん。怖がらせたかったわけじゃないんだ」
「じゃあ、何しに来たっていうのよ」
ミユウの暗い目からはとめどなく涙があふれる。魔法使いが一旦自分の呪文を破られてしまうと、その先に命の保証はない。ベッドの上で杖を握っていた手が震える。
「ほんとに、ごめん。これで、安心できる?」
今度はミユウが目を見開く番だった。少年はポケットから自分の杖を取り出すと床に置き、両手を挙げていた。
「これなら、怖くないよね?」
ある程度の力のある魔法使いなら、杖を使わなくても十分に呪文を使えるが、不思議とミユウの心は鎮まっていた。少年の行動に嘘がないと直感したから。ゆっくりと、頷く。それを見た少年は、にっこりと微笑んだ。
片膝をついて、ベッドの上のミユウに手を差し出す。
「僕はアキ。よろしく」
何故だか、目が逸らせなくなった。アキの目は、月夜に照らされて銀色に光っていた。これが呪いなら既に完璧に相手の術中に嵌っていることになる。相手の目を捉えることが、相手に漬け込む第一条件だからだ。自分の重ね重ねの失態にため息をつきながら手を差し出す。こうなったら、やけくそだ。
「わたしはミユウ」
「ありがとう。よろしくね」
少年はなぜかお礼を言うと、ミユウの手に触れることなく、花びらをミユウの手のひらに落とす。怖がっているミユウに気をつかったのだろうか。
「ああ、よかった。ずっとミユウと話してみたかったんだ」
そう言うとアキは大仕事を終えた後のようにベッドの向かいの椅子にドカッと座り込んだ。
「話してみたかったって、どういうこと?それに、勝手に座ってるし、なんなのよ」
不法侵入した挙句に、勝手に人の部屋の椅子を占拠するなんて、いささか、いや、だいぶしつけがなっていないではないか。
「だって疲れたんだもん」
ぷーっと膨れて可愛いことは可愛いが、それで許せるほどミユウはお人好しではない。
「勝手に入ってきて、勝手に疲れたって言われても」
「だってミユウの魔法、完璧だったから。だいぶ体力使っちゃったよー。結局美しくない方法、使っちゃったし」
「なっ!形跡もなく破っといて、嫌味なの?」
「それは、花びらで限界だった。僕自身が入るには、ミユウの隙を突くしかなかったんだよ。信じてもらえるかわからないけど、ホントはそういうの嫌いで、普段なら絶対にこんなことはしない」
「なんだかかえって悔しいな。」
「いやいや、僕も勝てたとは思ってないよ。ところで、なんでこんなことしたのか聞かないの?」
「なんで?」
完全に戦意喪失したミユウは杖から手を離して両腕で膝を抱え込んだ。わざわざ相手に質問をさせるなんて、ちょっと面倒な人なのかななんて思いつつ素直に従ってしまう。しかし、アキは無気力なミユウとは裏腹に、また溢れ落ちるような微笑みを浮かべた。
「よく聞いてくれました。ミユウを夜の空へ招待しに来たんだ」
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