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サヨナラは言わないよ
「忘れ物、ないか?」
零は泰雅の部屋の前でそう呟く。
「うん。多分、大丈夫」
「多分って言うなよな。忘れ物あっても送らないよ?航空便、高いから」
「えー。冷たい事言わないで」
「いいから。ほら、そろそろ出発しないと、間に合わなくなる」
「わ、わかったよ」
泰雅は大きなリュックを背負い、自分の部屋を改めて眺める。
色々な想い出が走馬灯のように蘇っているのだろうか。その表情は険しい。
「お前が帰って来るまで、そのままにしておくから安心しろ」
零はそう言って、静かに彼の部屋のドアを閉めた。
「うん。頼むよ」
時刻は正午に近づいている。
最後に一緒にお風呂に入り、お互いの身体に刻まれていた獣の傷跡を見て笑い合ったし、少し塩味が効いた朝ご飯も二人で楽しく食べる事が出来た。
一階に続く階段をゆっくりと降りて行き、泰雅は電気の付いていない店内を見つめる。勿論、今日は臨時休業だ。ひんやりとした空気に満ちている。
二人で店を切り盛りしている光景が脳裏に浮かんでは消えて行く。
花束を持って笑顔になったお客さんを見るのが大好き。
友達や恋人、その人の人生の大切な一幕に関われるのは花屋冥利に尽きる。
花には周りを明るくしてくれる力があると信じているし、この時まで、零と一緒に過ごせた事は奇跡なのかも知れない。
「本当にありがとう」
泰雅は自然と言葉が出ていた。
「泰雅。荷物、車に積み終わったよ」
「…うん」
「なんだよ。また、此処に帰って来るんだろ?」
零はそう言って、彼の肩に手を置いた。少し彼の身体が震えている。
「帰って来るよ。この店にふさわしい最高の作品と共に」
「フッ。その意気だよ。大丈夫、お前なら出来るよ」
泰雅の手が肩に置かれた零の手と重なる。
「絶対に成し遂げるから」
彼の目は覇気に満ち溢れていた。
純粋で真っ直ぐな目であり、零が大好きな目であった。
店の裏手に二人が出て来ると、そこには商店街の人々が集まっていた。
「え!?」
まさかの事に泰雅は驚いている様子である。
「女将さん、大将…。それに皆さんも」
「皆、お前の見送りに来てくれたんだ」
商店街の人達は、まるでご利益のある銅像に肖るように、泰雅に声をかけたり、身体に触れる。
頑張って来るんだよ。
零くんと一緒に待ってるからね。
健康に気を付けて。
全てが優しい言葉で溢れていた。
言葉のフラワーシャワーを浴びているように思えた。
「本当にありがとうございます。俺、頑張って来ますから!」
その言葉に、一斉に拍手が湧いた。
本当に俺達は愛されている。
感謝してもしきれないほどに。
それから二人はエンジン音が轟く車に乗り込む。
助手席の窓を開け、泰雅は彼らに向けて大きく手を振る。
「行って来ます!」
彼の元気な声に呼応するかのように、いってらっしゃいと言う声が響く。
零はゆっくりとアクセルを踏み込む。
動き出す車が見えなくなるまで、彼らはお互い手を振り続けていた。
空港までの道すがら、二人の口数は少なかった。
だが、とある信号で停まった際、零はスマホの画面を操作し始めた。
「あのー、零さん。運転中はスマホ禁止ですよ?」
「分かってる。だけど、どうしてもお前に聞かせたい曲があってさ」
「曲? 珍しいね、零が音楽の話するなんて」
普段車の運転中はラジオか、二人で話をしている事が多かったので、車内にメロディーが流れる事はほとんどなかった。
音楽アプリと車のカーナビが同期し、イントロが流れ始める。
「なんか、曲調に時代を感じるんだけど」
「そりゃそうさ。30年以上前にヒットした曲らしいからね」
懐メロと言う奴だろうか。
泰雅は首を傾げながらも、車内に伸びやかな男性ボーカルの声が聴こえて来た。
♪♪♪
さよならは別れの言葉じゃなくて
再び逢うまでの遠い約束
現在を嘆いても胸を痛めても
ほんの夢の途中
このまま何時間でも抱いていたいけど
ただこのまま冷たい頬をあたためたいけど
♪♪♪
「零…」
泰雅の視線に映る彼は、ハンドルを握りながら、その歌詞を音に合わせて口ずさんでいた。まるで、自分の気持ちを音に乗せているようだった。
そして、その歌を紡ぐ姿と太陽の光が重なり、零と言う存在はどこまでも神々しく、泰雅自身が、絶対に手放してはいけないと思わされてしまう。
彼の首筋に自分が刻んだ傷跡が何故か輝いて見えた。
確実に二人の乗せた車は空港へと近づいている。
泰雅は無言のまま、手を伸ばし、運転している零の手を掴む。
お互い視線は前を向いたままであるが、触れ合う手は絶対に解けない強い絆で結ばれていた。
♪♪♪
いつの日にか僕のことを想い出すがいい
ただ心の片隅にでも小さくメモして
♪♪♪
※参照※
【(歌唱)来生たかお:夢の途中】より今回、オマージュさせて頂きました。
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