第一章【さいかち山】

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第一章【さいかち山】

 槐山(さいかちやま)に凶兆あり。  上からの命令で、蜜木(みつき)と上官の溜家(ためいえ)は槐山に派遣された。  槐山に足を踏み入れて一時間もしない頃、昼間はおとなしいはずの妖怪が蜜木たちに襲いかかってきた。  妖怪らにどれだけ肢刀(しとう)を振るえども、それらは次々と現れた。  日があるうちに妖怪が人間を襲うことはめずらしい。つまりそれらは、妙な現象であるといえた。 これ以上、ここで応戦してもなんの解決にもならない。 そんな予感が、蜜木を支配し始めていた。 「蜜木、一旦引こう。聞いていた話しよりも、だいぶ厄介だ」  この状況がおかしいことは、当然のように溜家も気付いていたようである。蜜木はすぐに同意した。  そうしている間にも、溜家の後ろには倒したはずの角仙鬼(かくせんき)という妖怪が、再び彼を襲わんとしていた。 「溜家さん!」  蜜木が声を発すると、溜家は瞬時にそれに反応した。  そして角仙鬼は今度こそ、跡形もなく霧散していった。  それから二人は下山することにした。 「なんだって、こんなに気が立っている妖怪が多いんかね」  無用な殺生を避けるべく、二人は足早に山を下りた。 「たしかに、気が立っているという印象は受けましたね」 「害妖(がいよう)といえど、無意味に人を襲う個体は本来多くない。こんなに日が高い時間帯なら、尚更だ」  害妖とは、害獣や害鳥と同じように扱われる妖怪のことである。人間側から積極的にそれらを攻撃することはないが、人里に下りてきてしまった場合や、人を襲った場合、もしくは増えすぎてしまった場合は討伐対象となる。  そして溜家がいうように害妖も害獣たち同様に、人間を積極的に襲うことは少ない。 自分たちの縄張りに入ってきた人間を襲うことはあっても、先ほどの害妖たちはそうではなかった。凶暴化しているような、何かに当てられてしまったような、そんな印象を受けた。 「槐山に凶兆あり、ってことでしたが。すでになにか、異変が起きているんですかね」  蜜木はそういって、溜家に視線を向けた。  溜家の背後には、殺気立った害妖らの姿が無数に見えた。 「きます」  蜜木が低い声を出すと、溜家も背後を向いて抜刀(ばっとう)した。 「蜜木、お前は逃げることを最優先に考えろ。訓練生は現場から生きて帰れば、御の字だ」  溜家はそういうと、向かってきた害妖を斬っていった。  蜜木もそれを横目に見ながら、襲ってくる害妖たちを夢中で斬っていった。 ◇ 「蜜木、気が付いたか」  目を開けると、安堵した溜家の顔があった。  自分はどうにも、宿屋の布団に寝かされているようである。 害妖を斬りながら、下山したことは覚えている。しかし無数に攻撃を受けたために、里に下りてからの記憶は曖昧なものだった。 「溜家さん。ケガ、ないですか」  そういった自分の声は、ひどくかすれていた。 「お前がよくやってくれたおかげでな、なんともない」  溜家は穏やかに笑った。 「熱があるようだが、どこか痛むか?」 「いえ。外傷はないと思います」  しかし発熱しているせいか、節々は痛かった。 「俺も外傷はほとんどない。人間に対して、物理的な外傷は残さない類の害妖だったみたいだな。しかし、発熱も辛いだろ」  溜家は蜜木の(ひたい)に当てられた手拭いを、枕元にある木桶で絞り直してくれた。 溜家は面倒見がよく、人望も厚い。蜜木自身も、溜家には懐いている自覚がある。 訓練生は上官と二人一組になって任務にあたることが義務になっているが、溜家と組むことになった自分は幸運であると蜜木は思っている。 「凶兆だったのか、山の様子はやはり異様だったな」  溜家は絞った手拭いを蜜木の額に手拭いを置くと、部屋の窓から槐山を見つめた。つられて蜜木も、そちらに目をやった。 「上には簡単な報告書を飛ばしておいた。その返事はめずらしく、すぐ来たよ。数日後に増員して、再調査ってことだった」 「数日後ですか?」  槐山には明らかに異変が起きている。蜜木はそれを肌で感じていたからこそ、上の判断が消極的に思えた。 「ここからそれほど遠くない場所で、邪神(じゃしん)がご立腹らしくてな。実害も出始めているから、そちらの対応が優先だってことだ。俺もそちらへ向かって欲しいってことで、返事が早かったようだ。蜜木も起きたことだし、俺は今からそっちの現場にいってくる」  溜家はそういって立ち上がった。 「え、俺も」  蜜木は慌てて上半身を起こそうとした。 「まだ熱もあるようだし、蜜木は宿屋で待機していてくれ。話はつけてある」  溜家は起き上がろうとする蜜木を制していった。 「俺の見解だと、その熱は少しばかり長引くぞ。お前の体調が戻る頃には、邪神の現場も落ち着くと思う。そしたら改めて、槐山だ」  溜家はすでに仕事をする顔になっていた。 「わかりました」  蜜木が聞き分けのいい返事をすると、溜家は満足そうに微笑んだ。 「熱が下がったら、今日の詳細な報告書を作成して銀将(ぎんしょう)を含めた上官らに飛ばしておいてくれ。俺が飛ばしたのは、かなり簡易な報告書だったからな」 「わかりました。気をつけて」  溜家は浅くうなずくと「いってくる」と、部屋を出ていった。 ◆  翌日、蜜木の熱はだいぶ下がっていた。  熱は長引くといったのは、溜家の方便だったようである。体はまだ少しだるいが、蜜木は報告書を作成することにした。  部屋にある文机で報告書を書いていると「お掃除、失礼します」と八歳くらいと思われる二人の女の子が、蜜木の部屋に顔を出した。一人は黒い短い髪を一つに束ねており、もう一人は色素の薄い長い髪をやはり一つに束ねていた。おそらくこの宿屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)に来ている子どもたちである。 「はい、お願いします」  蜜木が返事をすると、二人は部屋に入ってきた。  掃除をしてもらっている間も、蜜木は報告書を書き進めていた。  しかしほどなく、報告書を書く蜜木を、黒髪の子が興味深く見つめていることに気がついた。蜜木と目が合うと、その子は少し恥ずかしそうに微笑んだ。 「お兄さん、妖将官(ようしょうかん)なんですよね」  黒髪の子は控えめにいった。 「うん、そうだよ」  蜜木が答えると、黒髪の子は「私も、妖将官になりたいんです」と目を輝かせた。  この国の官吏(かんり)は、大きく分けて三種ある。  武官、文官、そして妖将官の三つである。そして妖将官は主に、妖怪を相手にする官吏である。  妖将官は、官吏の中でも花形とされている。妖将官試験は難関で、合格者も少ない。さらに妖将官は、官吏の中でも桁違いに給料がいいからである。 「そうか。一緒に働ける日を、楽しみにしてるよ」  蜜木が微笑むと、黒髪の子は「はい!」と頬を上気させた。蜜木が名乗ると、黒髪の子はアヤと名乗った。そしてもう一人は、フミであると教えてくれた。フミと目が合うと、彼女は小さく頭を下げた。 「今、字を習ってて。もう少ししたら、妖術書(ようじゅつしょ)の勉強も始めます」  妖術書とは、妖術の基本書である。それを理解した者は、肢刀(しとう)という刀を出せるようになる。両人差し指の第一関節をマッチのように擦ると、利き手に白鞘(さや)の日本刀が現れる。それが肢刀である。そして肢刀を出す行為を、妖将官らは抜刀(ばっとう)と呼んでいる。妖将官になるには、抜刀できることが絶対条件である。  成長期を終えた者は抜刀できないとされているので、妖将官試験の受験資格は二十歳以下である。しかし受験資格はそれだけで、二十歳以下であれば誰でも受験可能である。 「それは、すごいな。俺が妖術書を読み始めたのは、十歳は過ぎていたよ」 「私は、早く妖将官になりたいんです」  なぜ? そんな野暮な質問をしそうになった。しかし蜜木はその言葉を飲み込んだ。子どもにも、当たり前に色んな事情がある。それに丁稚奉公に出るよりも、早く官吏になりたいと考える者は多い。 「そういえば、十歳で妖将官試験に合格した者がいたな」  アヤは「うんうん」と、自分のことのように誇らしげに頷いた。  桂城(かつらぎ)朔馬(さくま)。  蜜木が妖将官試験に合格する二年ほど前、十歳で妖将官になった者の名である。本来なら朔馬も蜜木と同じく訓練生の期間である。しかし朔馬は現場での実績が認められ、すでに一等官である。もうじき桂馬の役職に就くという噂もある。そういう天才も数年に一人は現れるらしいが、朔馬はその中でも異端である。 「それ、妖術書ですか?」  アヤは蜜木の側に積まれた書物を指していった。 「そうだよ。妖将官といっても、俺はまだ訓練生だからね。常に持っていろといわれてるんだ」  蜜木はそういって、妖術書をアヤに差し出した。アヤはそれを受け取ると、フミを手招きで呼んだ。それから二人は、興味深そうに妖術書をめくった。 「こんなに分厚いんですね。これを全部覚えれば、抜刀できるようになりますか?」 「覚えるというか、理解するという感覚を持っていた方がいいと思う」 「それって、覚えるのと違うんですか?」  アヤは不思議そうに、こちらを見つめた。 「こらこら、あんたたち。あんまりお客さんに迷惑掛けるんじゃないよ」  アヤの質問にどう回答しようか迷っていると、廊下を通りがかった女将(おかみ)が蜜木の部屋に顔を出した。  二人は蜜木に「ありがとうございました」と妖術書を返し、早急に自分たちの仕事に戻った。その姿を見て、女将のいうことをよく聞く素直な子たちなのだろうと思った。  掃除を終えた二人が「失礼しました」と部屋を出ていこうとする際に、蜜木は二人を呼び止めた。 「ここに奉公に来てるのは、二人だけ?」 「ええ、そうです」  アヤはいった。 「じゃあ、二人で食べるといい。大したものではないけどね」  蜜木はそういって、ベッコウ飴を包んだ懐紙を二人に渡した。  二人は「ありがとうございます」と、笑顔を見せた。  その姿は、実家に残してきた義弟妹たちの姿を思い出させるものであった。 ◆  翌朝、熱はすっかり下がっていた。  蜜木は昨夜書き終えた報告書を読み返し、問題がないことを確認した。そして妖将官にのみ与えられる専用の(ふだ)で、筆鳥(ふでどり)を呼んだ。筆鳥とは目的の者に、文や伝言を届けてくれる妖鳥(ようちょう)である。  蜜木は溜家にいわれたとおり、その報告書を銀将を含む上官たちに飛ばした。銀将とは妖将官の役職の名の一つであり、一等官のさらに上の立場である。今回の槐山の件は、銀将の管轄であった。  筆鳥を飛ばしてしまうと、蜜木はいよいよすることがなくなった。しかも体調は、ほぼ万全である。  そのため蜜木は、もう一度槐山にいってみることにした。  朝のうちに山に入り、前回以上に警戒を加えれば、害妖に襲われる可能性は少ないように思えたためである。 なにより、次に槐山に入る際に少しでもなにかの役に立てればと思った。 「もう出歩いて大丈夫なんで?」  宿屋を出る際に、女将に声を掛けられた。 「ええ。おかげさまで、ずいぶん良くなりました。ここは、いい宿屋ですね」  蜜木が微笑むと、女将は「ふふ」とまんざらでもない感じで笑った。 「もう一度、できる範囲で槐山の様子を見てくるつもりです。夕食までには戻ります」  蜜木がいうと女将は「ちょいと、お待ちを」と、奥へと入っていった。  それからほどなく「これ。お昼に食べて下さいな」と、握り飯とキュウリの一本漬けを持たせてくれた。  蜜木はお礼をいって、宿屋を後にした。
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