vixen

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『おいルガ、  ユウに俺の失敗話してんのかよ』 回線に、別な声が割り込んでくる。 「研究室からだったんだね」 『悪い』 ルガは、意外にも時代遅れな登校制の大学に通っている。 今や世界的な異常気象によって、教育・研究はリモートが主流になっているというのに。 おそらくは実家を出たいのだろう。 研究室仲間のミアとマートと3人で会社を立ち上げ、AIのプログラムを作っている。 「このデータ、  ちょっと時間くれれば、  ざっくりした意味くらい分かるかも」 手元でいくつかの変換コードを回しながら、意味のある単語を取り出していく。 『いや、いいよ。  試験あんだろ』 「こっちの方が面白そうだ」 『ウイルスだからな、  気をつけろよ』 『ユウ〜!  メリークリスマス!』 いつの間にか切り替えられたホログラム通話には、ルガの学生仲間が映り込んでいる。 『それ、マートが噂を間に受けて潜ってさ、  結構危なかったんだよ』 『どう?  なんて書いてあるか分かりそう?』 電脳チップが聴覚回路にアクセスし、何人もの声を、あたかも耳元で話すかのように再現する。 だから通話は嫌いだ。 感覚酔いを起こす。 実際声の聞こえる距離にはいないのに、いるようで。 「修正かけながら抜けを予測して補えば…」 ルガだけじゃなく、そこの研究室所属の学生たちは、こぞって気が早い連中らしい。 まだクリスマス休暇でもないのに、大量の健康不良食品が持ち込まれている。 訊くだけ訊いて、伸びるチーズと炭酸の泡に騒いで答えは聞いちゃいない。 このある意味で優秀な学生たちは、何かのイベントのたびに(何ならイベントなど無くとも)そういった飲食物でパーティーをしている。 聴覚が。 めまいをもたらす。 『ねえユウ』 ホログラムに、視覚がちらつく。 『今度うちの試作に意見もらいたいんだけど』 「それ、双方向AI?」 『うん、そう。  感覚フィードバックの調整幅に迷ってて。  使用感教えて欲しいんだよね』 「ごめん、俺、  感覚酔い起こして使えないんだよね」 ミアが造っている双方向AIというのは、通信時に視覚や聴覚に干渉して仮想現実を知覚させるのと根本は同じ、神経フィードバック技術の応用だ。 構築したプログラムが、脳内の情報伝達をコントロールし、快楽や幸福をより強く、苦痛や悲哀をより小さく感じさせるというもの。 それのおかげでルガたちは、アルコールや大麻無しに、こんなに楽しく酔っ払っているのだ。 佑羽はその類の技術が上手く使えない。 「ただの通話でもたまに感覚酔いするんだ」 だから大講義室で何十人もの電脳をリンクして行う、少し前までの講義形式にはついていけなくなった。 それでひとり地方に引っ越し、完全リモートの今の学校に入り直したのだ。 『ユウはさ、  意識と無意識の境界が固すぎるんだよ』 マートが言った。 『やめなよマート』 『本当に感じてるのか、  電脳処理した虚構なのか、  見失うのが怖いんだよな?』 自分は怖くないと言うように、ヘラヘラと笑う。 その笑い声に、胸焼けがしてくる。 「ミア、  マートが食らったっていうウイルスコード、  送ってくれる?  実際のコード見た方が分かりそう」 『いいけど、すごい量だよ?』 「うん」 『やめとけよ。  わざわざ電脳に負荷かけるなって』 ミアから圧縮処理したデータが送られてくる。 高速通信回線なのに。 「ほんとに重いな」 『気をつけろよユウ。  ウイルスに食われないように』 「マートじゃないから大丈夫」 『おい』 マートのハッキング技術もそれなりだ。 ホログラム通話の視覚共有の値に干渉して、佑羽の手元のデータ処理を盗み見る。 “完??な身体を用意し、データを??れろ” 『修正かけても虫食いじゃねーか。  これじゃ翻訳ソフトが上手く働かねー』 「意味は分かるよ、だいたい」 届いたコードを開ける。 量は膨大だけど、ある仮説に沿って見れば分かりやすい。 『なんて書いてあんだ?』 “私??身の脳を???このプログラ??によって完??再現した” “ニューロンの働きひとつひとつをコピ??し??????????感情の動きの全てを??現できる” 「亡霊を呼び出すってのは、ある意味正しい」 意訳する。 「あるニンゲンの思考回路を完全再現した、  プログラムコードだって」 『…何年か前に、  北米の大学が完成させたって聞いたけど、  本当にできるんだ、完全再現』 『そういえばそのコード、  変に繰り返しが多くて、  それはつまり』 「脳細胞のコピーだから」 『すごいな』 「すごいけど」 『でも』 『一体誰の?』 それは。 「分からないけど、  多分もう、死んでる」 “こ??不完??な身体??、も????済み??” 『死んでる?  どういうことだよ』 「この不完全な身体は、もう用済みだ、と」 いよいよ怪談めいてきた。 「直接話した方が早いかも」 『おい、ウイルスだぞ。  起動するなよ』 「高性能AIと会話するのと変わらないよ」 『死人だ』 「所詮はデータだ」 何も怖くない。 『待て待て待て』 『ちょっとルガ?!』 ルガが会話に割り込んできた。 『起動するな』 「本当に人間の脳をコピーできてるのか、  気になるんだ」 『…お前に見せるべきじゃなかったな』 「心配ないよ」 『危険だ』 何を言っても聞かない。 そう、ルガも分かったのだろう。 接続を強制切断した。 「ルガ…」 突然、騒がしかった音も、視界を占めていた研究生たちも、消え失せる。 無音。 暗闇。 それもそうだ。 もし電脳接続したままウイルスに感染したら、脳がやられる。 つい一瞬前まで、目の前よりもさらに近いところにいた、それこそ脳の中で繋がっていた仲間が、急に立ち去ったのだ。
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