06. 助けられない

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06. 助けられない

 体内に吹き込んだ風が冷たい手で心臓を逆撫でする。憂子は胸の前でコンビニ袋を強く握り締めた。背中に冷や汗が吹き出し、肌を上から下まで一直線になぞる。  両足が一歩ずつ前進するが、身体ごと自宅の方向に転換し、一歩ずつ戻る。またツミヒトたちが駆けて行った方向に転換し、一歩ずつ前進する。そして、同じ動作が5分間ぐらい繰り返される。  追い掛けて行ってしまっては駄目だ。脳のどこかで自分自身が警告する。  推しを見捨てては駄目だ。脳のどこかでもう一人の自分自身が咎める。  命が惜しい。だが、推しを見殺しにして後悔するのも怖い。  憂子は推しの顔を思い出した。不審者から助けてくれた時、帰り道を一緒に帰る時、肉まんを食べる時、別れる時。不機嫌な表情を浮かべながらも、心は優しさで溢れている。  憂子は脆いままでありながら、決意を固めた。コンビニ袋をゴミ箱に投げ入れると、そのままツミヒトたちが駆けて行った方向へ駆け出す。  途中で片方の足が急に止まり、後ろ側へ引き寄せられそうになった。  ようやくツミヒトの姿が見えるところまで辿り着くと、憂子は唖然とした。  ツミヒトが誰かと肉弾戦を繰り広げている。相手がギラリと光る刀のようなものを振り翳すたびに、ツミヒトは腕を掲げて防御する。横腹に回し蹴りを喰らわせるが、相手は少しよろけただけで倒れなかった。  そして、相手側はツミヒトの胴体に体当たりをし、その隙に左側から斬撃を加える。くぐもった声が憂子の鼓膜を地鳴りのように震わせた。  ツミヒトは地面に倒れた。卑怯なことに、相手は傷を負ったツミヒトの身体を足蹴にした。脇腹や背中に蹴りを入れるたびに、鈍い肉の音が辺りに響き渡る。  憂子は耳を塞いだ。こんなグロテスクな音は映画の中で十分だ。  憂子の心を掻き毟るのは推しが暴行を受けている現実よりも、一歩たりとも前進しようとしない自身の不甲斐なさだった。
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