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「次の新人発掘コンテストのテーマは『月夜の遭遇』か」
オフィスの給湯室で本多さんが話しかけてきた。
「そうみたいですね」
僕は頷き、自分のカップを洗い、ついでに洗い物受けに積まれていた社員のカップを片付ける。
本多さんは「皆星書房」の企画営業部長。年齢の割に白髪が多く、目の下には万年くまを飼っている。残業時間の多さは断トツで社内トップだろう。
かくいう僕は皆星書房でアルバイトをしているしがない大学生である。
本多さんは立ったままブラックコーヒーを仰ぎ、こちらに視線をよこした。
「宮澤くんだったら、このテーマでなにを書く?」
「そうですね、やはり吸血鬼、狼男、宇宙人……」
僕はキラリと目を光らせる。
「……などのファンタジー要素を入れつつ、主人公に一目惚れしてくる女子との遭遇を書きますね」
「なるほどね。おれもそういうの嫌いじゃない」
僕達はにやりと笑った。
「そういえば宮澤くん、彼女とかいるの?」
本多さんが空になったカップを水ですすぎながら訊いてくる。
「いません」
「お前、顔はいいのになあ」
こちらに憐憫の目を向けてくる。
人間観察力に優れている本多さんは、僕のとある秘密を見抜いているのだ。
「余計なお世話です」
僕は眉根を寄せた。
「というか今の時代は容姿にまつわる話全般がハラスメントに該当するんですよ」
「面倒な時代だな」
そりゃすみませんでした、と本多さんは濡れた手をぱたぱた振った。
僕は最後のカップを棚にしまった。
「じゃあお先に失礼します」
おつかれー、と本多さんがいうのを背に聞き、皆星書房のオフィスを後にする。
先週まで猛暑だなんだと連日言っていた気がするのに、スイッチを切り替えたように街は秋の空気。気づけは世の中は十月だという。服装を秋冬仕様にアップデートするのが面倒で、僕は人混みを半袖で歩いていた。
スマホを見ると22時。ウェブニュースに今夜は
満月と出ていた。ハンターズムーンとかいう洒落た名前が記事に踊る。
「こんな夜になにか運命的な遭遇をしてみたいな……」
僕なりのロマンチックな月夜の遭遇を妄想しながら、ぼんやりと繁華街を歩く。
人混みを避けているうち、いつのまにか人気のない路地に入っていたらしい。おっと引き返さねば、と思ったところに、その人は現れたーー
それは一生忘れないであろう、衝撃的な出会いだった。
「うおおおおおおおおころしてやるううううう」
「ひえっ」
奇声をあげながらこちらへ走ってくる細いシルエット。ハンターズムーンを反射して手元がキラッと光る。ナイフを持っている。
あれはどう見てもーー殺人鬼だ!
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