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昨日、どうやって家に帰ったのか覚えていない。
殺されかけるというのは、想像以上に精神的ダメージが大きいようだ。
乗客の少ない電車の中、僕は寝ぼけ眼でスマートフォンを触っている。お目当てのニュース記事は見当たらない。
「皆星書房周辺で無差別殺人事件は起きていない、か……」
物騒なつぶやきをもらす僕を、隣の老人が怪訝そうにみた。
どうやら、昨日の殺人鬼は無差別殺傷を行わなかったようだ。
ほっと安堵の息をつく僕。
もしあのあと事件が起きていたなら、恐怖と動揺から通報という行為を失念した僕は、今頃大きな罪悪感に駆られていたことだろう。
土曜日の電車はいくらか呼吸しやすい。弛緩した空気の車内を会社の最寄駅で降りる。
「おはよう」
出社するなり、本多さんが声をかけてきた。
昨夜より目の下のくまがくっきりしている気がする。昨日も帰っていないのかもしれない。
「来て早々悪いね宮澤くん。今送ったURLなんだけど、若者の意見が聞きたくて」
アルバイト用に支給されたノートパソコンに本多さんからのメールが送られてくる。
URLをクリックすると、皆星書房が運営するネット小説サイトの作品ページが現れる。「月夜の遭遇コンテスト」の応募者の投稿作品は、すべてこのサイトで読むことができるのだ。
本多さんの指定した作品はそのうちの一作である短編作品だった。
「え……これって……」
僕は瞬きを忘れる。衝撃の内容がそこには記されていた。
満月の夜を舞台に、無差別殺人を発起した主人公が街に繰り出すというストーリーである。
「どこかで聞いたような展開じゃないか?」
僕の呟きが聞こえなかったらしい本多さんは、正反対の感想をいう。
「なかなか斬新な発想だよな。君はどう思う?」
どうもこうも……。
昨日の体験とあまりにシンクロしすぎていて、僕は動揺した。こんな偶然があるのか?
「おれ的には、見てきたようにリアルな心情描写がなかなかいいと思って」
本多さんの言葉に、僕ははっとした。
見てきたような……
まさかこの小説は昨日の殺人鬼の投稿作?
僕は夢中で続きを追っていく……
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