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ふたりの、よいまちせかい
紗香が警察署に出頭する前夜に成った。
紗香と俊也は、天井に吊るされた和風電燈の程好い光の下で、二人並んで座卓に凭れ寄り添って、テレビ画面に流れる叙情的な映画を観ていた。
『ブーベの恋人』だった。
ストーリは、男優ジョージ・チャキリスが演じるブーベと女優クラウディア・カルディナーレが演じるマーラとの、出遭いの回想から始まる。
愛するブーベは政治犯として刑務所に入れられる。
マーラがブーベの刑務所から出所するの待つ、年月の、悩みと葛藤が描かれていた。
映画を観終わった余韻の中で、明日警察に出頭する紗香が俊也に訊いてきた。
「俊ちゃん、マーラの恋人は?」
「ブーベだ」
「ブーベの恋人は?」
「マーラだ」
「紗香の恋人は?」
「俊也だ」
「俊也の恋人は?」
「紗香だ」
紗香は、少し不満げに、口を尖らせた。
「違うぞ、俊ちゃん! 紗香は、俊ちゃんの恋人じゃ無いぞ、妻だよ、俊也は、アタイの夫だよ、チャンと言葉を直して言え!」
「ああ、解かった」
「俊也の妻の紗香は、此れから如何なるんだ?」
「刑務所に入れられる」
「その間、年取った夫の、俊ちゃんは如何して居るんだ?」
「紗香を待つしかない、新しいドラマのシナリオを創って、畑で二人が生きる為の野菜を作って、この家で、ジッと待って居る」
「何百年も待つのか?」
「何を言っているんだ、僕は年寄りだ、紗香は模範囚に生って、2~3年で帰って来るんだ、何十年も待てるか」
「何が、年寄りだよ! 愛する妻だよ、百年ぐらいは待てよ!」
「百年か? 生きていれば待ってて遣ってもいいが、紗香の夫は、好い加減だからな」
「そんな事は解っているよ、アタイは、好い加減男、俊也の妻だからな」
「そうか」
「俊ちゃん、解かっているよな…… 絶対に死ぬなよ! 」
「ああ、解かっている」
「俊ちゃん、これで解かっただろう?」
「解ったって? 他に何か在るのか?」
「アタイが閃いた、良いマチ世界だよ!」
「… 紗香が閃いた… 良いマチ世界 ? 」
紗香は赤いノートパソコンを起動して、文字を書いた。
よい、まち、せかい、と平仮名で書いた。
「俊ちゃん此の、よい、まち、せかい の、平仮名を、漢字に変換しろ! 一文字でも間違えたら、俊ちゃんを絞め殺すからな!」
思わず! 俊也は紗香の顔を観た。
紗香は、微笑みながら、涙を浮かべていた。
俊也の頭に、感じが、漢字が、閃いた!
「紗香、僕には紗香の閃きなんか、最初から解っていたぞ、僕は紗香の恋人、いや、夫だからな」
「見え透いた、嘘を言うな!」
俊也は赤いノートパソコンに浮かぶ、文字を変換した。
一文字も間違えずに変換した。
― 好い、待ち、世界 ― と。
紗香の顔に涙が溢れた!
「俊ちゃん、絶対に…… 待ってろよ! 死んでも待って居ろよ!」
「当たり前だ! 紗香は僕の、妻だ!」
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