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「この雰囲気に水を差すようだけど……」
と、母が言いにくそうに口を開く。
「妻が何人もいるのだけは、ちょっと気になって」
「大丈夫だよ、お母さん」
類はハッキリと答えた。
「自分で何とかするから」
類のその顔を、母はじっと見て、それからふふっと笑った。
「なんか、随分と逞しくなっちゃって。結婚したはいいけど、すぐに出戻りなんてやめてね?」
「うん、頑張る」
と言って、類も笑う。
「それから、」
父は何かを言いかけて席を立ち、雷帝に来い来いと手招きをする。
「?」
雷帝が、椅子から立ち上がり父の方へ行き、二人で玄関の方へ向かう。
「何だろ」
「さぁ?」
母と共に首を傾げる。
少しすると、二人は戻ってきた。何だか雷帝の表情が不満気だ。父はスッキリとした顔をしている。
「何を話してたの?」
「男同士の内緒話だ」
と父が笑顔で言う。
父はいつも、どこへ行ってもすごく目立つ。父と並んで立っても違和感がないどころか、父の方が普通に見えてしまうのはある意味すごいと思う。
結婚を許したことで気が緩んだのか、父は何だか嬉しそうだ。昨夜激怒していたのが嘘のよう。
「今日はもう遅いが、どうする?」
「ルイと二人で話がしたい」
「ああ、そうだな」
父と雷帝が話し、少し二人きりにさせてもらえることになった。父が、何やら雷帝に向かって目配せしている。
(何だろう?)
不思議に思いながらも、類の部屋へ二人で向かう。階段を上って、弟たちが寝ているであろう部屋の前をそおっと通り、自室の前に立つ。
と、唐突に、シルヴァ邸の類の部屋に雷帝が訪れた時のことが、急速に脳裏に蘇った。
(まさか実家の部屋に雷帝を入れることになるなんて……でも、家族がいるし、さすがに何もないよね)
そして、扉を少し開けて、部屋の中をチェックする。後宮と違って掃除してくれる人がいるわけではないので、普通に鞄は床に置きっぱなしだし、机の上には参考書やノートが出しっぱなし。そういえば、スマホは学校に置き忘れたままだと思い出す。
「ちょっと、待っててください!」と言って、一人で部屋の中へ入って扉を閉める。片付けていると、ガチャリと扉が開いて、雷帝が勝手に入ってきた。
(ちょっと〜! まだなのに!)
アセアセと参考書を数冊まとめて整えて、天井近くまである本棚の中段辺りにしまう。
「許可を取った」
「え?」
「これで、天上界へ戻れる」
「……はい」
(あ、結婚のね)
いつの間にか近づいてきていた雷帝に、突然後ろから抱き竦められたので、ビクッとして危うく参考書を落としそうになった。
不意打ちだったので、心の準備が出来ていなかった。どうすればいいのか分からなくて、とりあえず固まる。
「……」
「……」
やはり、あの時を思い出す。
最初に部屋に来て、抱き締められた時。あの時はそう思ってなかったけど。
あれから、雷帝のことを意識するようになって、どんどん好きになっていったんだ。
今は、あの時と違って、雷帝と生きていくことを決心している状態だ。躊躇う理由は何もない。
心臓が騒がしくなってくる。
そのまま、くるりと向きを変えられて、正面から向き合った。背後には本棚。
こ、これは……。
なんか見たことある。
少女マンガでよくある王道のシチュエーション。
この流れでは、普通は――……
覚悟を決めて、目を閉じた。
今度こそ、という気持ちで。
「……」
「……」
そのままの状態で、一秒、二秒……経って、、、
「……?」
(あ、あれ……?
何も、起こら、ない?)
目を閉じてから、ほんの数秒間だと思うがとても長い時間待たされているように感じて、待ちきれずにそっと目を開けると、雷帝が類の顔を至近距離でじっと見つめながら、僅かに躊躇うような表情をしているのが目に映った。
「――――!?」
(って、この状態で、目を閉じた顔を見られてたっ!?)
類が内心穏やかでなくなっていくと同時に、珍しく躊躇いがちに、すっと顔を背けてボソッと呟くように雷帝は言う。
「……コウコウ(高校)とやらを卒業するまでは、手を出すなと言われた」
(……え?)
「お前の父に」
(……そ、そんな)
先程の話は、そういうことだったのか。
というか、今言うなら内緒話でなくても良かったのでは。父が自分の前で言いたくなかったからなのか。そういうことは律儀に守るんだ……。
いや、それよりも、
(今、キスされると思ったから覚悟を決めて目を閉じたんですけど――――っ!?)
思わず心の声が口から飛び出そうになったが、踏み留まった。急激に、羞恥心が体中に渦巻いて、顔が茹でダコのように熱くなる。
(え!?!? ちょっと待って、じゃあもしかして、そのつもりじゃなかったとか!? なのに、わ、私……、勝手に期待して……わあぁ、もう、最悪!! 地底深くに埋められたい……!!)
居た堪れなくて、顔を見られたくなくて、両手で覆った。
心底泣きたい。
その時、
顔を覆う類の両手首が掴まれて、引き剥がされた。
と思ったら、
ゆっくりと唇を塞がれて、気付くと体の距離はギリギリまで近付いていた。
また、唐突な出来事に頭がついていかない。どうやら、冷静に対処させてくれる気はないようだ。
先程の羞恥心も、親への申し訳なさも、全て一瞬でどうでも良くなった。
何も考えられない。
今は、何も。
何度か重ねて、正しい息の仕方が分からず苦しくなっても、それでもやめられなくて、下手くそな荒い吐息が隣の部屋に聞こえるのではないかとふと過ぎったが、そんなことよりも、目の前の愛しい人を一心に感じていたいと思ってしまって、必死に応えた。
雷帝の手が類の手首から離れて背中に回ったと同時に、類の手も、雷帝の背中に回っていた。とても自然に。
しがみつくように、広い背中に腕を絡ませる。
時間の感覚が麻痺している。
どれほどの時間そうしているのかちっとも分からない。
長いのか、短いのかも。
不意に、雷帝の体がすっと離れた。「これ以上はまずい」と言って。
まだまだ触れていたかったのに、突然のお預けを食らって、好物を途中で取り上げられた子供のように、類は少し不満気な目を雷帝に向けた。その服をギュッと掴んだまま。
離したら、もう終わってしまう気がしたから。
(何が『まずい』んだろう)
家族がいるからか。
確かに、隣の部屋には弟たち、下には両親がいる。
夢中になっている時はどうでもいいと思っていたが、ふと少し冷静になって考えてみると確かにまずいと思えてきて、仕方ないかと思い直し、そっと手を離した。
類の体より少し横の本棚に腕を付き、その腕に額を当てて、雷帝ははぁ〜と大きな溜息をついた。その背丈から、天井がとても低く見える。
「で、いつ天上界に戻る?」
話題を逸らしたいというように、そのままの体勢で雷帝が言う。
そこで、明日は土曜日なので、行こうと思えば今からでも行けることに気付いた。受験をしないので、特別授業は受ける必要がない。
「……今から、明後日の夜までは戻れます」
と答える。
「なら今から行くぞ」
「……はい」
「戻ったら、早速やってもらうことがある」
「何でしょう?」
「今、天上界は戦争後の対処に追われている。雷国でも住民は疲弊し、内政もまともに回っていない状態だ。死人が多く出て、なかなかそこまで手が回らない。戦争に勝利した盛り上がりも低下してきている。そもそも、天上界の住民にとっては利のない戦だった。オルムが天上界を狙っていることなど、住民は知らなかったからな。レムが戻ったことで、事実を知った者が増えたが、その効果も下がり始めている。これから何が起こるか分かるか?」
これから、何が起こるか……?
何だろう。
天上界の様子を想像しながら考えてみる。
突然巨人が攻めてきて、自分たちの生活が脅かされて、不安を抱えながら生きる住民たち。
「ぼ、暴動……とか?」
やり切れない思いをどこかにぶつけたいと思うだろうか。
「悪化すればそれもあり得る。まずは治安が悪くなり、弱い者から食い物にされていく。国が安定していくことを示さなければ、それは悪化する一方だ」
「私は、何をすれば」
「お前を表に出し、国を盛り上げる。元々お前は住民に人気がある。『黒の王子』として活躍していた効果だ。成果と共に、頃合いを見て皇后として立后させる。ただ、昨日ヴァリスが言っていたように、一つ障害がある」
ヴァルト卿、フローラ、そして、ユリアの父親!
「お前は今、戦争の混乱で行方不明になったことにしている。お前の身を案じる者が多くいる一方で、それを好都合と見る者もいる。まずはその勢力を抑え込むことだ。そのために、お前の姿を皆に見せる。そうすれば、お前につく者が出てくる」
「はい」
まずは、皇后の座に就くために、出来ることからこなしていこう。
学校が休みの日は天上界へ行き、対抗勢力を抑え、味方を増やすことから始める。
よし! と何だかやる気になってきて、いつの間にか小さくガッツポーズをしていた。
そうと決まれば善は急げだ。
「天上界へ行きましょう!」
雷帝は頷く。
「あ、両親に一言言ってから」
「分かっている」
そう言って、二人で階下へ降りた。
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