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「では、私はこれで」
死神は類を後宮に送り届けると、名残惜しむことなくさっさと行ってしまった。頼み込んで連れてきたわりには何ともあっさりとした別れだ。
ここは雷国、雷帝の後宮。
類は死神と共に雷国に入ると真っ直ぐこのヴァルハル宮殿へ向かい、門を通るとしばらく歩いてこの後宮に到着した。
後宮は宮殿の敷地の奥にあり、もう一つの巨大な門を通らなければ辿り着かない雷帝の女の園だ。
(意外と古風なんだな)
と類は思った。天上界というからどんな発展した世界かと思ったら、雷帝の趣味なのかなんなのか、建物も人々の服装も近代ヨーロッパ風だ。詳しくないので正確には分からないが、北欧のような雰囲気がある。類の知る限りの知識では、ヨーロッパには後宮というものがなかった気がするが、ここには存在するのか。
引き渡された女官のような女に連れられ、敷地内を歩く。雅な噴水だったり、色とりどりの花々の咲き乱れる花壇だったり、なかなかしっかりと管理が行き届いているという感じだ。
敷地は広く建物がいくつか見えるが、類は一番近い建物に入るよう促される。大きな建物で、ちょっとした城のように見える。
女官の説明によると、ここは下女たちの居住空間件仕事場らしい。寝泊まり出来る部屋、食堂、職場が揃った便利な場所だ。もちろん他の建物にも仕事場はあるが、主な下女の拠点はここらしい。下女に比べたら数は少ないが、一部の女官もここで生活しているようだ。
「本当に、女性……よね?」
建物に入ろうとして、連れてきてくれた女官に先程も何度か聞かれた質問をされ、類はまたかと半目になる。
「だから、そう言ってるでしょ? 確かめてみます?」
類が着ているTシャツの裾を捲るような動作をすると、女官は何故か顔を赤らめてブンブンと両手を横に振る。
「い、いえ! 結構よ! 女性ならいいの!」
そしてアセアセと先に建物の中に入る。
なんなんだ、と思いながら、類は後をついていく。
女官について建物の通路を歩いていると、正面から歩いてきた下女たちが見事に全員、順番に立ち止まっていく。前を歩く女官がそのまま歩を進めるので、気にせず歩いていると、そのうち後ろからザワザワと話し声が聞こえる。
「え!? 男!? めっちゃ美男子なんだけど!」
「いや、後宮だから女でしょ!」
「どう見ても王子様じゃない! あんたちゃんと見たの!?」
「ここって雷帝の後宮じゃないの!? 主人変わったの!?」
混乱したように、キャイキャイと騒ぐ声。類は(ここでもか……)と、その勝手に耳に届く声にうんざりしたように溜息をついた。
やがてある部屋の前で女官は立ち止まった。
「ここで着替えてもらうわ。雷帝はしばらく留守にされるそうだから、お戻りになるまでは下働きをしてもらうことになるから」
そして目の前にある扉を開けた。中は様々な衣装が乱雑に入り乱れた衣装部屋だった。お世辞にも高級とは言い難い衣装の山がいくつかあり、きちんとハンガーに掛けられ棚に吊るされたものは僅かだ。
(雷帝はしばらく留守にするのか)
類は死神に言われたことを思い出す。ここに来たら着飾れと言われたが、雷帝がいないのでは着飾り損だ。最もこの衣装部屋の衣装では着飾れそうもないが。
ラッキーと思って、適当に山を漁る。女官は皆同じ衣装を着ていたが、下働きは特に決まっていないらしい。とは言っても、大体白とか黄色とかの無地のワンピースのようなものがほとんどだ。
手頃な衣装が見つかったので、早速着ている服を脱ごうとすると、バチッと扉の付近にいる女官と目があった。女官は慌てて目を逸らす。別に女同士なのだから見られてもいいが、そう顔を赤められては何となく恥ずかしい。類は女官に背を向けて着替えた。
着替え終わった類は、(鏡か何かないのかな?)と思ったが、見当たらない。ふと女官に目をやると、ボーッと類の方を見ているので、「どう?」と聞いてみた。
「え? え? あ……」
顔を真っ赤にして口ごもっているので、類は何かおかしいかな? と少し不安になる。
露出の比較的控えめな白のワンピースを選んだのだが、本来膝丈なのだろう裾は、類が着るとミニスカになる。二の腕の真ん中辺りまで袖があり、上半身はゆったりしていて着心地がいいが、紐で縛った腰から下は少し短すぎる気もする。
「変……かな?」
類が眉を傾けてもう一度聞くと、女官はブンブンと首を横に振った。
よかった、と思って、類はブーツを探す。死神に連れて来られてからずっと裸足で歩いていたので足が痛い。
膝下までの白いブーツが見つかったのでそれを履く。ブーツというよりは底が少し丈夫なルーズソックスのようで、自分で紐で足に固定するような形で身につけた。
(なんか神話に出てくる少年の神様みたい)
自分の下半身を見て、類はそう思った。陸上部で鍛えられた足は細いがしっかり筋肉がついていて引き締まっている。女にしては脂肪は少ない方だ。そして胸に手をやる。
(うん。相変わらず、ない)
上下共に、これなら男と思われても仕方がない、と類は自分で思う。こんな格好を雷帝に見せたら間違いなく追い出されるか、粛清……。
ぞっとしてハンガーにかかった少し女らしい衣装に目をやるが、いや、こんな格好をしても一緒だとふいと目を逸らした。雷帝が戻ったら覚悟を決めて徹底的に女装しよう。それまでは中途半端なことはせず自然体でいたい。
その時、バタンと扉が開いた。
反射的にそちらを見ると、開け放たれた扉の外にはピンク色の髪の可愛らしい顔をした若い女が立っていた。その横には女官の格好をした女がもう一人。
「あ、先客。どうもー。お邪魔しますー」
そのピンク色の髪の女は、ざっくりと編んだ胸にかかる長い二本の三つ編みを揺らし、スタスタと類の元へ歩いてくる。そして目の前に来ると、いきなり眉をひそめて言う。
「あんたそのカッコ! やる気あんの!?」
「は!?」
突然乱暴に言い放たれた一言にカチンときた類は、思わず目を細めて声を漏らす。
「雷帝の后候補として連れて来られたんでしょ? 私と同じで」
「そうだけど?」
「それなのにそのカッコ!? 信じられない! 一生下働きするつもり!?」
「い、いやちょっと待って! あんたには関係なくない? むしろライバル減ってラッキーなんじゃないの?」
類の言葉を聞いた女は、ふんっと鼻を鳴らし少女漫画のヒロインのような大きな目で類を見据える。
「あたしはね! 后になるつもりはないの! 女官として一生食いっぱぐれなく良い暮らしをしたいだけよ! そのために他の候補には頑張ってもらわなくちゃならないの!」
類はポカンと口を開けた。つまり、自分の代わりに雷帝に身を捧げるために着飾れということか。自己中心的なセリフを恥ずかしげもなく堂々と言ってのける目の前の女に唖然とする。
「今回連れて来られた他の候補たちをチラッと見たけど、私の他に見込みありそうなのはあんたくらいよ! 放っといたらあたしが選ばれちゃうんだから、あんた頑張りなさいよね!」
この格好の自分を見て「見込みがある」と思うのか、と思ったが、類はそれには突っ込まなかった。それを言うとアレを着せられることになりそうだからだ。あのハンガーにかかった女っぽい服。想像しただけで気持ち悪い。
女は案の定物色するように辺りを見回すと、まさに類が見ていたワンピースを手に取り、目の前に差し出してくる。
「これ着てみて!」
「嫌」
「着てよ!」
「嫌だって」
その攻防を見兼ねてか、扉の付近に立っていた女官の一人が声をかけてくる。
「ちょっと。早くしてちょうだい。私達だって暇じゃないのよ」
類とピンクの髪の女は、はたと女官たちの方を見る。女はしぶしぶ口を尖らせて衣装の山を漁る。
「あたしは“ヘルガ”。あんたは?」
いきなり言われて、類はああ、名前か、と思いポツリと答える。
「類」
「“ルイ”ね。あんたは絶対にあたしが雷帝の寵姫にしてやるからね!」
「いや、いいです。遠慮します」
「遠慮しなくていいわよ。情報屋の娘であるあたしが味方につくと強いわよ」
ヘルガと名乗る女は、山の中から白いワンピースを取り出すと着替え出した。類と違って女らしい体つきで、思わず凝視してしまった。
一緒に衣装部屋を出て、厨房のようなところへ連れて行かれる。
「ここで与えられた仕事をして。雷帝がお戻りになる日程が分かったらまた連絡するわ」
そう言って二人の女官たちは去っていった。代わりに目の前に厨房の管理者らしき女が立っている。料理長のようだ。類よりも背が高くゴツめのその女性は、白いエプロンをつけ、髪を白い三角巾で覆っている。類たちを順番にジロリと見ると、分厚い唇を動かした。
「あんたたちが新入りね。お目通りの際に側室に選ばれなければ、ここで働くことになるんだから死ぬ気で仕事を覚えなさいな」
「ええ〜? ここで〜?」
あからさまに嫌そうな顔をしたヘルガをギロリと鋭い目つきで睨んだその女は、どんっと大きな拳で台を叩いた。
類とヘルガはその大きな音にビクッとする。
「嫌なら出ていったら? 仕事を選べる身分じゃないことを思い知るのね! ここには溢れるほど女がいるんだから!」
その迫力に二人は青ざめた。
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