側室との対面

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側室との対面

 目覚めると、何故かヘルガが隣りですごい寝相で寝ていた。今にもベッドから落ちそうになっている。 (狭いのになんでわざわざ……)  類は起こさないように、そっとヘルガの頭をベッドの端からずらす。 「ん……」  モゾモゾと体を動かして、ヘルガは寝返りを打った。まだ起床時間まで時間があるし寝かせておこうと思い、類はそろりとベッドから降りた。  時計の針は五時五分をさしていた。時計で時間を管理するのも人間界と同じなんだなぁと思う。  49日経つまでにここを出る。その目的を達成するためには、まずは雷帝に近づかなくてはならない。あと残り48日。それが長いのか短いのか、今は判断出来ない。 (気に入られすぎても離してくれなかったりするかな?)  昨日のヘルガの話を思い出しふとそう思うが、類は自慢じゃないが男にそこまで気に入られたことはない。その逆を心配した方がいいだろうと思い直す。 (とりあえず初見で殺されるのは嫌だから、徹底的に女装して気に入られて、その後徐々にさり気なくメッキを剥がす形で幻滅させるとか……)  雷帝の姿は知らないが、見知らぬ恐ろしい男に鋭く尖った剣の切っ先を向けられる映像が脳裏をよぎり、青ざめる。 (いや、幻滅させたら駄目か……。どうやって雷帝に天上界の門を開いてもらうかは、考えものだなぁ)  類は椅子に腰掛けてうーんと唸る。死を回避するために仕方なくここへ来たが、死神も『雷帝は恐ろしい方』と言っていたし、そう簡単に元の世界には戻れそうにない。 「おはよ」  突然声がしてふと横を見ると、ヘルガがベッドから上半身を起こしていた。メデューサのように髪の毛が様々な方向に跳ね上がったまま、ボーッとしている。 「あ、おはよ」  類は顎に手をやったまま返事をする。 「……王子様」 「え?」 「みたいね、あんたって」  何を言うのかと思ったら。ヘルガからもそんな言葉を聞くとは思わなかった。 「寝ぼけてないで顔洗って来たら? そろそろ食事の時間だよ」  ヘルガはモゾモゾとベッドから降り、洗面台へ向かった。部屋にはトイレと洗面台が備え付けられている。まるでビジネスホテルの一室のようだ。下働きでこれなら、女官は一体どんな部屋に住んでいるのだと想像を巡らす。優雅な暮らしをしているとしたら、ヘルガが女官にこだわるのも頷ける。  食堂へ行くと、大勢の下働きの女たちが集まっていた。  その広い空間には20メートルはあるだろうかという長テーブルが4台並んでいて、その上には所狭しと人数分の食事が並べられている。昨日厨房の管理者が言っていたように、下働きの女は随分数が多いらしい。  食堂は建物の一階にあって、扉の反対側には庭が見える。 「あ! ルイ様!!」  目の前の女が類に気づき、ザッと道をあけた。それに続くように、他の女たちも道をあける。類とヘルガの前には、二人並んで歩けるほどの通路が出来ていた。その先はテーブルに繋がっている。   「あんた、ヤバいね」  ヘルガがまた笑いを堪えるように言った。とりあえず通路をヘルガと二人で歩いていると、ヒソヒソと声が聞こえる。 「あの女、何? 何で当然のようにルイ様の真横を陣取ってるのかしら」 「あのふてぶてしい顔! ちょっと綺麗だからって図に乗りすぎじゃない!?」 「昨日も一緒に作業してたわよ? 同じ部屋って噂もあるわ」 「嘘! やだぁ! ルイ様ぁ」  類は何度もこういう場面を経験したことがある。類が特定の誰かと一緒にいる時、その人物は嫉妬の対象になる。母親と歩いていた時ですら噂になった。だから類は誰とも仲良くなりすぎず、当たり障りなく接してきた。親衛隊が取り巻くようになってからは、特にそうだった。  チラリと隣を見ると、ヘルガは全く気に留めた様子もなく、上機嫌で歩を進めている。女たちの声は聞こえているはずだが、気にしないフリをしているのか。しかし動揺した素振りは全く見られない。 「どうかした?」  視線に気づいたのか、チラリと横目で類を見るヘルガ。その口角は上がっている。 「う、ううん」  類は慌てて首を横に振る。ヘルガなら、自分の隣にいてくれるかもしれない。堂々としたヘルガの態度を見て、類はそんな淡い期待をせずにはいられなかった。  席につくと、周囲がソワソワしているのが容易に感じ取れた。誰も自分たちの隣や正面に座ろうとしない。 「快適快適! 一番眺めの良い席で、前も隣もいないしゆっくり食事出来るわー」  ヘルガがよく通る声でそんなことを言うので、さらに目をつけられるのでは? と類はヒヤヒヤする。案の定、少し離れた席からギロリと数人の女たちの鋭い目線がヘルガを射抜いている。しかし全く気にしないヘルガは、ムシャムシャと機嫌良くパンをかじる。  しばらくして、後ろが突然ざわついたので、思わず類とヘルガは後ろを振り返った。  その目線は迷うことなく一点を捉える。  一際目立つ豪華なドレスを身につけて食堂の入り口に立ち、切れ長の鋭い目を下女たちに向けている人物。 「エリサベト様!」  下女たちは一斉に席を立ち、頭を下げる。類が呆然としていると、「ルイ様! 雷帝のご側室のエリサベト様です」と近くの下女が教えてくれた。慌てて席を立ち、頭を下げた。見るとヘルガもそうしていた。 「“ルイ”っていう女はどこ?」  エリサベトはドスの効いた低い声で、近くにいる下女に聞いた。下女は恐る恐る離れた席にいる類に目線を向けた。 「あ、あの人です。背が高くて黒の短髪の……」  その瞬間、類に鋭い視線が突き刺さる。エリサベトが、標的を捉えたとばかりに目を見開き、その眼力で射殺すようにオーラを放ってくる。 「あちゃ〜、南無阿弥陀仏」  ヘルガがどこで覚えたのか、お経を口にして頭を下げたまま目を閉じている。  エリサベトはゆっくりとこちらへ足を運ぶ。ヒールの音と共に、ゴージャスなロングドレスの裾がスリッスリッと床を擦る音がする。類と同じ長テーブルの近くに立っていた下女たちは、エリサベトが近づくにつれ、徐々にテーブルからスススと離れていった。  エリサベトを立ったまま凝視する類の目の前に来た時、わずかに怯んだようにエリサベトは表情を動かした。 「お前が“ルイ”?」 「は……はい」 「……」  類が戸惑いながら突っ立っていると、エリサベトは美しい顔を歪め、不機嫌な顔になる。 「無礼者!!」  突っ立っていたのが気に触ったのか、突然叫んで類の頬を持っていた羽つきの扇子で叩いた。スパーンという音がして、類の頬は赤く染まる。 「ルイ様!!」  思わず叫んだ下女は、ハッとして口を手で押さえる。 「ルイ……『様』ぁ?」  叫んだ下女を血に飢えた鬼女(きじょ)のような恐ろしい顔で睨んだエリサベトは、類の前を離れ、下女の元へゆっくりと進む。  周囲に立っている下女たちは一様に顔を青く染める。空気が一気に張りつめた。  下女はガタガタと体全体を震わせ、座り込む。目を見開き「も、申し訳ございません、申し訳ございません」と唱えるように呟いている。 「もう一回言ってみなさい? 誰に『様』をつけたの?」  扇子を振り上げ、下女の頭に向けて振り下ろされた時、類はその腕を力いっぱい掴んだ。 「! いっ!」  そして捻り上げるようにすると、エリサベトは苦悶の表情で「ぎゃああっ!」と叫んだ。 「ルイ!!」  ヘルガの声で、ハッとした類は手を離す。ペタリと座り込んだエリサベトは、はぁはぁと肩で息をして腕をおさえる。  周囲の下女たちはどうすることも出来ず、息を飲んでその光景を見守っている。誰も微動だにしないその広い空間で、エリサベトの荒い息遣いが響く。 「あんた……どうなるか分かってんでしょうね……」  低く唸るように放たれた言葉を、類は受け止める。雷帝の側室に手をかけた罪は軽くないだろう。分かってはいたが、あの状況ではああするしかなかった。自分のために叫んだ下女が叩かれるのを、黙って見ていられるわけがない。  すると食堂の入り口から、パタパタと二人の女官たちが駆けてきた。 「エリサベト様!」  女官たちは腕を押さえて座り込むエリサベトを見て青ざめる。差し出された女官の手を振り払い、エリサベトは類を睨みつける。 「あんたは雷帝に会う前に、この私がここから追い出してやるから覚悟してなさい!!」  スクッと立ち上がり、類より十センチは低い身長で下から()めつけながらそう叫んだ後、くるりと踵を返しカツカツとわざと怒りを表現しているかのようにヒールを踏み鳴らして、女官と共に食堂を出て行った。  嵐のようにやってきて、去っていったエリサベトを、皆呆然と立ち尽くしたまま見送った。  一息つくために椅子に腰掛けたところに、ヘルガがスススと近寄ってくる。 「これはもう、絶対に側室になるしか道はないわね」  そう耳打ちして、ニッと口角を吊り上げた。 「追い出してやるって言われたよ?」 「ライバルがいた方が燃えるでしょ?」 「……ヘルガと一緒にしないでくれる?」 「あら、この状況にしたのはあんたじゃない。何とかこれを打破しないとねぇ」  楽しむように、ヘルガは笑いながら自分の席に座った。
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