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食事を終えて、持ち場に向かう。皆あのエリサベトの一件があってから、類を避けるように下を向いて通り過ぎて行く。
厨房に着いて、料理長のサンドラの指示を受けた後、類とヘルガは今日は別々に作業場へ向かった。ヘルガはバイバイというように、手をヒラヒラさせて笑顔でサンドラに連れられていった。
類はエリサベトの件を考えると頭が痛いが、仕事中は考えないようにしようと思い作業場に入った。
今日の仕事は数人の下女と共に行う流れ作業だった。類は麺を湯掻く担当だ。ひたすら麺を湯掻いていると、汗が流れてくる。額の汗を腕で拭っていたら、突然さっと何かに目の前を遮られた。
「ど、どうぞ。使ってください」
横を見ると一人の若い下女が、類に手ぬぐいを差し出している。
「ありがとう」
有り難く受け取る。ポッと顔を赤らめたその女は、「いえ」と言ってから「今朝は、格好良かったです」と言い、逃げるように去っていった。
後宮は女の園だ。しかしその中で雷帝の后(側室)になれるのはごく僅か。それ以外の女たちは、他の男と付き合うことも結婚することもなく、ひたすら女だけの世界で生きていく。少なくとも類の知っている後宮とは、そういうところだ。
だから擬似恋愛の対象となる者が必要なのかもしれない。普通の社会ですら類の周りではそうだったのだ。こんな閉鎖的で禁欲的な世界ではよりそうだろう。
雷帝一人だけのために集められた大勢の女たち。類は隣で作業している下女たちを見る。
(罪深いよなぁ、このシステム)
続けて麺を湯掻きながら、類は女たちの人生を考え溜息をついた。
そして厨房へ向かう間にヘルガに聞いた話も思い出す。
雷帝には、エリサベトの他に三人の側室がいて、正妻はいないらしい。
側室に順位はなく、皆同じ地位だそうだ。
フローラ、シルヴァ、セシリア
というのが他の側室の名前だ。
後宮に入ったのは、フローラ、シルヴァ、セシリア、エリサベトの順。
どんな古株かと思いきや、どうやら四人とも側室になってそれほど長くはないらしい。ヘルガによると、雷帝は飽きるのが早く、側室も定期的に一新するのだそうだ。雷帝には子供がいないため簡単にそう出来るらしい。
(確かに寿命がないなら子供を作る必要なんてないよね)
それなら側室はいらないんじゃ? とふと気づく。
(それはまた別なのかな?)
湯掻き過ぎそうになって、慌てて麺を上げる。湯掻き終わった麺は、別の下女がせっせと氷水に浸し、それをまた別の下女がザルに上げて皿に盛り付けている。護衛兵の食事らしい。会話もなく、皆黙々と作業していた。定期的にサンドラが様子を見に来るからだろうか。
休憩時間に庭の端で合流したヘルガと一緒にお昼を取っていると、パンをちぎるヘルガの頭に何かがついているのを発見する。
「髪に何かついてるよ」
手を伸ばす類を制し、ヘルガは首を横に振る。
「触らない方がいいわよ。ネトネトだから」
「え?」
「卵の白身。ぶっかけられた」
「えぇっ!?」
類は目を見開いて、大きく口を開ける。もしかして自分のせいかと心臓が脈打つ。
「だ、大丈夫……?」
心配そうに顔を覗き込むと、ヘルガはじっと類の顔を見て、「心配?」と心情を察するようにニンマリと笑う。
「そ、そりゃ……」
「嬉しい」
「え?」
「大丈夫よ。二度とこんなこと出来ないように徹底的に脅かしてやったから。ここにはもう来れないかもね」
一体何をやったんだ……。ヘルガのことだから本当にやったんだろう。類は恐ろしくて内容は聞けなかった。
休憩後はひたすらパンの生地をこねる作業をした。類は黙々とこういう作業をするのも案外楽しいと思った。
午後の仕事も終わり、ヘルガと共に食堂へ向かう。今朝の一件があったからか、通路は出来なかった。しかし類とヘルガが歩いていると、さっと道があく。人だかりが出来ていても、すんなりテーブルに向かうことが出来た。
そして例の如くヒソヒソ話が聞こえる。
「あの女、またルイ様と歩いてる」
「しっ! ……あの女、ちょっとヤバいやつらしいから手出さない方がいいわよ。聞いた話では、嫌がらせした下女が腕をへし折られたとか」
「え? あたしは頭かち割られたって聞いたけど」
「それ死んでるじゃん……」
類は聞こえないフリをした。噂とは尾ひれがつくものだ。大げさに言っているに違いない。隣を見ると、相変わらず上機嫌なヘルガの顔がある。とりあえずヘルガが落ち込んでなくて良かった、と思った。
食事を終え部屋に向かう途中、人気が少なくなったところで類は何となく違和感を覚えた。徐ろに後ろを振り返る。
「どうしたの?」
ヘルガが察して聞いてきた。
「ああ、いや、何かつけられてる気がして……」
類は今までの人生で誘拐されかけたことが何度もある。ストーカーに合うなどしょっちゅうだ。親衛隊が出来てからは随分減ったが、それでも警戒は常に怠らなかった。
経験豊富な分、そういう空気を敏感に察知することが出来る。
「エリサベトかしら」
「……かもね」
「どうする?」
「……寝込みを襲われても嫌だな」
二人は中庭に出た。時折数人の女官が足早に通り過ぎるのが見えたが、夜なのでそこまで人通りはない。
夜の空気はひんやり冷たく底冷えする。類がブルッと震えて腕に手をやった時、
「! ルイ!」
突然ヘルガが叫んだ。かと思うと、類の背後に素早く回る。
「ぎゃっ!!」
鈍い音がして、後ろを見ると下女の格好をした女が、一人は地面に倒れ、一人はヘルガに背後から首を腕で締め上げられている。その素早すぎる仕事に類は驚く。
「え!?」
「また来たわよ」
ハッとして類は、同じく茂みから現れた下女の格好をした女が突進してきたのを見て構える。女は少し武術の心得があるようで、構えた類を見ると少し間合いを取るように立ち止まってから上段蹴りをかましてきた。それを避けて、女の背後へ回る。類も都合上必要不可欠だった護身術を使うことが出来る。実践したことも何度もある。女の腕前は大したことなかった。隙だらけだったので、背後から両腕を掴み少し捻った。
「きゃああっ!」
腕を捻られた女は、痛みに叫び声を上げ、ふるふると震えだした。「ごめんなさい、ごめんなさい」と独り言のように小さく声を発する。
類はそれを見て、女たちの意思で襲ったのではないと判断する。
「誰に言われたの? エリサベト?」
類が聞くと、女はフルフルと首を横に振る。
「シ……シルヴァ様です……」
シルヴァ。側室の一人。
「雷帝は性格悪い女が好みなのね。趣味悪っ」
ヘルガは下女の首に腕をかけたまま、うぇっと舌を出して言う。
「シルヴァはここに来ないの?」
類は目の前の下女の腕を解放し、正面に向き直らせ尋ねる。至近距離で類に見つめられた女は、ポッと顔を赤らめ身じろぎした。
「は、はい。『ルイという女を連れてこい』と言われています。ご側室の居所に」
「そこに案内してくれる?」
「ルイッ!? 行くの!?」
類の言葉を聞いて、ヘルガは眉をひそめ大きく口を開けて言った。
「だって、行かないとこの人たちが責任取らされそうだし。どうせ近いうちに対面することになるんだしね」
「はぁ、どんなお人好しよ。殺されても知らないわよ」
「殺……?」
「ありうるわよ。雷帝がいない今、後宮の最高権力者は側室たちよ」
類はさすがにそこまではしないだろうと思いながらも、少し不安になる。ここで殺された場合、一体どうなるのだろう。冥界とやらに行くのだろうか。そうなったらもう人間界には戻れない可能性が高そうだ。
「仕方ないわねぇ、付き合ってあげるわよ。あんたに死なれたら困るし」
ヘルガは抵抗しなくなった下女から手を離すと、両手の平を上に向け、はぁと溜息をついた。
「ありがと、ヘルガ。心強い。でも危なくなったら逃げてよ」
「それはこっちのセリフ。あたしは強いから大丈夫。あんたこそ死なないでよ」
類とヘルガは、気絶していた下女が目を覚ますと、下女たちに案内されシルヴァの居所へ向かった。
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