シルヴァの思惑

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シルヴァの思惑

 下女について歩を進めていると、エリアが変わったように、それまでとガラッと雰囲気の違う風景の広がった場所に来る。  暗いので色は分からないが、昼間ならさぞ美しいだろう花々の咲き乱れる庭が、類たちを迎えた。  珍しいものばかりを取り揃えているのだろうか、見たこともない形の花ばかりだ。この庭の主は大ぶりな花が好みなのだろう。インパクトのあるダイナミックな花が多くあった。 「ここが……シルヴァの庭?」 「はい。この奥にシルヴァ様の居所があります」  側室とは、後宮内に広大な敷地を持っているのだなと類は驚いた。下女や女官とは扱いが違うのは当然だが、これ以上ない良い暮らしぶりなのは間違いない。日本なら財閥のお嬢様というところか。  庭を進むと、下女の住まいに比べると小さいが厳かに建った豪邸が見えてくる。邸内にも至る所に花が飾ってあるのが見える。 「なぁんか毒々しい花が多いわねぇ。やっぱ趣味悪」  ヘルガが背後でふんっと鼻を鳴らしている。  邸の前には、類たちが来ることを知っていたかのように、女官が一人と、護衛だろうという格好の女たちが女官の左右に三人ずつ立っていた。護衛は槍を立てていて皆無表情だ。  女官は類たちの姿を見るとニコリと笑った。 「ご苦労さま」  そう言って、スッとこちらに歩いてきた。前に立つ下女の一人に布袋を手渡し、シッシッと手を払う仕草をした。金が入っているのか、袋が下女の手に当たるとジャラッという音がした。下女は大事そうにその袋を胸に抱く。  三人の下女たちは一礼すると、足早に元来た道を帰っていった。  布袋を渡した女官は、類を見た。上から下まで舐めるように視線を這わせる。類は真っ直ぐに女官を見返した。 「お前が“ルイ”ね? ……なるほど、噂どおりね」  そして今度はヘルガの方に目をやる。 「お前は何? 何故来たの?」  冷たい目を向けられたヘルガは、動じずに答える。 「付き添いです」 「いらないわ」 「いえ、でも私も側室候補ですよ? 雷帝のお眼鏡に適う可能性のある相手を、ご側室様も見ておきたいのでは?」 「……」  女官はヘルガの言葉を聞いて眉を寄せたが、ヘルガを観察するように見た後、ふぅと息をつき「まあいいわ」と言った。そしてくるりと背を向け歩き出す。 「付いてらっしゃい」  女官は階段を登り、邸の中に入る。類とヘルガはあとに続いた。  幅の広い廊下の壁には、高級そうな額に入った大きな絵画がいくつも飾ってあった。シルヴァの趣味なのか、天使と悪魔が戦う絵ばかりに見えた。その中の一つの、大蛇と戦う天使の絵に、類は目を奪われた。その天使の姿がとても美しかったからだ。黄金の長い髪を振り乱し、勇ましく大蛇と戦う姿。その表情は美しくも、何となく哀しそうに見えた。  隣を歩くヘルガも絵を見ていた。類が見ていたものとは別の、巨大な狼のような獣と戦う人物の絵だ。立ち止まってはいないが、その絵に目を奪われているように見えた。 「シルヴァ様。ルイともう一人側室候補の女を連れてきました」  絵の飾ってあるエリアを通り過ぎ、階段を登って奥にある部屋の扉の前に立って女官が言った。 「ルイだけ入れて」  中から女の声がして、女官は類の方を向く。 「くれぐれも粗相のないように」  そして次にヘルガを見て、「お前はここで待て」と言う。  類は『殺されても知らないわよ』というヘルガの言葉を思い出しゴクリと喉を鳴らすと、開いた扉を通り中に入った。  部屋の中は甘く良い香りが漂っていた。少し官能的だ。この匂いはなんだろう、と類は鼻をひくつかせる。香りに特に詳しくないので分からないが、何となく馴染みのある匂いだと感じた。 「お前がルイ?」  広い部屋の一番奥に佇む大きなベッドの中から声がする。ベッドの上からはベールが垂れ下がっていて、女の下半分の姿だけが見える。女はベッドの上に片膝を立て、もう片方の足は床に向けて垂らしている。垂れている足は程よく筋肉がつき(しな)やかに見える。薄い布地が太ももまで捲れ上がっていてセクシーだ。 「は……はい」  類は顔の見えないその女に向けて、恐る恐る返事をした。  すると女はゆっくりと片手でベールを掬い上げる。その細い指先は、先端まで神経を通わせるように優雅に傾いている。  ベールが上がり、女の顔が露わになる。類はハッとした。女の髪が濃い緑色だったからだ。こんな色の髪を類は見たことがない。ここに来てからも初めて目にした。ただの緑色の髪といえばそうなのだが、何となく禍々しいような、不吉なオーラが漂っている気配がした。 「私が雷帝の側室のシルヴァよ。お前をここへ呼んだのは、別に脅かすためじゃない。後宮の女たちを騒がす容姿を持つ者とはどんな者なのか、見たかっただけ」  長い緑の先端がくるくると巻いたウェーブヘアを、やや色黒の頬に伝わせ、流し目で類を見ながらシルヴァは言った。  何となくドキッとする色気がある、と類は思った。低い声は根暗そうな、しかし意思の強さが宿っているような、底の見えない沼のようにおどろおどろしい何とも言えない魅力がある。  類が何も言わずに突っ立っていると、シルヴァはゆっくりとベッドに上げていた片足を床に降ろす。そしてその長い足を再び持ち上げもう片方の太ももの上に乗せた。  膝下が長い。その組んだ脚を見て類は思った。間違いなくモデル体型だ。死神が言っていた雷帝の好みを思い出した。 「挨拶くらい出来ないの?」  シルヴァは息をついて言った。その物珍しい魅惑の姿に見とれていた類は、ハッと気づいたように目を見開いた。 「あ……すみません。私が類……です。どうぞ宜しくお願いします」  小学生の自己紹介でももう少しまともだろう、というような挨拶をしてしまい、類は少し気まずそうにシルヴァを見た。  シルヴァは幅の広い二重の目を見開き、ぷっと吹き出した。そしてゆっくりと腰を上げ、しゃなりしゃなりと身をくねらせ歩いてくる。シャラッシャラッと歩く度に金属の揺れる音がする。身につけた布地の面積が少なすぎるのではないかと類は目を覆いたくなった。  シルヴァは目の前に来ると、徐ろに類の胸に手を這わせた。ゆっくりとその手を上に這わせ片頬を包む。 「美しい……が、まだ少し青い。私が完璧にしてやろうか?」  シルヴァもなかなかに背が高い。170センチはあるだろう。類の耳の近くに口を持っていける女はそう多くない。  類は耳に当たる息にゾワッと背筋を強張らせ、思わず後ろに一歩下がった。  シルヴァはそんな類を見てくすくす笑いながら、自身の唇に人指し指を当てた。 「エリサベトと一悶着あったようね。私がお前を守ってやろうか?」  シルヴァは企みがあるように目を細めて言った。 「いえ、結構です。自分で何とかしますから」 「あら、強気。エリサベトは手段を選ばないと思うわよ。何人も犠牲になってるもの。お前は気に入ったから、私の物にしたい。お前が私の物になるなら守ってあげる。お友達もね。もう一人を入れて」  シルヴァが言うと、扉が開きその間からヘルガが突っ立っているのが見えた。その直後、ヘルガは背中を押されたのか「おわっ」と言ってつんのめったように前に進んだ。何とか倒れずに済み、変に前屈みの姿勢のまま、顔を上げる。 「お前たちを私付きの女官にしてやろう。下女よりは格段に待遇は良くなるけど、どう?」 「やります!!」  類は思わずヘルガを見る。間髪入れずに返答したヘルガは、いつの間にかピシッと直立し、片手を真っ直ぐ天井に向けて挙げている。 「へ……ヘルガ……」 「何なりとお申し付けを! シルヴァ様!」  駄目だこりゃ。類は顔面を手で覆った。ヘルガの目的は女官になることなのだから、受けるのは当然だろう。 (付き合うしかないか)  ヘルガ一人だけを雇ってくれることはないだろう。類が断れば、ヘルガは間違いなく憤慨する。縁を切られるかもしれない。  シルヴァの目的が言葉どおりなのかまだ分からないが、類は仕方ないと諦める。 「お前の返事は?」  シルヴァに聞かれ、類はチラリとヘルガを見た後、 「……やらせていただきます」 と返答する。シルヴァはそれを聞いて、ニンマリと不敵な笑みを漏らした。ヘルガが「っし!」と言ってガッツポーズを取るのが横目に映った。 「必要な手配はこっちでするから、あんたたちは今からここで仕事して」  先程シルヴァの所へ案内してくれた女官は、類たちが部屋を出た後、そう言いながら先導するように前を歩いた。   「今からですか?」  もう夜なのに、という意味だろう。ヘルガが聞くと、女官は何言ってるの? という顔をする。 「あんたたちは今から着替えて、シルヴァ様のご寝室の前で寝ずの当番よ」 「ええ〜……」  声を発した後、ハッとして口をつぐむヘルガ。 「喜んで勤めさせていただきまーす」  テヘッと笑うヘルガを、女官は横目でじとっと見る。 「言っとくけど、女官の仕事はあんたが考えてるほど楽じゃないわよ」  女官はつんとして、前に向き直り早足で歩を進める。やがて一階にあるとある部屋の前に来ると立ち止まった。 「ここがあんたの部屋。隣があんたの部屋よ」  類とヘルガを順番に見てそう言うと、早く入りなさいよとばかりにクイッと首を動かす。 「着替えたらさっさと出てきなさい。遅かったら明日の朝食は抜きよ!」 「え〜! そんな殺生な……頑張りまぁす」  ヘルガは可愛くガッツポーズをして、隣の部屋に入っていった。類も新しい自室に入る。扉を開けると、「わぁ」と声が漏れた。 (綺麗な部屋)  下女の部屋よりも随分広く、観葉植物が飾られインテリアも趣味の良いものを揃えてあるオシャレな部屋に、類は感動した。 (ヘルガは趣味悪いって言ってたけど、私はこのセンスわりと好きなんだよねぇ)  類は通ってきた庭を思い出す。  そしてベッドの上に置いてある衣装に目をやる。女官の衣装だ。足首まである赤ベースのワンピースは、スカート部分が少しふんわりしている。その上に白いレースのエプロンがかかっている。  類は目の端をひくつかせた。これを着るのか。私が。絶望的に似合わないのは着る前から分かる。  しかし着なければなるまい。 (雷帝に会う前に女装することになるとは)  類は覚悟を決めて、服を脱いだ。  そろりと部屋の扉を開けると、女官と目が合った。その横からピョコッとヘルガが顔を出す。 「あ!! 意外〜!! 似合うじゃん! 可愛い男子が女装して女子より可愛くなるやつだ!」  その瞬間、顔が真っ赤に染まるのを感じる。部屋から出たくない。ヘルガに腕を引かれ、いやいやと首を横に振ったがすごい力で引きずり出された。 「さっさと行くわよ」  女官は素っ気なく類を一瞥すると、スタスタと歩き出す。  類はよく似合う女官の服を着てご機嫌なヘルガの後ろについて、トボトボと背中を丸めて歩いた。
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