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結局、一睡も出来ずに、朝方家から持ってきた服に着替える。ごく普通のTシャツにジーンズ。
(相変わらず、色気もへったくれもない格好)
部屋の扉を開けてみる。思ったよりも数倍重い。全体重を使ってようやく開いた。
昨夜よりも明るい廊下は、しんと静まり返っていた。赤い絨毯の敷かれた通路は広いが、人っ子一人いない。
(普通、護衛なんかがいるものなんじゃ……)
後宮にいた時のことを思い出してそう思ったが、考えてみたら雷帝に護衛など必要ないかと気付いた。
廊下を歩いて、端にある大きめの窓の外を見てみる。
(ここ、宮殿の上層階なんだ)
景色を見て思う。
ぼーっと窓の外を見ていると、僅かに足音が聞こえて、ハッと後ろを振り返った。と同時に、
「あ!! 貴女、『ルイ』ッ!?」
という高い女の声が聞こえて、輝かんばかりの長い金髪をなびかせて駆け寄ってきたのは、雷帝とよく似た容姿の女。
「あ、あなたは……レム、様?」
「貴女が私を助けてくれたルイね!? やっぱり思ったとおり、可愛〜い!! めちゃくちゃ私好みよ!」
突然抱きつかれた。
「ちょ、ちょっと」
距離感! ち、近い!
「もしかしてユリウスの部屋から出てきた!? やっぱり、貴女が私の義妹になるのね!? 嬉しいっ!」
想像と違うキャピキャピ感に戸惑う。
(もっと大人っぽい女かと思ってた)
見た目からして。
まあ二十代前半くらいに見えるので違和感はないのだが。究極に整った美形なので、可愛いより美しいという感じだ。
「あなたを助けられたのは、正確には私だけの力では……」
「ペレを使ったんでしょ? 知ってるわよ〜。アイツはサイアクだから、貴女の成果でいいのよ!」
ペレは、どうやらレムにも嫌われているようだ。
「ね、ルームシェアしましょうよ! 私と」
「え?」
突然のレムの誘いがすぐに理解出来ず、目を見開く。
「ユリウスの部屋で寝たいのは分かるけど、いろいろとうるさいヤツがいるじゃない? 私が貴女を守ってあげる」
ふふふっと自信満々にレムは微笑む。
「ユリウスの許可を取りに行きましょ! 駄目って言っても押し通すけどね」
レムはそう言って、類の手を引いて、廊下を小走りする。レースの白いワンピースのスカート部分がヒラヒラと揺れる。
押し通すなら許可を取りに行く意味はないのでは、と思いながら、手を引かれるままに付いていく。というか、手を掴む力が強くて逃れられない。
(すっごい強引)
レムは類の手を掴んだまま、雷帝の寝室の前で立ち止まり、ギイイと片手で扉を開けた。
(ノックしないんだ! それにすごい怪力!? 腕細いのに!)
自分が全体重を使ってようやく開いたのに、と驚く。
「あれ? お風呂かしら」
「あ、いや、雷帝はここにはいません」
「もう出たの?」
「い、いえ、昨夜は一人でこの部屋を使わせてもらって……」
「えぇぇ――――っ!?」
レムは大声で力いっぱい驚く。リアクションがでかい。そんなに驚かなくても。
「何故っ!? どうして!? いろいろとびっくりなんだけど!!」
レムはしげしげと類を凝視する。
「ユリウスが自分の寝室に女を入れてるのも見たことないけど、そういう目的じゃなく部屋を使わせるって何なの!? 貴女何者っ!?」
そうなのか。
何となくほっとする。
良かった、他の女を入れてなくて。
レムは長い間眠っていたのだから、その間のことは分からないが、おそらくないのだろう。信じよう。
「じゃあユリウスは一体どこにいるの!?」
「……さぁ。書斎にいるのでは」
「じゃ、書斎に行くわよ!」
また強引に手を引かれて、連れて行かれる。
今分かった。
何となく言動が誰かに似ている気がしていたが、それが誰か。
ヘルガだ。
ペレが変身して類を騙していた時の姿。もしかして、ヘルガのモデルはレム? それとも、二人は性格が似ているのか?
「ちょっ、ちょっと待っ。わ、私は、まだ人前に出てはいけないのでは」
レムは類の言葉が耳に入っていないかのように、ずんずんと進む。相変わらずすごい力で手を掴まれているので振りほどけない。
結局、無理矢理書斎のある階まで連れて行かれて、二人で手を繋いで歩いていると、文官らしき格好をした男たちをぞろぞろと引き連れて、一際上質そうな衣服を身に纏った初老の男が向かいから歩いてきた。
「! お前は……!」
目が合って、男は心底驚いたように目を見開いた。
「あぁ〜ら、ごきげんよう、ヴァルト卿。朝早くから顔を合わせるなんてお互い災難ねぇ」
先程までよりも、少し低くて大人っぽいレムの声。
(これがヴァルト卿! フローラの父親!)
「……レム様。一体どこからその者を連れて来られたのですかな?」
「ユリウスの寝室の近くにいたのよ。つまり、そういうこと。娘を無理矢理皇后の座に据えるのは諦めなさいな」
「それはそれは。しかし、皇后は雷帝の一存で決まるものではございませんので。皇帝の暴政を止めるのが、私共の役割なのです」
「なぁにが暴政よ! ユリウスは内政にはほとんど口を出していないでしょ!? 国を好き勝手にしているのはあんた達じゃない!」
「口をお慎みください、レム様。貴女はこの国の者ではないのです。内政に口を出すと、内政干渉となります」
「ハッ。何が内政干渉よ。私は今光国の皇帝という立場じゃない。ただのユリウスの姉なのよ。口を出す権利があるわ!」
「いいえ。ございません。貴女が今後、他の皇帝の力を借り国を再興したらどうなります? 貴女は他国の皇帝なのです。今の行為は立派な内政干渉になります。それとも、今後一切返り咲く気はない、と言い切ることが出来ますかな?」
「ふん! 口の減らないジジイねぇ。私は嫌なのよ! あんたの娘のフローラとかいう悪趣味で見た目も性格もブッサイクな女が私の義妹になるのが!」
言い方。
レムの言動を聞いているとヒヤヒヤする。
「ではその女なら良いとでも?」
不意に別の男の声がして、文官たちの後ろからヴァルト卿と年の近そうな見た目の、高級官吏の格好をした白髪交じりの男が現れた。
「出たわね。あんたも嫌いよ、ヘルマン卿」
(ヘルマン卿……誰だっけ?)
「その女は、我が娘に毒を盛り、平然と雷帝の側にいる。到底許されることではない。醜悪さをその外見で覆い隠し、雷帝を誑かすその女こそ真の悪だ。それに騙される雷帝も貴女も、同罪である」
ゾクリとした。
この殺気。射るような瞳。
(恨まれてる……)
この人物が誰か分かった。
この男は、ユリアの父親!
「ルイがやったという証拠は出なかったんでしょう? なら違うわよ。ルイは私を命がけで救ってくれたんだから」
「そうすれば、皇后になれるからだ。打算的で如何にもその女が考えそうなことだ。吐き気がする。その女のせいで我が娘は……ユリアは……今も絶望の淵にいる。特定の者としか話せず、食事も喉を通らず痩せ細るばかり。美しかった容姿は見る影もなく……全てお前のせいだ。お前がユリアの人生を狂わせた。雷帝の心を射止め、皇后となるのはユリアのはずだった。絶対に許すまい。よくぞ戻ってきた。次はお前の番だ。絶望に打ちひしがれ、私とユリアの目の前で平伏すその日を私は待ち焦がれていたのだから」
言いたいことはある。
ユリアに毒を盛ったのは、自分ではないと。
しかし、それを言ったところで信じてはもらえないだろう。そんな生ぬるい状況ではないことは理解した。
もはや怨念のような強烈な恨みの感情をぶつけられて、体が震えた。
罪を犯したわけではない。
それでも、雷帝を奪ったことは事実。
ユリアだけではなく、自分は側室たち全員から、雷帝を奪った。
後宮とは、主からの寵愛を競う場所。
それで言うと、類は成功した。
しかし果たして成功と言っていいのか。
数多の犠牲の上に、今、自分が立っている。
急激に、怖くなった。
解ってしまったから。
『雷帝の愛を手に入れる』という、その本当の意味を。
「そこまでにしろ」
低音のよく通る声が響いて、その場にいる全員がハッと声のした方を見た。
文官たちの並ぶ列の奥には、凛と佇む雷帝の姿があった。
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