レムの回想

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レムの回想

 『結婚しよ』って言った癖に――――嘘つき。  ――――大昔。  ペレが父(最高神)と酒坏を交わした日。     「すまんな、ユリウスのせいで」 「面白かったからいいよ」  そんな会話を交わしながら、廊下を歩く父と見慣れぬ大人の男。  赤い髪を三つ編みにして、後ろに長く垂らしている。服装を見て、目立ちたがりなのかと思った。 「ん?」  ビクッ  思わず体が硬直した。男がこちらに気付いたから。隠れてたのに。  壁から片目だけを出していたつもりだったのに、髪の光でバレたか。 「あの()は?」 「娘だ。レムという」  男が近付いてくる。  来るな。来るな。  寸でのところで逃げようとして、パシッと手首を掴まれた。 「逃げないでよ〜。取って食ったりはしないから」  あははっと、私の手首を掴んだまま、しゃがんで目線を合わせてきた男が笑う。  その瞬間、心臓がバクバクして、息が出来なくなった。  真っ赤な髪と透き通った赤い瞳。  どこか妖しげで、その独特な雰囲気に(たちま)ち魅了された。   (顔もちょータイプ) 「赤くなっちゃって、可愛い〜」  その笑顔に取り憑かれたように、目が離せない。 「美人だね。将来僕のお嫁さんになってよ」  その台詞は、ずっと私を縛り付けて離さない。呪いの言葉。  思わず「はい」と答えそうになったところに、父の声が割り込む。 「おい。お前にはやらないぞ」 「え〜、なんで〜?」 「お前のことを買ってるが、婿にする気はない。レムが傷つく」 「わかんないじゃん、そんなこと」 「自分の素行を客観的に見ろ。親として娘をやるわけにはいかない」  父の言葉を他所(よそ)に、私は決意していた。  大人になったら、この男と結婚すると。  この時の私は知らなかった。  コイツが如何に残酷で、自分勝手な男かということを。  今考えると馬鹿らしい。あんな言葉、本気なわけないのに。    思春期になって、他の追随を許さぬほどに、私は美しくなった。  私は待っていた。あの男が迎えに来るのをずっと。  父にあの男のことを根掘り葉掘り聞いて、知っているつもりでいた。でも、父は話さなかった。あることに関してだけは。  それは女性関係のこと。  いつもぼかすように、「アイツだけはやめておけ」と言うだけ。  その言葉の意味を、私は後々思い知ることとなる。  それからしばらく後、念願叶って、アイツと付き合えることになった。  もちろん父には内緒。  嬉しくて嬉しくて、毎日ウキウキした。顔を見るだけで舞い上がった。『この男は私のもの』と皆に言い触らしたいのを我慢していた。  アイツはいつでも、私の欲しい言葉をくれた。私はのめり込んで、どんどん溺れた。好きで好きで仕方なくて、つい女友達に話してしまった。付き合っていることを。 「昨日アイツと寝たけど?」  女友達から無慈悲に放たれたその言葉の意味が、理解出来なかった。頭が一瞬ショートした。 「は?」 「アイツ、エリーナとも寝てるよ」 「嘘……今は私だけって言ってたもん」 「全員に言ってんじゃない? あたしも言われたよ。別れた方がいいよ。アイツとは割り切った付き合いしか出来ないから」  サバサバした友人で、アイツのことをペラペラ喋ってくれた。どうやらアイツは天上界の女神たちのほとんどと関係を持っているらしい。大人の仲間入りをしたばかりの私は、そんなことは知らなかった。    怒りで我を忘れそうになりながら、アイツを呼び出した。 「今はレムだけって言ってるじゃん」 「この大嘘つき。じゃあなんで昨日ライナと寝たのよ」 「寝てないよ」 「エリーナとは?」 「誰それ?」  とぼけんな、このゴミ虫!! と叫んで掴みかかった。  他の女神にも聞いて裏を取ったのだから間違いはない。  父の反対は正当なものだったと気付いたが、もう遅い。  胸ぐらを掴みながら、わんわん泣いた。よしよし、と慰められるのもなんかおかしい、と思いながら、なんだかんだ丸め込まれて結局気づくと何事もなかったことにされていた。  アイツと関係を持った女神のところへ牽制に行ったことは数知れず。  そんな日々に疲れ果てて、一つの作戦に出た。 「別れましょ。私とあんたじゃ性格合わないから」  本当に私と別れたくなければ、縋りついて来るはず。 と思ったのに。 「……分かった」  返ってきた言葉は一言。  え? それだけ?    そのまま、アイツは戻って来なかった。  一体、アイツにとって私は何だったのか。  ただの遊び? 数ある女の一人? 欲を満たすだけの存在?  考えるだけ無駄な気がして、無理矢理蓋をした。長い間一心に想ってきたアイツへの気持ちに。    光国の皇帝になって、多忙な日々を送り恋愛のことなど忘れていた頃、アイツが巨人族の女に生ませた子どもたちが、人間界で戦争の準備をしているという話を聞いた。  父が人間界に落とした悪魔たち。  いつか、こんな厄介な出来事が起こる予感はしていた。    アイツの女好きは尋常じゃない。  というか、愛してもいない女と軽率に関係を持ちすぎるのだ。 (ったく、何やってんのよ)      人間界との戦争が始まった時、参戦していなかった私は、光国の宮殿にいた。 「レム。久しぶり」    突然背後から聞こえた懐かしい声に、思わずビクンと体が跳ねた。  振り返ると、変わらず派手な色合いの服を着たアイツがいた。 「何の用よ?」 「会いたくて」 「どの面下げて? あんたの子供たちが暴れてるそうね。何とかしたらどう?」  冷たくあしらったけど、内心はドギマギしていた。悔しいけど、まだ好きなんだと実感する。   「レム」  スッと手を取られる。   「結婚しよ?」  え?    油断した。  思わぬ言葉がアイツの口から放たれたから。  それが、一生の不覚。  唇を奪われて、何かが喉に流れ込んだ。  しまったと思った時には身動き出来なくなっていて、霞んだ意識の中で、アイツの腕に抱かれながら、光国が滅ぶのを見た。  何も出来ずに。  まさかこの国にまで危害が及ぶと思っていなかったから、為す術なく国が滅んだ。  人間界で、父が呪いの塊と化した狼の化け物と戦っていた。  狼神ウルヴは、この世の全てを恨み、呪っていた。  父は、身を投じるようにして狼を葬った。      アイツは、ユリウスの動きを封じるために私を人質にしたのだと分かって、涙が流れた。  またやられた。  そこで、私の意識は途絶えた。      ――――そして現在、ユリウスの後宮。   「離してよ、レム」 「嫌。離さない。許さない」 「どうやったら許してくれんのさ」 「そうねぇ、」  私だけを愛し、溺れ、私なしでは生きられなくなったら、許してあげる――――。   「どうやっても許さない。このまま死ね。私の姿を目に焼き付けてね」  首にかけた手にぐぐっと力を込める。 「う……それも……いい……かも」 「そう? じゃあお望み通りにしてあげる」  何故か抵抗しないことに疑問を抱きながらも、どうすればこの男に思い知らせることが出来るのかと考える。  私の望みが叶う可能性が低いことは分かっている。『このまま死ね』というのも、半分本気。その程度の恨みは募らせている。 「レムが……巨人族の王の、餌食にならないように……守ってたのは、僕なんだよ」 「……?」 「君が汚されるのは、嫌だったから」 「……は? 何言ってんの?」    散々傷つけておいて言うセリフ? 「逃れるために出鱈目言ってるんでしょ? 騙されないから」  その瞬間、首にかかる両手首をぐっと掴まれた。  ぐぐぐっと少しずつ開かれる。チッと舌打ちして、その手を振り払った。喉元を押さえてケホケホと咳き込んだ後、この男は凝りもせず口元に笑みを浮かべて飄々と言う。 「まあでもさ、今は僕はルイに夢中だから、君の気持ちには応えられないんだ」 「あんた何聞いてたの? あんたなんかいらないから!」 「レムのこと、好きだったのはほんとだよ? 別れようって言われた時、悲しかった」  それを聞いた瞬間、カッとなって目の前の男の頬を思いっきり引っ叩いた。小気味良い音が鳴り響く。 「うるさい!!」  何と言えばいいのか。言いたいことがありすぎて考えが纏まらない。悔しい。悔しい。何故今更そんなことを言うの!? 好きだったなら、何故傷つけたの!? 他の女と関係を持ったの!? 私が嫌がると思わなかった!? 好きだったのに!! 死ぬほど好きだったのに!!  言葉の代わりのように涙が溢れた。 「『僕のお嫁さんになってよ』って……言ったわよね? 馬鹿みたいに、あんたが迎えに来ることを待って……付き合えて嬉しかったのに……私のことなんて、これっぽっちも見てなかったのね」  泣きながら訴える私を前に、悪びれもせず目の前の男は目を見開く。罪悪感など微塵も感じていないというように。 「そんなこと思ってたの? レムは気まぐれで僕と付き合ったんだと思ってたよ。僕と付き合う子はみんな大体そうだからさ」  悔しい。  私の時間を返してと言いたい。  お前を切に想っていたあの時間を。 「一緒にしないで」  ふと思った。  ここで諦めては、全てが無駄だったことになると。  過去の自分の想いも、騙されて長い間地界で眠らされたことも、全て。  ほとんど無意識に、先程手をかけていた首に腕を回して、唇を塞いだ。  すんなりと受け入れたその懐かしい唇の感触を思い出して、自分の本当の本音に抗えないと直感する。  コイツでなければ駄目なのか。  たぶん、そう。  私はこの男が狂おしいほどに好きで、心底手に入れたいと思っているのだ。  たとえ何度裏切られたとしても。
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